不思議なパンプキン 狙われた農業ガール

不思議なパンプキン 狙われた農業ガール 1

 

「こ、これはッ……!」


 それは食卓に広げた今宵の夕食を見た一条悟の声だった。女性的で美しいその顔は、いま喜びに満ちている。見た目に似合わず大食漢の彼は、ゆうげの香ばしい匂いを嗅ぐためか鼻を三度鳴らし……


「お、俺のために作ってくれたのか、雫?」


 と、訊いてきた。


「はい」


 津田雫つだ しずくは、小さな声で控えめに返事をした。もとよりか細い声帯の持ち主であり、明るく話すのは苦手である。


「くぅーっ」


 悟は泣いてもいないのに、長袖Tシャツの袖で涙を拭くそぶりを見せた。女子高生である自分の前で大仰に喜ぶ彼との年の差は一回りほど。そんな大人の男のために夕食を作ってあげるのは嫌ではなかった。


「いま、ご飯をつぎますから、かけてください」


 雫は悟に着席をうながし、炊飯器の蓋をあけた。ほのかに甘く香る蒸気は丁寧にといだ炊きたての米から立ちのぼるものだ。もちろん高純度の炭を削り出して作られた“方円黒龍内窯”と、最先端技術の三方向時間差加熱方式による“米姫まいひめ乱舞炊き”をウリにしているZ社の高性能炊飯器がもたらした恩恵ではあるのだが、人の心がこもらぬ調理に美味が宿ることはない。だから雫は細心を払って炊いた。悟のために……


 いや、米だけではない。卓上に広がる揚物類は二種の皿に盛った唐揚げ、とんかつ。そして別の二種の大皿には青椒肉絲、豚肉入り塩焼きそば。肉中心のメニューは悟の好みに合わせたものである。もちろん、これらも心を込めて作った。悟のために……


「いった、だっき、まーす!」


 なぜか“いただきます”に三段階のアクセントをつけた悟。ご機嫌なようすの彼はガラにもなく両手を合わせたのち、雫がついだご飯を左手に、右手の箸で唐揚げから攻略しはじめた。


「う、うまい……うまいぜ、雫!」


 悟のがっつきようは尋常なものではない。にんにく醤油をきかせた唐揚げは、ご飯がすすむ味付けにしてある。一口目にしてすでに食欲がトップギアに入ったようで、あっという間に空の茶碗を差し出してきた。いただきますから、わずか二秒で出たおかわりのサインである。


「はい」


 雫は、これまたちいさな声で返事をし、茶碗を受け取った。美味しいと言ってくれるのなら、手間ひまかけて作った甲斐があったというものである。






 鹿児島市 城山しろやまの某所にある、この洋館。ここは一条悟が旧知の藤代真知子ふじしろ まちこから借りている物件だと聞いている。海外で“仕事”をしていた、という悟が、ここに移り住んだのが三ヶ月前の八月。暑い季節のことだった。


 超常能力実行局鹿児島支局、つまり薩国さっこく警備の見習いEXPER《エスパー》である雫に悟の護衛兼監視が命ぜられたのは七月末。夏休みに入った直後だった。なぜ自分に白羽の矢がたったのか、その理由は聞かなかったが、薩国警備が実施している二十一世紀型育成制度の一環であるとは知らされている。当制度は雫のような見習いを早めに現場に出すことで経験を積ませるのが目的のもので、年少者が選ばれることは珍しくない。いわば若手の研修である。悟の護衛というのは真知子から薩国警備への依頼だが、監視というのは薩国警備単独の意向ではないか、と雫は思っている。


 今、ガツガツと豪快に食事している悟が何者なのか。雫は知らない。実はろくでもない経歴を持っているのではないかと疑ったこともあるが真相はわからない。薩国警備が異能者の集団であるとともに警備会社としての本質を持つ以上、この住まいに監視カメラがあったり、セキュリティシステムが設置されていることは不自然ではないが、少々、VIP待遇が過ぎるように思える。


(いったい一条さんは、どういう人なのかしら?)


 ソースをかけたとんかつを飯とともに頬張り、豆腐とネギの味噌汁で胃袋に流し込む悟を微笑ましく思いながらも、雫は目の前にいるこの男を値踏みしてみた。鹿児島県下に絶大な影響を及ぼす藤代グループ内の企業である藤代アームズの女社長、藤代真知子と旧知、というだけで只者ではないことはわかる。さらに以前、ストーカーに狙われた担任の村永多香子むらなが たかこを救い、さらに自分が通う静林館せいりんかん高校の時計塔を退魔連合会の悪徳退魔士、銭溜万蔵ぜにだめ まんぞうの手から守った手腕は鮮やかなものだった。現在は鹿児島の自営異能者フリーランスという立場にいるが、海外でどれほどの仕事をしてきたのだろうか。


 他にも不思議があった。真知子からの要請内容が“護衛の他、身辺のお世話もお願いします”とのことだったという。つまり家事全般引き受けてくれ、というわけだが、やはりVIP待遇である。いくらなんでも普段なら薩国警備がそこまですることはない。


 雫は真知子と面識はない。が、彼女が身辺の世話を頼んだ理由はすぐにわかった。この一条悟という人は仕事をしていなければ、あまりにも“ぐうたら”なのだ。服は脱いだら脱ぎっぱなし。靴も脱いだら脱ぎっぱなし。料理はまったくせず放っておけばコンビニ弁当と外食だけですまそうとする。そのうえ食べても飲んでも片付けはせず散らかし放題の彼は完全な生活無能力者だった。そのため雫は料理だけでなく家屋の内外の掃除まですることになった。正直に言えば、監視兼護衛任務より、そちらのほうがメインだったほどである。


 そんな雫の、家事まみれの“研修”は夏休みだけのことだった。二学期が始まったからだ。進学校に通っており、東大を目指しているため、さすがに悟にかかりっきりというわけにはいかなくなった。薩国警備からも八月いっぱいの任務と言われていた。


 雫のあとで悟の身辺を世話するようになったのが高島八重子たかしま やえこだった。退魔連合会の退魔士である彼女を派遣したのは、藤代グループ総帥、藤代隆信ふじしろ たかのぶだったという。真知子の祖父にあたる人で、薩摩の怪物とも呼ばれる鹿児島最大の実力者だ。そんな隆信に世話人を派遣させる一条悟という人は、やはり只者ではない。


「うまい、うまいぜ雫。八重子が作るメシとは大違いだ」


 雫から受け取った三杯目のご飯をがっつく悟。異能業界の名門家の出である八重子は健康志向で薄味の物ばかり作る。肉は少なく、野菜と魚中心の献立にするため、量的にも味的にもガッツリ派の悟はかなり不満らしい。


「やはり持つべきものは良い“メイド”だ。雫に受験勉強がなければ俺の“メイド”に復帰してほしいくらいだ。八重子はもう掃除洗濯専門“メイド”でいいよ」


 食べながら勝手なことを言う悟は、夏休みだけの世話人だった雫を“初代メイド”。そして現在の世話人である八重子を“二代目メイド”と呼ぶ。その八重子が最近の寒暖差の影響からか風邪でダウンしたため、数日の間、雫がまた悟の面倒を見ることになった。期末試験はまだ先なので時期的な都合は良い。さきほど八重子から“ゲホゲホッ、雫さん、申し訳ありませんがゲホゲホッ、一条さんのことをよろしくお願いしますわゲホゲホッ、あのチャラ男が言うことを聞かないようなら晩ごはんのお肉を遠慮なく減らして構いませんのでゲホゲホッ”との電話があった。さらに悟の身辺警護の総責任者である薩国警備の鵜飼丈雄うかい たけおからも“急で悪いが一条の世話を頼む”とメッセージを受けていた。


 しかし、いま自分が作った夕食を美味しそうに食べる悟を見ていると、緊急のことであっても悪い気はしないものだ。母子家庭に育った雫は、仕事で帰りが遅い母親に代わって家事一切をこなす。子供の頃からそうだったため、食事は一通りの物が作れるようになった。たまには他の人のために腕をふるうのも良いのではないか、と思える。


「雫、やっぱりたまにはメシ作りに来てくれ」


 と、一瞬だけ箸を止めて言った悟に対し、雫は頷いて席に座った。幼いころ、母を捨てた父の姿を見たせいか、男性を愛せない体質になった。そして同性、つまり女性を愛するようになった。今までパートナーがいたことはないが、好きになるのはいつも自分と同じ女だった。だが、なぜか悟に対してだけは好意をいだいている。理由は、わからない。


 今日は悟と差し向かいの夕食となる。いつもはひとりで食べることが多いので、たまにはこういうのも悪くない。雫は、あらためて自分が用意した食卓を見た。


(でも、いくらなんでも、ちょっとおかずのバランスが悪かったかしら)


 そして、すこし反省した。いくら肉好きの悟に向けた食事とはいえ、“青”と“緑”が足りないと感じたのだ。いちおう唐揚げには千切りのキャベツと薄切りのキュウリを添えてはおいたのだが……


(もうすこし“野菜”を多くしたほうがよかったかしら)


 雫は、そう思いながら、しずかに自分の箸をとった。



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