剣聖の記憶 〜女王ふたり〜 25

『UGaaaaaaaaaaaaaaaa!!!』


 人のものではない咆哮をあげたイリヤは、全長四メートルほどの花の形をした植物性の人外へと変生した。それは燃え盛るような赤のサルビアに似ている。“家族愛”という花言葉を持つものだが、娘エカテリーナへの思いが、この世に投影された姿なのかもしれない。被憑体の心にある負の側面に巣食い、気を喰らい尽くすのが人外だ。


 戦闘の幕があく前に悟は、すでにヤツとの距離をとっていた。相手のサルビアは、多数の花弁を付けて縦に伸びる茎の部分が三メートルほどの高さで、残りの足に相当する部分が何十枚かの巨大な鋸歯状の葉で覆われている。全幅はさほどないが花も葉も豊かに備わっているため、見た目の迫力がある。それがコンクリートの大地に根をはる姿は異様だ。


 “サルビア”の茎が一瞬、のけぞった。直後、赤い花弁の数枚が悟のほうへと飛んできた。それが人外の凶器らしい。一枚あたりの大きさは数センチほどで、それが塊となって弾丸のように襲いくる。


 まるで闇夜にそびえ立つ墓石のような廃団地群の隙間を、悟は華麗に舞った。多方向性気脈者ブランチの彼は脚に気を込め大きく飛んだのである。漆黒の夜空に溶け込むその様こそ、誰からも愛される剣聖の雄姿だ。そして誰もが見惚れてきたものだ。


 一方、狙いを外した花弁は鋭い音をたてコンクリートの地面に突き刺さった。充分な貫通力がある。異能者たる悟をしとめるほどの硬さもあるだろう。当たるわけにはいかない。


 サルビアはゆっくりと“移動”をはじめた。無数の葉たちで覆われているので見えないが、脚に相当する部分があるに違いない。その速度は人間が歩くときほどのもので、たいしたことはない。そして両者が今いるのは、この団地の駐車場である。ここは道路に向かって伸びている。幅はさほど広くないが、背後に余裕があるので、すぐに距離は縮まらない。悟から見てすぐ右手に四棟のうちの一棟がある。


 すでに着地していた悟はショルダーホルスターからオーバーテイクを抜いた。ブラックメタリックに光る筒状のグリップに気をこめると、紅い光状の斬突部があらわれる。鹿児島にある藤代アームズ製のこの光剣は剣聖スピーディア・リズナーたる彼のトレードマークであり、世界中の少年たちが憧れる逸品だ。その色は血にも炎にも似ると言われる。


 オーバーテイクが一閃した。悟が薙ぎ払ったと同時に切っ先から剣圧が発生する。サルビアとの距離は約二十メートル。外すことはない。


 だが、剣圧はサルビアの本体に届かず、四散して消えた。当たる直前、下部の葉たちが上にスライドし、盾となったのである。見た目は鈍重そうだが、防御は素早かった。


(守りは固いか)


 悟は、盾の役目を果たした葉をおろして近づいてくるサルビアを見た。植物性の人外には火が有効だが、あいにくここに火種はない。遠距離からの攻撃が当たりにくいのならば近づいて斬るしかないが、やはり防御手段として機能したあの葉が気になった。


 サルビアの花弁群がまた飛んできた。それらを横っ飛びしてかわした悟は身を低くして一気に近づいた。脚に気を込めているので電光のごとく速い。サルビアに二射目を許さぬタイミングだ。


 だが、相手の間合いに入るか入らないかの瞬間、数十センチはある葉の数本が横からしなり襲いかかってきた。サルビアの“蹴り”なのだろう。鋸歯状の硬そうな葉は防御力のみならず切断力もあるはずだ。当たったら、ひとたまりもない。


 それを剣で受け止めるような愚をおかす悟ではない。ある程度予測していた動きだったこともあり、余裕をもって避けられた。相手の空振りを上手く誘いながら、自分は団地の建物がある右横に飛んだのだ。しかしサルビアもしつこく花弁を飛ばす。


 悟は空中でジャンプの軌道を変えた。団地の外壁に足をついて方向転換したのだ。脚に気を集中しているだけあってバネのように力強い三角跳びとなった。そして外壁に花弁たちが突き刺さる。


 攻撃をかわした悟だが、地面についたあと予想外の光景を見た。サルビアの葉の一部が左右に展開し、ゆっくりと上下運動をはじめると、しだいに“浮遊”しはじめたのだ。


(おいおい、飛べるのかよ)


 悟は、すでに団地三階ほどの高さまで浮き上がったサルビアを見た。ヤツに取り憑かれているイリヤがホテルのバーから飛び降りて姿を消した理由もそれだったのかもしれない。飛行能力を持っていたのだ。宙で葉を羽のように動かすその姿は縦に長いせいか水中を泳ぐ巨大イカのようである。


 悟は地上からもう一度剣圧を放った。だが、空へと位置を変えたサルビアは動いていない葉だけをスライドさせ、またしてもそれを防いだ。浮いている状態でも盾として機能するようだ。まともに撃って当たるものではない。


 空中砲台となったサルビアは地上の悟に対し花弁を放ってきた。今度は、これまでよりも数が多い。噴射するかのような勢いで撒き散らしていく。夜の廃団地に赤い花が咲き乱れる。


 悟は、それらを完璧にかわした。後退し、跳躍し、そしてサイドに鮮烈なステップを踏む。華麗な身のこなしはまるでフィギュアスケーターのようだ。さきほどまで降り続いていた雨で濡れた大地がオーバーテイクの光を受け、彼の姿を紅く照らす。美しい剣聖は無機質なコンクリートの地面すら輝く銀盤へと変えるのだ。今宵、戦場のスポットライトは悟のためにあった。“孤独な死闘”という名の演目に喝采をおくる人間はいなくとも、夜の女神の視線だけは独占するのがこの男である。


 四棟あるこの団地の棟間は横に狭く数メートルしかない。脚に気を込めた悟は、そのうちの二棟の外壁をジグザグに蹴るようにして片側の棟の屋上に飛び昇った。さきほど浮上したサルビアの脚部は下から見ても葉に覆われていて防御が固そうだった。ならばそこに弱点はない。だから地面にいるメリットがないと考えたのだ。


 サルビアが悟を追って屋上の高さまで浮上した。飛行音がしないことが、よりいっそう不気味である。相変わらず無数の巨大葉が羽のように上下に動いており、それで浮力を作り出しているようだ。逆に花の部分は微動だにしない。そして光が一閃したのは、隣の棟の屋上からだった。


『Gyaaaaaaaaaoooooooooonnnnnnnnn!!!!!』


 次の瞬間、サルビアがどデカい悲鳴をあげた。三発目の剣圧が花を咲かせている茎部分に命中したのである。悟はヤツに気づかれぬよう、さらに隣の棟の屋上に飛び移っていたのだ。両棟間の距離の狭さを利用した手だが、サルビアが予測していなかった方角からの攻撃だったため葉を盾にするいとまを与えなかったのである。


(しとめられなかったか……)


 狙いどおりに当てた悟だったが、内心で舌打ちした。実は今の一撃でサルビアの茎を完全に切断するつもりだったのである。だがヤツは思ったより頑丈に出来ているらしい。剣圧を喰らった部分から橙と赤を混ぜたような色の血……いや、樹液と呼ぶべきであろう液体を霧のように噴出させながら、いまだ宙に浮いている。


(そろそろ、ケリを付けねぇとな)


 悟はヤツのダメージを見積もってみた。あと一発で決着がつきそうだが、気の外的放出アウトサイド・リリースによる剣圧は消耗が激しいため、そう何度もは使えない。傷つきながらも浮遊を続け、こちらを向いたサルビアとの距離は十メートル強。外すことはないが、また葉に防御されては自分が不利となる。


 廃団地の屋上に立つ悟。そして同じ高さに浮かぶサルビア。しばし静かに対峙していたが先に動いたのはサルビアのほうだった。ふたたび花弁群を発射する。こちらを切り刻むことができるだけの量と威力である。一直線に飛んできた。


 脚に気を込め、悟は飛んだ。直後、ちょうど彼の顔があったあたりの高さを花弁たちが通過する。見事にかわし空高々と舞った。


 そのとき、これまで防御の役割を果たしていた巨大葉の一枚が悟に向かって射出された。なんと“あれ”も飛び道具として機能するものだった。花弁よりはるかに大きいそれは鋸歯状で、見た目が鋭利なものである。数十センチはあろう。


 空中で悟は右手のオーバーテイクを真横に払い、襲いくる巨大葉を斬り捨てた。しかし間髪入れず二枚目が飛んできた。サルビアは連射していたのだ。いや、三枚目、四枚目も迫りくる。重く、力強い巨大葉の“四連射”だ。


 オーバーテイクで二枚目を薙ぎ払った悟は屋上の高さからふっ飛んだ。高威力の巨大葉を空中で捌いた結果である。漆黒の空に不気味な佇まいを見せている廃団地から落ちてゆく、美しい剣聖の末路を知る者もまた、美しい夜の女神しかいない……




 

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