混浴でドッキリ! 悟とアラサー女子の、アツアツ温泉紀行 3
「当館の料理長は、かの剣聖スピーディア・リズナーにも食べていただいたことがあるそうです。それが人生最大の誇りと言っておりました」
この旅館の女将である茉莉花は言った……
“ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ”
唐突に自分のことを言われ、落ち鮎を食っていた悟は咳き込んでしまった。
「まぁ、小骨をひっかけてしまったのかしら」
茉莉花が背中をさすってくれた。妖艶な彼女は、その手つきの感触もどこかいかがわしいが、別に他意はないのだろう。
「あァ、いや、最近寒くなってきたせいか、痰が絡みやすくなって」
周りにいる年寄りたちと同じことを言って、悟はウーロン茶を飲み干した。
「ちなみに私もスピーディアの大ファンだったのです。あんなことになってしまって悲しいですわ」
茉莉花は和服の上からでも豊満とわかる胸元からハンケチを取り出し、それで目のあたりをおさえた。多くの人たちから愛された異能業界のスーパースター、剣聖スピーディア・リズナーの死が報じられたのは今年の夏のことである。それを聞いた世界中の人々が悲しみのあまり流した涙の量は、太平洋と大西洋とインド洋を合わせた海水量に匹敵した、と報じた新聞社もあった。愛刀オーバーテイク片手に、人々の生活を脅かす人外の存在や異能犯罪者に立ち向かった彼は、一部の心ない連中から“偶然の”剣聖などとも呼ばれたが、やはり人気者だったのだ。
「ですが私は、彼はどこかで生きているのではないかと思っております。無敵を誇ったスピーディアが亡くなるなどと、私には信じられません」
茉莉花と同じ考えを持つ者は多数いる。むしろ本気で彼の死を信じている人が、どれほどいようか? 剣聖スピーディア・リズナー生存説はいまだ根強く、“どうせどこかで生きてるんだろ”、“一生遊んで暮らせるだけの金を稼いだから引退しただけ”、“税金払いたくないから死んだフリをしている”、“いやいや、女とシケこんでいるに違いない”、“女を妊娠させて逃げ回っている”、“しかも認知する気がないとか男として最低w”、“捨てた女に背中を刺されて療養中”、“うんにゃ、ブサイクな石油王の娘から求婚されており必死で逃走中”などといった勝手な推測がネットで散見される。それらの多くが女絡みなのが彼らしい。
「ああ、せっかくの楽しい宴会に水をさすようなことを言いまして申し訳ありません。ごゆっくりと、おくつろぎくださいませ」
みたび三つ指をつき、そう言い残すと、茉莉花はこの場から退出した。
「おぬし、相変わらず人気者じゃのう」
茉莉花がいなくなったので、平太郎が小声で茶化してきた。彼は悟と剣聖スピーディア・リズナーが同一人物であることを知る、数少ない人だ。
「おかげさまで……」
悟はひとこと気のない礼を述べ、また落ち鮎に箸をつけた。塩味と苦味がバランス良く整えられており、やはり美味い。
「しかし、あの女将いい女じゃのう。わしが“十年”若ければ口説いておったわい」
「“四十年”のまちがいだろ?」
「馬鹿言うでない。わしゃあ、まだ現役じゃ。女子高生から人妻まで幅広い年代の“ぎゃる”たちがうちに来るぞい」
平太郎の日課は女たちを相手にした人生相談である。この老人の家には毎日のように女性客が訪れる、というのはウソではない。
「最近の若者は、なっとらん」
十数分後、ここに集まった老人のうち、誰かが言った。すると……
「そうじゃな。昔は、こういう集まりには皆、こぞって参加したものじゃ」
「今時の若者には社交性が欠けておる」
「わしら年寄りに対する敬意がないんじゃよ」
「自分ひとりでなんでもこなせると思っておるのが気に入らん」
「自営をいとなむ商売敵であっても、交流は必要なのじゃがな」
「今の若者にはそれがないのう」
皆が“イマドキの若い自営異能者”に対する不満をぶちまけた。酒が入っているせいか、異能を持つ老人たちの口は好調である。
(そりゃあ、そうだろう)
悟は彼らの様子を見ながら、落ち鮎の次に出された炊き合わせに箸をつけた。大根とエンドウ豆の煮物で、醤油で薄く味付けしてある。上品な味で、これも美味い。
ただでさえ若者の酒離れ、飲み会離れが進んでいる御時世である。こんな前時代的ノリの老人たちと共に過ごしたいと思う若手の自営異能者は少ないだろう。孫ほどに年の離れた彼らは鹿児島自営異能者友の会の会員であっても、こういう場には姿をあらわさない。皆“仕事で忙しい”と理由をつけて断るのである。悟自身、平太郎からの借りを返そうとしているだけであり、すすんで参加しているわけではない。
「まぁまぁ、じゃが、わしらも若い頃は、そうじゃったではないか」
この“鹿児島自営異能者友の会”の会長である山吹徳之進は言った。彼は、そんな若人たちに理解があるようだ。
「そうじゃな。それに若者たちも、歳の離れたわしら老人と酒を飲んでも楽しくはなかろう」
平太郎も若者らの肩を持った。
(わかってンなら、俺を誘うんじゃねぇよ)
隣に座る悟は口には出さず、心中で平太郎に不満をもらした。
「その点、一条さんは偉いのう」
また、老人たちのうちの誰かが言った。
「そうじゃのう、ちゃんとこの場に参加しておるからのう」
「若いのにしっかりしておるわい」
「何十年も鹿児島を守ってきたわしらと交流を持とうというのは立派な心がけじゃ」
「その謙虚さを大切にせんにゃいかんぞ」
他の老人たちも悟を絶賛した。一部に訓戒めいた言葉もあるが、皆、悟に対し好印象を持ったようだ。
「こいつは、わしら年寄りに敬意を払う素直で良い子じゃからのう。これからもよろしく頼むぞ」
それらに対し勝手なことを言う平太郎。鹿児島で比肩する者などいない好爺老師のひとことに、老人たちは感激の表情を見せた。
「さすが老師様の弟子じゃ」
「一条さん、困ったことがあったら、いつでもうちに来なさい」
「鹿児島で自営業をいとなむ以上、あんたはわしらの孫も同然じゃ」
皆が悟を見て喜んでいる。こうなると、よけいに退室しづらい。老人たちの笑顔を見ると“そろそろ僕は退散します”とも“腹が痛いので退散します”とも言えない。
そのとき、襖が開いた……
「ごめーん、おじいちゃん。遅くなっちゃったぁ」
そこにあらわれたのは、ひとりのうら若い女だった。肩にかかる長さのダークブラウンの髪はつやつやとしており、その毛先が外ハネしている。グレーのパーカーを着ており、ほそく形の良い脚に履いたスキニーのデニムが似合っていた。どこか大人かわいいといった雰囲気の美人である。おじいちゃんと言ったが、いったい誰の“孫”なのか?
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