混浴でドッキリ! 悟とアラサー女子の、アツアツ温泉紀行 8
「当館の温泉は午前零時をすぎると、混浴になるのでございます」
この旅館の女将である茉莉花は、妖艶な笑顔で答えた。
「混浴?」
意外な展開に、思わず訊き返してしまう悟。
「はい」
「混浴って、あの混浴?」
「はい、あの混浴でございます」
「じゃあ、このカーテンが開いたのは……」
「この脱衣場も、男女共用になるため、時間が来ると電動で開く仕組みになっております」
混浴、というのは男と女がともに同じ風呂に入るもので、その歴史は古い。一説によると江戸時代の銭湯は混浴が当たり前であり、見知らぬ男と女が裸で同じ浴場を共有していたという。風紀が乱れることを懸念した時の権力者たちは何度も混浴禁止令を発した。だが、そのたびに混浴を愛する庶民たちの猛反発を受け、禁止令は撤廃されてきた。裸の付き合いを愛する人々の情熱が今の時代にも由緒正しき混浴文化を残す理由となった。まさに日本古来の失われてはならない伝統。それが混浴なのである。
「で、でも、混浴なんてどこにも書いてなかったけど」
「おおっぴらにすると保健所や行政が何かとうるさいものですから」
「あぁ、なるほど……って、俺はそこで納得していいのか」
「いちおう、当館の公式ウェブサイトの片隅に小さな字で書かれております」
「できれば、目立つところに大きな字で書いてくれ」
「ですが当館で認めているのは、あくまでも混浴のみですのよ。お風呂場での男女のお付き合いに関しては、お客様のモラルに委ねておりますの」
茉莉花は、いまだに黒い下着姿で床に寝ている愛菜を見た。
「ただ、大変恐縮なのですが、脱衣場での性的な行為は……」
「いや、違う違う。愛菜さん、いつまで寝てんの?」
悟は、目を閉じている愛菜の肩を揺さぶった。剥き出しの肌は、なめらかで手触りの良いものだった。
「嗚呼……お父さん、お母さん、お爺ちゃん。あたしは今から、ケダモノのような一条さんに手ごめにされます。素っ裸にされ、あんなことやこんなことをされたあげく、あんなことやこんなことを要求されるのです。この旅館を出るとき、一条さんの変態的なプレイの餌食になったあたしはもうお嫁にいけない汚れた身体になっているに違いありません。そうなったら一条さんに婚姻届を突きつけて責任をとってもらいます。結納の日取りはいつがいいかしら? 式はいつにしようかしら? あぁ、でも避妊だけは……避妊だけはして一条さん。お腹の大きな花嫁になったら、親戚や友人たちになんと説明すればよいのか。どうか避妊だけは……」
「おーい、愛菜さーん。目を覚ましてくれー、そろそろ帰って来てくれー」
困った悟は、もう一度強く揺さぶった。すると、愛菜は目を覚ました。
「ここは?」
愛菜は、寝ぼけまなこであたりを見回した。やっと我に返ったか?
「愛菜さん……まさかとは思うけど、今のは寝言?」
「変だわ、さっき飲みすぎたのかしら?」
(変なのは、この状況で寝ることができる君のほうじゃないかな)
悟は喉まで出かかった言葉を根性で飲み込んだ。さっきまで盛りのついた雄猫とかケダモノとか散々言われた身である。嫌味のひとことも言ってやりたかったが、なんとか我慢した。
「あの……貴女は?」
愛菜は茉莉花のほうを見た。
「当館の女将、鳥越茉莉花でございます」
茉莉花は丁寧に脱衣場の床に三つ指をつき、挨拶をした。
「女将……?」
このとき、なぜか愛菜は深刻な顔になり、一歩あとずさった。
「愛菜さん、ここって十二時になると混浴になるらしいよ」
「混浴?」
「だから、このカーテンが開いたんだってさ」
「まぁ、そうなんですか?」
「つまり、俺が開けたわけじゃないってこった。誤解はとけた?」
「はい」
どうやら事情を飲み込んだらしく、愛菜は舌を出した。アラサー美人のテヘペロというものも、なかなかかわいい。
「あの、女将さん」
再び真剣な顔になった愛菜が、口を開いた。
「夕方五時半ごろ、この旅館にいらっしゃいました?」
「いいえ、寄り合いで出かけておりました。時間がかかりまして、いま帰ってきたばかりですわ」
またも茉莉花は丁寧に三つ指をつくと……
「では、ささやかな温泉ではありますが、楽しい混浴のひとときをお過ごしくださいませ」
ふたりを恋人同士だと思っているのか、なんとなく何かを含んだ笑いを見せ、茉莉花は脱衣場から出て行った。ここには再び、悟と愛菜のふたりだけが残された。
「どうかした?」
悟は黒い下着姿のまま、立ちすくむ愛菜を見た。茉莉花を見たときから、なんとなく様子がおかしい。
「一条さん……」
黒い下着姿の愛菜は悟に告げた。
「あの女将さん、人外に取り憑かれています」
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