不思議なパンプキン 狙われた農業ガール 2


 鹿児島の農業は温暖な気候と肥沃な土地のもとでおこなわれている。県内の畑地面積は全国二位の広さを誇り、その中で様々な野菜が作られる。さつまいもやそらまめの生産量は日本一。特産品の桜島大根は世界一の大きさで、ギネス認定されている。畜産も含めた農業産出額は国内屈指のもの。まさに日本を代表する農業県と言って良い。


 盛んであるように見える鹿児島の農業。だが他県と同様、やはり後継者不足が深刻化しているのが実情である。地方農村部に住む人の半分ほどが高齢者ともいわれる昨今、未来の食卓を支える若き力は必要とされており、県や市、各団体が事業や支援をおこなっている。その甲斐あって、最近は農業に夢を見る若者も増えたであろうか? そんな彼ら彼女らの存在が鹿児島の、いや日本の田畑を守ってゆくのである……






「いつも、ありがとうございまーす!」


 朝の九時すぎ。鹿児島市内某所にある老舗の青果店に、若くはきはきとした女の声が響いた。


「菜々子ちゃん、いつも元気だねぇ」


 五十代ほどの小柄な男性店主が伝票にサインした。彼は、古いこの青果店を経営している二代目である。


「元気だけがとりえですから」


 菜々子と呼ばれた女は愛想よく右腕を曲げて力こぶを作って見せた。色落ちしたインディゴのオーバーオールの下に着ている白Tシャツは半袖である。十一月中旬のこの時期は、南国鹿児島といえども午前中の空気が冷たい。元気なものである。


「今度は、いつ来るのかね?」


「うーん、次の出荷は来年になるかなあ」 


「あんたも大変やねぇ、仕事と掛け持ちしちょったろうが?」


「うちは兼業農家ですもの」


「菜々子ちゃんは、かわいい俺の娘みたいなもんじゃからねぇ、体が心配でたまらんよ」


 店主は、そう言いながら菜々子の身体を見た。どういう意味で“たまらん”のか、わかったものではない。


「いつも、ありがとうございます。あ、もう行かなくっちゃ」


 わざとらしく壁時計を見た菜々子は伝票を受け取り、深々と頭を下げると、店を出て愛車のくたびれた軽トラに乗り込んだ。荷台には既に持ち込んだたくさんの野菜コンテナたちを積み終えてある。長居したくないので帰り支度は早々にできていた。


「気をつけて帰りなさいよ」


 と、店先で手を振る店主に短くクラクションで返事し、菜々子はクラッチをつないで発進した。






「なーにが“娘”よ、あのスケベ親父」


 軽トラのステアリングを握る彼女は、百メートルほど行ったところで、ひとり毒づいた。名を野々村ののむら菜々子ななこという。鹿児島市 岡之原町おかのはらちょうで、若くして農家を営んでいる二十七歳の独身。いま出た青果店は自分で作った野菜の卸先である。


「でも、大事なお客様なんで、文句言いたくても言えないのよね」


 さきほどの店主、会うことは年に数度ほどだが、そのたびに身体をじろじろといやらしい目で見てくるので少々、困っている。しかも今日は、無愛想に店奥のカウンターで金勘定をしている妻が都合悪くいなかったので、いつも以上に堂々と見られた。だが、あの店は数少ない卸先のひとつなので機嫌を損ねると面倒だ。よって我慢している。


「ま、あたしが美人なのがいけないのよね」


 明るくポジティブが信条の菜々子は信号待ちの最中、バックミラーに映る自分の顔を見た。農業という仕事柄、日に焼けているが、ルックスには自信がある。化粧品のCMに出るような色白美肌に憧れた時期もあったが、元気な自分には輝く太陽と緑の大地が与えてくれた褐色の健康美のほうが似合っている。そう思いながらも日焼け止めだけは必ず塗ったりするのが女心である。


 十五分ほど軽トラを走らせると住宅地を抜け、県道に出た。さらに七、八分ほどで狭い道にさしかかる。自宅まではもうすぐだ。ギアを三速におとし、すこし直進すると道路脇に自動販売機が見えた。通りかかったときに、よく利用するものだ。


「ジュース、ジュース」


 さいきんハマっている、はちみつミックスの柑橘系ジュースを買おうと思い、菜々子は軽トラを停めた。サイドブレーキを引き、車を降りると、うしろで結ったブラウンの髪が揺れる。そよぐ風はひんやりとしており、秋らしく空気は爽やか。だが陽射しはあり、車内は高温となるため、外のほうが心地よい。彼女は自動販売機の前に立った。


 そのときだった。突然、背後に人の気配を感じた。振り返る暇もなく、菜々子は背中から何者かに抱きつかれた。


(痴漢……?)


 身の危険を感じ、菜々子は大声を出そうとした。が、すばやく口を抑えられた。相手は素手ではなく手袋をしている。


「動くなずら」


 耳もとで聴こえたのは、ややくぐもった男の声である。


「動いたり大声をあげたりしたら殺すずら。おいらは平和主義者なので、手荒なまねはしたくないずら」


 そして、やけに訛っている。普段、農業で鍛えている菜々子であるが、男の力は万力のように強く、まったく身動きがとれない。


「“アレ”を渡すずら」


 訛り男は言った。


「アレを渡すずら。そうすれば命は助けてやるずら」


 菜々子は答えようとした。が、まだ口を抑えられているため、言葉を発することができない。


「そうか、おいらの言うことをきく気はないずらか。ならば、身体に訊くしかないずら」


 “あなたの言うことなんかききません!”とはまだ言っていない。そもそも口を開くことができない状況なのだが、謎の訛り男は勝手に話を進めていく。


「おいらの“フィンガー・テクニック”で従わせてやるずら。逆らったアンタが悪いずら」


 男は、今まで菜々子の右腕をめていた右手を、大胆にも胸に滑らせてきた。


(やめて……)


 口を塞がれた菜々子はじたばたするも、やはり動けない。訛り男の腕力は人並み外れたものである。


「ほうれほれ、ずら」


 と、後ろから抱きついている訛り男は、菜々子が着ているオーバーオールの脇から手を入れてくると、その下にある白Tシャツの上から胸を揉みはじめた。


(いや、いや、だれか、たすけて……)


 肉体を汚されている羞恥と、突如訪れた命の危険に随伴する恐怖。そして好きでもない見ず知らずの男が駆使する“フィンガー・テクニック”がもたらす不快感を嫌悪する菜々子。しかも、この道は寂しい場所にあるため、人や車の通行量が少ない。助けが来る可能性は低い。


「アンタ、すくすくと育ったけしからん身体をしてるずら」


 自分の胸を揉む訛り男の言うとおりである。日課の農作業は作物だけでなく、菜々子自身の豊満な肉体をも培った。身長160センチ、スリーサイズは上から94・64・92。Hカップの大きな胸と豊かな尻まわりのせいで、背丈以上に大柄に見られる。そのくせ適度に引き締まっていることから、よけいに起伏が強調される体型だ。さきほどの店主のみならず、男たちからのいやらしい視線攻撃を受けることは多々ある。


「牛もうらやむいいおっぱいずら、揉み甲斐があるずら」


 失礼なことを言いながら、なおも菜々子の胸を揉み続ける訛り男。その手付きに合わせ、空気の入っていないドッジボールのようにいびつな変形をする乳房は柔軟性とほどよい弾力を併せ持つ。


「ひっひっひ、ほうれ、ほうれずら」


 その爆乳がもたらす奇跡の揉み心地に、訛り男はもはや本来の目的を忘れているのではないか、と思える。菜々子は恐怖のあまり、さほどの抵抗はしておらず、ましてや“あなたの言うことなんかききません!”などとは一言も発していない。にもかかわらず揉みつづける訛り男。たぶん単純に感触を楽しんでいるのだろう。


(ああ、あたしはこの変質者に犯されてしまうんだわ)


 と、菜々子が観念したとき、道路前方にあるコーナーの向こうから一台のステーションワゴンが走ってきた。車両側面に書かれているロゴは泣く子も黙る“薩国さっこく警備”のものだ。菜々子にとって渡りに船とは、まさにこのことである。さすがに指姦を楽しんでいた訛り男の手が止まった。


 けたたましいブレーキ音と共に停車したステーションワゴンの運転席から、警備員の制服制帽を着けた男が降りてきた。百九十センチはゆうにあるたくましい体格をしており、その顔立ちは精悍である。


「そこまでだ。その人を離してもらおう」


 警備員は、菜々子と訛り男の前に立ちはだかった。


「薩国警備のEXPER《エスパー》ずらな?」


 訛り男の声に緊張の気配が宿った。


「そうだ、薩国警備の鵜飼うかい丈雄たけおだ」


 菜々子にとっての救いの神は、そう名のった。



 

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