不思議なパンプキン 狙われた農業ガール 11

 

「できましたー」


 午後七時ちょうど。テーブルの中央に置かれた小型のランプと、カーテンを開けた家の窓から漏れる光、軒先にぶら下げた電灯が庭を照らす中、エプロン姿の菜々子が晩飯を持って来た。


「うむ」


 と、腕を組んで着席している悟の腹は既に減っていた。庭で飯を食う、という行為は、世間では“おうちピクニック”とも呼ばれる。新鮮な楽しみがあるものだ。


「お口に合うかどうかわかりませんけど、あしからず」


 菜々子がテーブルの上に置いたものはカレーライスだった。白い皿に盛りつけてある。スパイシィな香りが鼻をくすぐる。


「収穫した野菜のストックがあったので、野菜カレーにしてみました」


 見ると、じゃがいも、にんじん、ナス、トマトといった野菜がふんだんに使われていた。そのすべてが菜々子の畑でとれたものではないだろうが、健康に良さそうなカレーである。そして例のかぼちゃも入っている。


「では、いたただこう」


 悟はスプーンをとり、カレーをすくった。肉食ガッツリ派のこの男、実は野菜カレーよりカツカレーのほうが好きなのだが、出されたものは完食する主義を持つ。食通として名高く、世界の名店を知る剣聖は舌が肥えている。果たして、その味は……?


「美味い」


「よかったあ」


 作った菜々子は、ほっとしたようすである。彼女も着席し、“いただきます”と手を合わせた。美女と差し向かいの晩飯となる。


(しかし、本当に美味いかぼちゃだ)


 悟は菜々子の父親が“ナナコ”と名付けた具のかぼちゃを味わいながら感心した。その卓越した甘さが、辛味ある大人のルゥにこれほどマッチするとは意外である。実は、辛いカレーに甘いかぼちゃが入っているのはあまり好きではなかったのだが、これに関しては心の中で例外とした。


「父が亡くなってからずっとひとりだったので、人に作ってあげるのなんて久しぶりなんです」


 菜々子の瞳がテーブルのランプに照らされ、美しく輝いていた。魅力的な、よい笑顔である。


「久々にしちゃあ上出来だ」


 次に悟は箸を持ち、菜々子が大皿から小皿によそってくれたキャベツと卵のサラダを食べた。こちらはマヨネーズと黒胡椒で味つけしてある。これも美味だ。家庭的な味わいだった。


「でも、雫ちゃんにはかないませんよお。あたしよりずっと年下なのに凄く料理上手!」


「あれは、お袋さんが仕事で遅いからな」


 悟の“初代メイド”津田雫が作った昼飯を食ってから、ここにやって来た悟と菜々子である。


(そういえば雫に、このかぼちゃを渡したら、どんなすごい料理を作るんだろうか)


 悟は想像してみた。あの頭脳明晰で料理上手なJKならば、セイヨウカボチャの味と食感を持つ摩訶不思議なこのニホンカボチャも見事に扱うことだろう。


「雫ちゃん、お父さんは?」


「離婚したみたいだな」


「家ではひとりでいることが多いんですか?」


「らしいな」


「あたしも、そうでした」


 菜々子はスプーンを置いた。女ひとりで農業にいそしむ身。なにかと人に聞いてほしいことがあるのだろう。


「幼いころに母が亡くなり、親戚の家に預けられていた時期もありました。学校の先生だった父と暮らしはじめたのは、あたしが中学生になってからでした」


 涼しいを通りこして肌寒い空気の中、菜々子の目に熱いなにかがあった。人は過去を語るとき、揺れる想いを表情にのせるものである。


「親子喧嘩をしたことがないほどに優しい父でした。あたしは短大を出たあと一時期就職しましたが、会社に馴染めず半年ほどで退職しました。すでに定年していた父は、そのときも何も聞かず、“バイトでもしながら、うちの農業を手伝いなさい”とだけ言ったものです。あたしって年をとってから出来た娘だったから甘やかされたのかしら?」


 それもあっただろうが、幼いころの菜々子に寂しい思いをさせた、という気持ちが心をしめていたのかもしれない。菜々子自身がどう考えているかはわからないが、悟にはなんとなくそう思えた。


「一条さんは、お仕事をしていて辛いことはあるんですか?」


 菜々子は訊いてきた。異能者の悟を見るその目に興味の光がある。


「あるさ」


 その悟の答えに嘘はない。剣聖スピーディア・リズナーと呼ばれた彼は、いつでも人の生き死にの近くにいた。そして、自分自身、生きるか死ぬかの戦いのさなかに身を置いていた。人の醜い部分も、社会の汚い裏面も見てきたものである。


「そんなとき一条さんは、どうやって乗り越えてきたんですか?」


「夢を見るのさ」


「夢?」


 予想外の返答だっただろうか? 菜々子は首をかしげた。


「そう、夢を見ることができるってのは生きている証だろ。だからさ」


「それって将来とかですか?」


「いや、俺のようなならず者が心に描く、都合のいいビジョンさ」


「うーん、あたしには難しいわ」


 かたぎのひとである菜々子に、殺し合いの中で生きてきた悟の言葉が理解できようはずもない。見知らぬ誰かのために傷つき、悲しみ、そして誰かのために命をかける者がいる限り、人の世に失望することはないと悟は思っているが、それは彼が持つ夢に直結する思考である。剣聖と呼ばれ、常に弱き者のために剣をふるってきた。世界を救おう、などと考えたことはないが、せめて自分の手が届くところにいる人を守り続けたい。世界を股にかけていたときも、そして今も、変わらぬ思いである。


「たとえ悪党どもの欲望が吹き溜まっている裏街道であろうと、たとえ陰謀の泥にまみれた社会の病巣であろうと、そこに愛の光はさすものさ……」


「一条さん……」


「戦うことで誰かが救われるのなら本懐さ。俺は、そういう生きかたしかできない不器用な男さ……」


「で、でも、それだと一条さんが危険な目にあうだけじゃないですか! もっと楽な生きかたを望んだことはないんですか? 日なたにだって道はあるんですよ」


 菜々子の瞳に浮かぶ光が、このとき、ほんのすこしだけ哀しみに揺れていた。一条悟という男の生き様に胸を打たれたに違いない。血塗られた宿命を持つ剣聖の重い言葉は、ときに世界を動かし、ときに人を感動させた。彼女もまた、心をつき動かされたのである。


「フッ……俺としたことが、ちょっと喋りすぎちまったな。忘れてくれ」


 カレーを完食した悟は席を立った。


「俺は今日、車の中で寝るよ」


 依頼人の菜々子が狙われている以上、この家から離れられないのが悟の立場である。悪党の魔の手から、か弱き彼女を守る。それが最後にして“偶然の”剣聖と呼ばれた伝説の男の、今の“仕事”だった。


「で、でも夜は寒いわ。部屋はあいてるんですよ?」


 すっかり悟に感化されたようすの菜々子。その目にまだある光は悲哀と感動が入り混じった複雑なものだった。


「馬鹿言うんじゃねぇ。俺みたいなアウトローに心を許しちゃいけないぜ」


「だ、だって……」


「依頼人との関係はクールでドライなものであるべき、ってのが俺の信条でね」


 家の中に泊めてくれるという菜々子の配慮だが、悟は受け入れなかった。仕事で繋がった関係であり男と女の仲ではない。ならば寝室を借りる理由などない。


「俺みたいな武辺者でも嫁入り前の女に払う礼儀くらいは知ってるさ。心配すンな、夜は寒いが鍛えかたが違うよ」


 悟は菜々子に背を向けた。そのうしろ姿は頼もしくもあろうが、幾多の人々の思いを背負った哀愁もあった。


「菜々子さん、もしつらいことがあったときは空を見上げてみな」


 菜々子のほうを向いた悟の表情は優しいものだった。


「空……?」


 その言葉に従い、夜の上空を眺める菜々子。


「ああ、空を見上げるのさ」


 悟も同じく夜空を見た。このあたりは鹿児島市内では外れのほうになるが、それでもすぐそばには住宅もあり街もある。地上の光の影響からか満天の星空、というわけにはいかないが、いくつかの星の輝きはあった。


「あの星々の光は何年も、何十年も、ヘタしたら何百年も前の古いものさ。だが、どんなに年月がかかっても、その光はここへと届く。だったら、チンケな俺の思いも、そして大きな君の夢も、いつかは誰かに届くんじゃねぇかと思えるのさ。だから、つらいときは空を見上げてごらん」


「一条さん……」


 いま、見上げる菜々子の目に星たちの光が届いていた。そして悟の熱い心も彼女に届いた瞬間だった。剣聖は剣だけでなく言葉でも人を救うのだ。己の信じた生き様を貫いてきた悟だからこそ言える、熱い言葉で……


「一条さん、それはちょっとキザよ」


「やっぱり? 俺も、そう思うよ」


「でも一条さんって、渋くてストイックなんですね」


 菜々子がそう言うと、悟はこう答えた。


「さっきも言ったろ? 俺は要領よく生きられない不器用な男なのさ……」






 翌朝。菜々子の家の庭に停めていた車の中で目をさました悟は、かたわらのスマートフォンを取った。


「六時か」


 早朝を告げる画面で時間を確認し、ダッシュボードの上に投げ出していた足をおろし、リクライニングシートを起こした。そして菜々子から借りていた毛布を運転席に置いた。彼は助手席で一晩寝ていた。窮屈な姿勢だったので少し体が痛いが、仕事によっては凍てつく極地や大蛇がのさばるジャングルで野宿をしていた身である。屁でもない。


 ドアを開け車を降りると、外はまだ暗く肌寒かった。夜露のなごりか、肌に湿り気を感じる。


「うーん……」


 と、伸びをしながら悟は濡れた空気を吸った。適度な湿気がありながらも冷ややかであるため、日が出ていなくともむしろ爽快な目覚めである。ゆうべは菜々子の前でカッコよくキメた。その翌日となる今日は良いことがあるだろうか? 彼は菜々子の家のほうへ歩いた。


「顔でも洗うか」


 眠い目をこすりながら、悟は念のため菜々子から借りていた合鍵を使って玄関を開けた。昨日、手洗いや水道を借りたので、家の中の構造はだいたい頭に入っている。靴を脱いだ彼は暗い廊下を進んで、洗面所のほうへ向かった。


「ここだな」


 悟はドアを開けた……






「きゃあああああああああっ!!!」


 爽やかな朝の風をつんざく女の悲鳴がした。灯りがついている洗面所の中にいたのは一糸まとわぬ裸の菜々子だった。




 

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