混浴でドッキリ! 悟とアラサー女子の、アツアツ温泉紀行 17

「実は、ここだけの話ですが、さいきん当館の経営がうまくいっていなかったのです」


 目を閉じた茉莉花は、自分と旅館の近況を語りはじめた。さきほどまで人外の存在に取り憑かれていた身だが、まだ初期の症状だったせいか命に別状はないようだ。不幸中の幸い、というやつである。


「近年、ここ霧島にも近代的で大きなホテルや、設備の整った新しい旅館が増えました。アットホームでレトロな昭和感を売りにしている当館ですが、時代に即していないせいか、ここ数年客離れが進んでいたのです」


 その言を聞き、彼女の身体を支えている悟は、“てんがらもん旅館”の姿を思い出した。たしかにレトロ感いっぱいなあの建物は外壁や一部設備がかなり傷んでいる。経営に苦しんでいるため修繕費もなかなか出せないのだろう。


「景気の良い時代を知る先代の義父は今でも“温泉と美味しい料理と真心があればそれで良い”と口癖のように語っております。ですが、昨今のお客様のニーズに即した旅館経営とは、理想論だけで語られるものではありません」


 女将として旅館をきりもりする茉莉花は当然、苦しみをたくさん抱えていたに違いない。一見華やかな彼女だが、うちに秘めた悩みを表に出さず接客していたのだ。それは敬服に値するが、人外を呼ぶに充分なストレスの温床を作り上げる要因ともなっていたのだろう。


「現在、経営を引き継いでいる主人は、心労で胃に穴があき、先月から入院しております。主人が不在の当館を守ろうと、ここ数日は休む間もなく働いておりました」


 人外に取り憑かれる理由……それは様々と言われるが、現代社会においては心理的なストレスが主要な原因とされる。人間関係、恋愛、地位などといった、人ならば当然に執着する事柄がうまくいかないとき、人は負の気におかされ、それを糧とする人外を呼び寄せる。そう考えればわかりやすい。


 仕事や金もまた、そうである。人外に取り憑かれた直因を判明させることはたいへん難しいが、茉莉花もまた過酷な旅館業に忙殺され、経営を回復させようと躍起になっていた。疲労や心労から、陰性気質を呼び込み、あの“きのこ型”人外に取り憑かれた可能性が高い。悟や愛菜の他、平太郎ら老人たちのような異能者が旅館に集ったため、危機を感じた人外が表面にあらわれ逃げようとしたのだと解釈することもできる。


「でも、あたしは、とっても良い旅館だと思います」


 愛菜の声は、傷ついた茉莉花をいたわるかのように明るいものだった。


「従業員のみなさんは親切ですし、お料理は美味しいですし、温泉は……いろいろあってまだ入っていないけど、でも、とても良い旅館だと思うんです。ネットでの評価も高いじゃありませんか」


 それは一時の慰めにすぎないのかもしれない。だが、人外を消し去った今、愛菜にできるのは素直な感想を述べることだけなのだろう。


「ねぇ、老師様も一条さんも、そう思うでしょう?」


 愛菜は同意を求めてきた。


 “ああ、もちろんさ。俺もそう思うぜ”


 と、悟が言おうとした矢先……


「もちろんじゃ」


 平太郎に先をこされてしまった。


「わしら客は、美味いメシと、美味い酒と、良い温泉と、あんたみたいな美人の女将がいればそれで良いのじゃ。坊主、おぬしもそう思うじゃろ?」


 今度は平太郎が同意を求めてきた。この老人は昔から悟のことを“坊主”と呼ぶ。


「そうさ、俺ら客が求めてるものなんて、そういう単純明快なものさ。今風の設備とかニーズとか、ンなものは関係ねぇ。爺さんや愛菜さんの言うとおりだ」


 悟は茉莉花の肉体を支えながらカッコよく言った。ただし、愛菜と平太郎に続く三番煎じになってしまったため、いまいちありがたみに欠けているという自覚はある。それが少し残念だった。


「ああ、みなさまの優しいお言葉を聞いて女将冥利につきる思いでございます」


 茉莉花は美しい目からはらはらと感動の涙を流している。これで良かったのだ。事件は解決し、彼女の身も無事だった。一件落着ではないか。それこそが何にも勝る僥倖といえよう、と思う悟であった。


「わしら“自営異能者友の会”のメンバーは、これからもあんたの旅館を利用することにしよう。四ヶ月……いや、二ヶ月……もういっそ月に一回慰安旅行を企画すれば良いのじゃ」


「あ、それいいですね。さすが老師様です!」 


「この男も温泉好きでのう、今後もわしらといっしょに参加してくれるじゃろう」


「あ、そうなんですか。同年代の一条さんも参加してくださるなら、ぼっちになる心配がないので私も安心です!」


 勝手に盛り上がる平太郎と愛菜。しかも悟を巻き込む気でいる。


 “い、いや……俺は、あの老人会にはもう……”


 と、断りたい気分になったが


「ああ、みなさま、ありがとうございます。私も一日でも早く体を治して現場復帰し、みなさまをとびっきりの笑顔でお迎えする所存でございます」


 などと茉莉花が喜んでいたので、空気を読んで黙っていることにした。今後、慰安旅行への参加をうまく断る口実を考える必要があるが……


「ヘックしょい!」


 悟はデカいくしゃみをした。フライトジャケットを愛菜に貸しているため、寒空の下、長袖Tシャツ一枚である。


「くしゅん!」


 それにつられたか、愛菜もくしゃみをした。こちらは黒い下着の上から直接悟のフライトジャケットを着ている状態だ。


「なんじゃ、おぬしら。この程度の寒さで情けないのう」


 たいして厚着をしていない平太郎は若い二人に説教をした。寒い中でもこの老人は元気なものである。


「いや、なんか事が解決したら急に寒くなってきちまった」


「あたしも。考えてみれば、もう十一月ですもの」


 悟は鼻をすすりながらポケットに手を入れ、かたや愛菜は肩を震わせながら言い訳をした。夜風がすこし出てきたせいか、よけいに寒さを感じる。早く帰って暖まりたい気分だ。


「ああ、それでしたら……」


 茉莉花は温泉旅館の女将らしく、“ある提案”をした。






(はぁ、生き返るわ……)


 肩まで湯につかり、愛菜は満足した。世間では半身浴の良さを訴える声もあるが、やはり冷えた身体をあたためるには全身浴が最適である。“てんがらもん旅館”の温泉は、ややとろりとした泉質の湯で、肌に適度な潤いを与えてくれる。


 きのこ型人外に取り憑かれていた茉莉花は、あのあと愛菜が呼んだ救急車で霊的治療に対応した病院へと搬送された。初期の症状だったため、すぐに回復し、退院できるだろう。やはり“対処”は早いほうが良いということである。数日もすれば気の流れも正常化し、いつもの女将業に復帰できるはずだ。


 茉莉花の気遣いで、今この温泉大浴場は貸切の状態である。他に人が入ってくる気配はない。広い浴室をひとり占めする機会など、なかなかないものだが、旅館側に対する申し訳なさとともに、ささやかな贅沢感にひたることができるのも事実だ。素直な気持ちで好意に甘えるとしよう。


 いま、午前二時半。すでに旅館が取り決めている混浴タイムは終わっていた。この大浴場はもちろん男湯と女湯が壁で仕切られている。双方を繋ぐのは、いま愛菜が浸かっている八の字型の大浴槽であり、混浴タイムではない現在は高さ二メートルほどの耐水性の仕切り四枚が立てられ、その八の字の真ん中が隔てられている。つまり混浴タイムには、この仕切りが外され、男湯と女湯の大浴槽が繋がるのだ。ちょっと変わった仕組みになっている。


「ねぇ、一条さん」


 その仕切りに背中をつけ、愛菜は向こう側の男湯のほうへ聴こえるように声をかけた。悟も入っているはずである。


「いいお湯ですね。そう思いませんか?」


 なぜ、そんな他愛のないことを訊いたのか? 彼女自身にもわからなかった。ただ、一条悟という人と、なんとなく湯心を共有したい。そう思ったのである。


 “ああ、いい湯だねぇ”


 と、仕切りの先から悟が言ってくれた。彼も同じく、この温泉に満足しているようだ。


「のぞかないで、くださいね」


 いちおう、釘をさしておいた。さっき脱衣場で身体のほとんどを見られた身だが、下着の奥はまだである。そして今、生まれたまんまの姿だ。


 “のぞかねぇよ。ゆっくり入ンな”


 それが悟の返答である。


「本当かしら?」


 “本当さ”


「本当に本当?」


 “しつけぇなァ、俺はジェントルメンだから安心しろ”


 悟の口調が、なんとなくスネていた。仕切りの向こうでどんな顔をしているのかしら? ちょっぴり想像したくなる。


「じゃあ、信じます」


 誰も見ていない女湯で、愛菜はひとり笑った。そして、さっき自分を助けてくれたときの悟の勇姿を思い出してしまった。大好きな乙女ゲームやBLの世界にいそうなルックスの彼。だが、そのカッコ良さは二次元では決して表現できない完璧なものだった。現実の男、というのも悪くない。


(一条悟、ちょっと素敵なひとかも……)


 それが今宵、愛菜が“彼”にくだした男性評だった。アラサーの自分は、そろそろ結婚とか考えても良い時期。いや、そこまでいかなくとも、横になんとなく当たり前のように悟がいてくれる。そんな日々を思い描いてみた。


 愛菜は、湯につかっている自分の乳房の中心に手を当ててみた。ここは、まだ悟に見せていない部分だ。いつか見せてあげる日が来るのかしら? でもまだ付き合ってすらいない。なのに、あふれる甘い想像がとまらない。


(恋、しちゃったかも)


 そんな自覚をした愛菜。乙女ゲームやBLのヒーローたちより興味がわく男があらわれた。それは幸せなことである。仕事に打ち込むのも悪くないが、男を好きになることで得られる充足感、というものもきっとある。


「一条さん、また、ここに来ることができればいいですね」


 愛菜は、もう一度、男湯へ声をかけた。


 “愛菜ちゃん、わしもいるんじゃがのう”


 仕切りの向こうから悟といっしょに入浴している平太郎の声がした。男女三人、仕切りを隔てての会話はスムーズには進まないものだ。でも、やはり混浴は恥ずかしい。そう思う愛菜だった。




『混浴でドッキリ! 悟とアラサー女子の、アツアツ温泉紀行』 完

 




 

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