混浴でドッキリ! 悟とアラサー女子の、アツアツ温泉紀行 4

 

「ごめんねー、おじいちゃん。“仕事”で遅くなっちゃった」


 襖を開けて入ってきた若い女。枯れたジジイだらけのここに似つかわしくない美人である。“シルバー”世代でまみれた、こんな場末の温泉旅館の宴会場に突如降り立った“紅”一点は女神にも天女にも見えるものだ。すくなくとも今の悟には、そう思えた。


「おう、来たか」


 応えたのは、この“鹿児島自営異能者友の会”の会長、山吹徳之進だった。


「一条さん、これはわしの“孫娘”なんじゃよ」


 徳之進は紹介した。なんと、この老人の孫だという。似ても似つかないが。


山吹愛菜やまぶき あいなです」


 愛菜、という名の女は、かるく会釈してきた。年の頃は二十代後半あたりか。見た目は大人かわいいといった感じだが明るく、気さくな声だ。


 “あァ、こりゃどうもどうも、一条です”


 と、悟は立ち上がって、そう挨拶しようとしたが……


「おう、愛菜ちゃん。久しいのう」


 平太郎の口のほうが早かった。そして、この老人は手も早い……


「しばらく見ンうちに、いい女になったのう」


「あらやだ、老師様。先々週、お会いしたばかりですよ」


 愛菜は自分の尻に伸びてきた平太郎の手の甲をつねった。


「あいたたたた……」


「もう、相変わらずスケベなんだから」


 真っ赤に腫れ上がった手の甲に息を吹きかける平太郎を尻目に、愛菜は会場の老人たちに“遅れて申し訳ありません”と挨拶をした。


「おお、愛菜ちゃん。来たか」


「待っておったぞい」


「こっちへんね」


「さあさあ、飲まんか」


 しわしわの顔で喜ぶ老人たちにすすめられ、畳に座った愛菜はとりあえずコップを手に取り、誰かがついだビールに口をつけた。


「愛菜ちゃんは美人で付き合いが良いので、鹿児島の年寄りたちに人気なんじゃよ」


 平太郎が悟に説明した。老人たちと社交的に会話しながら接している愛菜の姿は、まるで老健施設に慰問にやって来た歌手のようだ。そして当然、彼女も異能者であるはずだ。


「腕も立つようだな」


 悟は、赤く腫れた手の甲におしぼりを当てて治療中の平太郎に嫌味を言った。この旅館の温泉は内出血にも効くというので、ちょうど良いだろう。






 老人たちのつどいは早くに始まり、そして早くに終わるものだ。日が高いころに開始された宴会は七時にお開きとなった。酒宴を終えた皆は、この“てんがらもん旅館”の名物である温泉へと向かい、次はしばしの湯宴を楽しんだという。飲酒直後の入湯は体に良くない、と医師は言うが、異能を持つ老人たちは通常人に比べ元気で屈強であるため、医学上の根拠を持つ理屈に耳を貸さない者も多い。“異能者の不養生”などという言葉もあるくらいだ。






 午後十一時四十五分。すでに老人たちは寝ていた。旅行シーズンを外しているせいか他の客は少なく、旅館内はひっそりとしている。廊下の灯りはついているが、節電のためかうす暗い。夜勤の従業員が居るはずだが、その姿も見えない。


 さびしく、静かな旅館の廊下をひとりの男が歩いていた。右手のバッグには着替え一式と洗面用具……つまりマイ温泉セットが入っている。長袖Tシャツにストレートジーンズを穿いたその美しい姿は、こんな暗く古臭い旅館にも一抹の光を与えるかのように映る。かつて世界中を熱狂させた彼は異能業界の世界的スーパースターだった。今は鹿児島に身をひそめる一介のフリーランスであり、あの老人たちと同等の立場である。それであっても輝きを放つのなら、さすが元有名人と言えよう。


(さァ、温泉だ温泉!)


 身も心も、そして足どりも軽く。悟は楽しみにしていたのだ。煩わしい老人たちが寝静まったこのときを。彼らに邪魔されず、のんびり温泉につかることができるこの時間帯を狙っていたのだった。雲の上の存在たる剣聖スピーディア・リズナーにも庶民的な一面というのはあるものだ。


 一階のロビーにたどり着いた。レトロな木造建築であるせいか、ここもどこか昭和の匂いである。小さな駅の改札に似た受付に人はいないが、奥に電気が灯っている。おそらく従業員が控えているのだろうが呼びもしない限り出てくることはあるまい。土産物を取り扱っている売店はすでに木戸が閉じており、客に営業時間外を告げている。


 その売店の脇のほうに通路が伸びていた。温泉へと通じている。悟はそちらへと足を向けた。そのとき……


(おや……?)


 ロビーの端のほうにある休憩用のテーブル席に人が座っていた。女である。スマートフォンをじっと見つめているが……


「あら?」


 向こうも、こちらに気づいたらしく声をかけてきた。さきほどの宴会に途中から参加した山吹愛菜ではないか。


「今から温泉ですか?」


 愛菜は訊いてきた。うす暗い中、スマートフォンの画面からこぼれる光のみが彼女の美顔を人工色に染めあげている。それもまた、悪くはない眺めだ。美人は、どのような状況でも美人である。


「まあね」


 と、答え、悟は近づいた。今の愛菜は色っぽい浴衣姿である。酒はとうに抜けているようで、夜更けに映えるほろ酔い美人というわけにはいかないが、やはりいい女だ。


「君は、もう入ったの?」


 そう悟が訊くと、愛菜は首を横に振った。


「いいえ、あたしも今から入ろうかと思っているんです」


 彼女は、席の横に置いてある自分のマイ温泉セットを指さした。


 

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