混浴でドッキリ! 悟とアラサー女子の、アツアツ温泉紀行

混浴でドッキリ! 悟とアラサー女子の、アツアツ温泉紀行 1

 鹿児島といえば温泉である。火山の恩恵を受けるこの地、鹿児島県には二千七百箇所をこえる源泉があり、観光で訪れる人々を豊富な湯量で迎え入れる。地中深くから湧きだすそれらの泉質はバリエーションに富んでおり、初心者向けの単純泉、二酸化炭素泉から上級者向けの塩化物泉、硫黄泉までと幅広い。


 鹿児島市内だけでも二百七十以上の源泉があるとされている。これは県庁所在地にある源泉数としては日本一を誇る。そのため鹿児島市内に八十箇所ほど存在する公衆浴場のほとんどが天然の温泉となっている。さらに、それらの大半が湯の再利用を行わないかけ流しである点も魅力だ。入浴セット片手に歩いて行ける場所に温泉がある、というのは鹿児島市民が持つ特権と言って良いだろう。






 十一月七日。そんな鹿児島市内から五十キロほど離れた霧島きりしま牧園まきぞの。かつて坂本龍馬が新婚旅行で訪れたことで知られるここもまた温泉郷として名高い県内有数の湯治場である。溝辺みぞべにある鹿児島空港からも近く、多くの観光客が訪れるこの地は、霧島連山から吹く風のせいか肌寒かった。紅葉をつけた街路樹も、やや厚めに着込んだ地元の人々もすっかり晩秋の装いで、さほど遠くない冬の到来を待ちわびる。寒い時期こそが最高の温泉シーズンであるためだ。夏場に思いきり汗をかきながら入るのも悪くないが、やはり冬こそが一番の温泉びよりとなる。寒空の下で入る露天風呂には格別の気持ちよさがある。


 牧園を走る国道223号線沿いのはずれに、しなびた温泉旅館があった。古い。あまりにも古ぼけた旅館である。木造三階建ての和風建築は結構な大きさを誇るが老朽化が激しく、ところどころ外装が剥がれ落ちている。屋根の瓦は塗りなおしたようすもなく色あせており、客が腰かけるために置かれた表玄関脇の木製ベンチには背もたれと脚部にDIYによる補修の跡が見える。


 “宿泊温泉てんがらもん旅館”。玄関上のレトロな木製看板に、そう書かれていた。創業昭和三十一年の老舗旅館である。昨今、この霧島にも今風の温泉ホテルや近代的な宿泊施設が続々建ち並び、観光客の取り合いが激化する中、それらとは異種の我が道を行くスタイルでカルトな人気を誇っている。某予約サイトのレビューを見ても“流行りに媚びてないところが良い”、“古いけど清潔”、“泉質最高”、“料理が美味しい”、“接客が丁寧”とあり、このような古風ななりでも評判は上々だ。


 そんな“てんがらもん旅館”の中に入ると……


「いらっしゃいませ」


 と、和服を着こなしたスタイル抜群の美女が出迎えてくれる。一見、こんな古ぼけた旅館に似つかわしくない彼女の名前は鳥越茉莉花とりごえ まりか。ここの女将である。


「本日は、ようこそ当館へおこしくださいました」


 丁寧に頭を下げる茉莉花。夜会巻きにした髪から芳香が漂ってくるような錯覚を起こしてしまうが、花か女神のように美しいのだから無理もない。現在四十五歳の人妻であるが、見た目は十歳ほど若く見える。高校生の子供が二人いると聞いただけで皆が驚くものである。


「ご予約を承っております。遠路はるばる、ありがとうございます」


 茉莉花は、もう一度頭を下げた。その澄んだ美声は聞いた人に上質な鈴の音を思わせるものである。身長百六十七センチの彼女はアメリカ出身の帰国子女。かつて大手航空会社のイメージガールをつとめたこともある。その後、英語ペラペラの“バイリンギャル”としてタレントに転身し、一時期はバラエティ番組を飾る花としてテレビで活動していた。当時、広告代理店に勤務していた夫と結婚したのち、惜しまれつつも芸能界を引退した。


 旅館の中に入ると、これまたレトロな空間があった。さほど大きくない玄関で靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて上がると、すぐ左手で待ち構えているのは、小さな駅の改札に似た質素な受付カウンターである。


「おそれいりますが、こちらにご記帳をお願いいたします」


 茉莉花が促すと、受付の奥にいるパート主婦らしき和服姿の女がカウンター奥から台帳を差し出した。必要事項を書きしるし、渡す。


「料金は後払いとなっております。クレジットカード? もちろん、お使いいただけます」


 ほのかな笑顔で接客する茉莉花の、うなじのあたりから漂うものは濃厚な色香だった。熟女とも呼ばれる年齢にさしかかった彼女のスリーサイズは上から88、60、87。 テレビの深夜番組や水着グラビアで世の男性視聴者を存分に悩殺していたころと寸分違わぬ美ボディを今でも維持している。夫が実家であるこの旅館を継いで十八年。嫁いだ彼女は女将として、その細腕で支え続けてきた。


「それでは、お部屋にご案内いたします」


 もはや艶の結晶体といった顔で茉莉花は今日も客を館内に通す。数年に一度、“あの人は今”的なテレビ番組の取材を受ける立場の彼女はタレント時代から変わらぬ美貌で“てんがらもん旅館”の看板を背負い続けている。熾烈な観光競争の中、老舗といえども大型ホテルなどに駆逐されるのが弱肉強食のこの業界だ。創業からの長い歴史の上にあぐらをかいていては生き残れない。優れたサービスと真心こそが客を引き寄せる最大の武器なのだった……






 てんがらもん旅館の三階に和室の小宴会場がある。広さは二十八畳で二十名ほどを収容できる。さきほどから数名の仲居たちが料理や酒を持っては出たり入ったりを繰り返している。宴会場の入り口に置かれている歓迎看板には“鹿児島自営異能者友の会御一行様”とあった……


「なるほどなるほど。それはまた、えらく災難じゃったのう」


 神宮寺平太郎じんぐうじ へいたろうは、お湯で割った焼酎が入ったコップ片手に、腹を抱えて笑っていた。好爺老師こうやろうしの異名を持つこの老人は鹿児島の異能者たちから絶大な尊敬を集める身である。


「笑いごとじゃありませんぞ老師様。一年ぶりの“仕事”で現場に出たとたん、この有様ですじゃ」


 平太郎と隣り合わせで座っている白髪の老人は、おもむろに立ち上がるとズボンを脱いだ。さらにその下に穿いていたももひきの尻の部分をずらす。


「ほう、これはこれは、さぞかし痛かったことじゃろう」


 平太郎は、それを見てさらに愉快そうに高笑いした。話し相手の老人の尻にくっきりと“歯型”がついているではないか。


「久々の戦闘でカンが鈍っておったらしく、背後にもう一体の人外がいたことに気がつかなかったんですじゃ」


 好爺老師たる平太郎に対し、“ごぶれさあ”にも生ケツを向けているこの白髪の老人の名は山吹徳之進やまぶき とくのしんという。鹿児島自営異能者友の会の会長であり、もちろん異能者である。


「それで“噛みつかれた”か。こりゃ傑作じゃ」


 酒が入っている平太郎は、もはや高笑いを通りこしたバカ笑いをしながら自分のハゲ頭を叩いた。食事中に見るものとしては不適切な徳之進の尻の歯型は戦闘でついたものらしい。背後から人外の存在に噛みつかれたという。


「次に現場に出るときは藤代アームズ製の“戦闘用ももひき”を穿くことにいたしますじゃ。このままでは尻が三つに割れてしまいますからのう」


「そりゃあいい。藤代のお嬢さんのところの物が一番頼りになるからのう」


 いま、ここで宴会をしている“鹿児島自営異能者友の会”とは薩国警備や退魔連合会のような組織に属していない鹿児島県内の自営異能者フリーランスたちが集う交流会である。この“てんがらもん旅館”と同じく昭和の時代に設立されたもので歴史は古い。イマドキに合わせると同業者サークルとでも呼ぶべきか。表向きは情報や意見の交換、もしくはその名の通り鹿児島を守る自営異能者たちの交流を目的に存在している。彼らの慰安旅行がおこなわれているのだった。


「しかし女に付けられた歯型なら自慢もできるがのう」


 焼酎をグビグビりながら軽く下ネタをぶちかます平太郎。実は内情は単なる飲み会の集団じゃないか、と揶揄する一部の声もあるが、彼ら自身が支払っている会費で成り立っているため世の中から文句を言われることはない。人々の血税で運営しているくせに世間に自らの存在を公表しない薩国警備のほうが、よほど叩かれている。


「いやいや、老師様と違って生涯現役というわけにはいきませんからなあ」


「わしゃ特別じゃ、女のほうからこっちに寄って来るからのう」


「これはこれは、老師様の絶倫ぶりにはかないませんのう」


 盛り上がっているのは、そんな平太郎と徳之進だけではなかった。見ると、宴会場のあちこちですでにできあがっている。そのすべてが年輩で、しかも男。品性皆無な話に花が咲くのも無理はない。


 そんな平太郎の隣で座布団の上にあぐらをかき、おもしろくなさそうにしている男がいた。女性的で美しいこの男は、かつて世界を股にかける大人気の剣聖だった。今は、とある犯罪組織の目から逃れるために生まれ故郷の鹿児島に身を隠し、しがないフリーランスとして生活している。


(なんとかして、このジジイだらけの宴会から抜け出す方法はないものか……)


 一条悟は、あれこれと考えをめぐらせていた……

 



 

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