剣聖の記憶 〜女王ふたり〜 5

 “見事だな”


 という悟の予告どおり、エカテリーナは見事なコンビネーションジャンプを決めた。美冬と違い回転軸が安定している。優れた体幹のなせる技とでも言おうか。もちろん、滑走のスピードも充分だった。


「スピーディア、あなたはフィギュアスケートを見る目がおありのようだ」


 戸村は感嘆の目を向けてきた。悟はさきほど美冬のジャンプが失敗することを予告した。今はエカテリーナのジャンプが成功すると言った。どちらも跳んだ瞬間に言い当てたのだから無理もない。


「十二月におこなわれる日本選手権のゲスト解説を引き受けていただけませんか? あなたなら間違いなく務まります」


「あまりトークに自信はないんだが、いいのか?」


「人気者の剣聖がゲストならば話題になりますし、視聴率もはね上がるでしょう。本当にテレビ局に交渉しますよ」


 悟は戸村に対し“冗談冗談”と言いながら手を振ると、再びリンクを見た。エカテリーナの演技は続行している。


「あの娘は、いくつだ?」


「十七になったばかり、でしたかな」


「そうなのか」


 悟は驚いた。なぜなら美冬より六歳も年下だというエカテリーナのほうが大人の演技を見せているからだ。


「たいしたもんだ。同じ曲でも、全然別物に見えるな」


 悟の言うとおりだった。両者とも同じ『白鳥の湖』を使っている。が、二十三歳の美冬が可憐で線が細い白鳥を演じていたのに対し、十七歳のエカテリーナは、もっと大胆で力強く、そして艶っぽい白鳥になりきっている。もちろんロシア人の彼女は、日本人の同年代の少女たちに比べれば大人っぽいが、憂いの表情は元の造形に頼ったものではなく、意図して作り上げたものだ。年下のエカテリーナのほうが貫禄があり、技術は軽快でも、表現には重厚さが備わっている。


 曲が止み、四分間の演技練習が終わった。リンク中央でフィニッシュポーズを解いたエカテリーナは、コーチのイリヤのほうへと滑り出した。


「イリヤぁ!」


 フェンス越しに演技を見ていたイリヤにぶつかりそうなほどの勢いで駆け寄るエカテリーナ。


「ねえねえイリヤ、どうだったぁ? あたしの今の演技、どうだったぁ?」


「良かったわ。これなら、いつシリーズが開幕しても大丈夫ね」


 氷上のエカテリーナとリンク外に立つイリヤはフェンスを挟むようにして互いの頬を付けあった。さっきまでは大人の表情を見せていたエカテリーナだが、演技が終われば年相応に子供っぽい普段の姿に戻るようだ。かたやイリヤも教え子の出来に満足、といった様子である。これでは、まるで母娘のようだ。


「美冬に対する態度と、ずいぶん違うな」


 悟は苦笑した。美冬が演技を終えた直後のイリヤはイライラしていたように見えたが、エカテリーナに対しては笑顔を見せている。


「イリヤコーチはアメとムチの使い分けが上手ですからな。エカテリーナに対しても厳しいときは厳しいですし、美冬に対しても優しいときは優しいものです」


 戸村も苦笑している。出来不出来によって鬼と仏を演じ分ける、という点ではコーチ職というものもフィギュアスケーター同様の役者なのだろう。


 悟は周囲を見回した。同じコーチに師事するライバル美冬の姿はない。自分より良い演技をするエカテリーナを見たくなかったのかもしれない。






 ロシア人のエカテリーナ・グラチェワは現在十七歳。イリヤ・アダモフに師事しはじめたのはジュニア時代の四年前。美冬とおなじく幼少のころからスケートをはじめた彼女は最低年齢クラスであるノービス時代から一部ですでに期待されていたが、本格的にその才能が開花したのはイリヤの指導を受けるようになってからのことだったという。ジュニアのタイトルをほぼ総なめにし、一昨年度のシーズンからシニアクラスに転向したエカテリーナはシニアデビュー戦となったアメリカ大会でいきなり優勝し、その後のグランプリファイナルを圧巻の滑りで制した。


 若すぎたエカテリーナは年齢が基準に満たなかったため、同一シーズンの二月に開催された冬季オリンピックに出場できなかった。その件に関し、事前にロシア選手団がIOCに年齢規定の変更を求め却下されたことは世界中で報道され、話題となった。それでオリンピック出場を逃した悲劇の新人として余計に名前が知られるようになった彼女は三月の世界選手権で二位の美冬に総合十点以上の差をつけて優勝した。誰もが世代交代を実感したシーズンとなった。


 昨年度シーズンもエカテリーナの快進撃は止まらなかった。出場したすべての大会で圧勝し、グランプリファイナルと世界選手権ともに二連覇。あとを追う立場となった美冬とのシーズンベストは十八点差に開き、明確に実力差があらわれた。ふたりとも同じコーチのもとにいるため、この年は両者がことごとく比較され、エカテリーナの株はさらに上昇し、美冬のほうはピークを過ぎたベテランと評されるようになった。


 幼い口調とは裏腹にエカテリーナは頭が良いことで知られている。シーズンのオンオフ関係なくフィギュアスケート漬けの日々をおくっているが、勉学との両立をこなしており、学業成績は優秀である。すでにスポーツ科学研究科がある大学への進学を表明しており、将来、競技引退後は指導者になると公言している。ロシア選手団からは今も、そして未来も期待されている存在だ。


 出場できなかったオリンピック以外の主要タイトルを十代ですべて獲得したエカテリーナは若くして、そしてシニアデビュー二年目にして早くも“女王カラリエーヴァ”と称されるようになった。その理由は年に似合わぬ妖艶さと重厚感あふれる大人の演技にある。もちろん“天才ゲーニー”、“芸術家フゥドージニク”と呼ぶ人もいるが、彼女を評する上では、やはり女王のふたつ名がもっともしっくりくるようだ。最近では先に女王と呼ばれていた美冬を“旧女王”、エカテリーナを“新女王”と呼ぶ向きもある。






(女王ふたり、か……)


 誰も通らないラズヴリチェニィ・スポーツパレスの廊下で、悟はエカテリーナの情報を映していた携帯端末の電源を落とした。なんとなく彼女のことを知りたくなったため、インターネットで調べてみたのである。同じコーチに師事する美冬とエカテリーナ。ピークを過ぎた旧女王と全盛期を迎えつつある新女王。ふたりの関係が良くないのは当然のことと言えるのだろう。同門であっても結局はアスリートとしての競争相手なのである。


 

 


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