ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜 10

「一条さん、あなたは心に“よりどころ”を持たない人だ」


 志村は言った。自分の人を見る目に疑いはないのだろう。自信たっぷりといった様子だ。


「子供の頃から心理学を研究し、多くの人々を操り、ゆすりをビジネスとしてきた僕にはわかるんですよ。あなたには故郷があっても、そこにノスタルジックな想いを抱くことはない。あなたには友がいても、自分の背中をすべて任せるようなことはない。空想の世界にひたることもないし、怒りや復讐心を行動力に変換することもない。子供のころから戦いに明け暮れ強くなったあなたは、よりどころを持たずとも前に進むことができる。そういう人です」


 志村はソファーにかけたまま、悟を見上げ薄く笑った。他者の心理を追いもとめてきた彼は対面する相手の本質を見抜くことに一種の生きがいを感じているのかもしれない。


「心理操作の基本は相手のよりどころを的確に刺激することにあります。その者が自己の能力に自信を持っていればおだて、その者が家族を大事にしていればたたえる。でもね一条さん、あなたみたいにある意味空虚なタイプは自分の内外によりどころを持たない。そういう人に心理操作は通用しません」


「なぜ彼女の妹を殺した?」


 悟は介抱を受けている寿子を指さした。彼女の妹が志村の手により殺害されたことは悟も知っているらしい。


「あの娘はこの店でバイトをしていたんですよ」


 そう答える志村の顔に後悔や反省の色はない。あるのはさっきから継続している薄ら笑いだけだ。


「あの娘がある日言ったんです。“店内で妙な音がする”ってね。つまり彼女には例の“音”が聴こえていたわけですが、心理操作を受け付ける他の客のように“特定の行動”をとらなかったんです。それがどういうことかわかりますか、一条さん?」


「“よりどころ”を持ってなかった、ってことか」


「そう、そうなんですよ!」


 このとき、なぜか志村の顔と声に初めて抑揚の光が灯った。


「僕は音に影響を受けなかった彼女に興味を持った。そこで、いろいろと聞き出してみたんです。家族のことや通っていた専門学校のこと、友人や恋人の事などをね。そうしたら、あることがわかりました」


「よりどころがなかった、ってことが?」


「ええ、彼女はそこにいる姉とふたり暮らしでした。実家は大崎の農家でそんなに裕福ではなかったそうですが、美容師になりたいという娘の学費をなんとか捻出していたそうです。姉も自分の給料の一部を妹のために使っていたようです。それなのに彼女は家族や実家を心のよりどころとしていなかった。なぜだと思います?」


「なぜ?」


「彼女はね、姉や両親のことを愛していなかったんですよ。経済的に支えてもらっていたのにね」


 語る志村の目に熱狂の火がついていた。精神分析を好む彼にとって、ここでアルバイトをしていたという寿子の妹はよほど興味深い存在だったようだ。


「正確に言えば彼女は異常すぎる“自己否定感”の持ち主だったんです。自分自身をいっさい肯定せず、否定することで精神を保つ。ああいうタイプは、本質的に陽性で強いあなたとは全く異なる理由で“よりどころ”を持たないのです」


 志村の説法は精神学の“専門家”ならではのものなのだろう。ならば殺された寿子の妹が家族を愛していなかったわけとはなにか?


「ですが、自己否定感が強いからといって、人間の心の根幹にある故郷愛や家族愛まで欠落することは通常ありません。そこで彼女のことをもっと深く知るため僕は交際を申し込みました。男と女として付き合いはじめたんです」


「それで、なにかわかったのか?」


「最初は幼少期の虐待を疑いました。次に親や姉と血が繫がっていないのではないかとも、もしくはあなた方が人外の存在と呼ぶ化け物に取り憑かれ心をなくしたのではないかとも考えました。ですが彼女の言葉の端々からそれらの事実をうかがうことはできず、また身体に傷もありませんでした。さきにも言ったとおり彼女に心理操作はきかないため、普通の恋人同士として向き合い、すこし時間をかけて探り出すことにしました。すると驚くべきことが判明しました」


「それは?」


「彼女には目的や夢を持つ、という感情がなかったんですよ」


 たしか、美容師になりたくて専門学校に通っていたはずだが、どういうことなのか?


「人間は大なり小なり目的か夢を持ちます。大は将来なにかになりたいとか誰かとそいとげたいなどといった人生全般に影響を及ぼすのものです。そして小はなにかを楽しみたいとかなにかを食べたい飲みたいといった比較的短期に実現できるものをさします。だが彼女にはそういったものが全て欠けていた」


「理由はわかったのか?」


「精神科への通院歴があること以外、いくら彼女と共に過ごしてもわかりませんでした。ですが目的や夢を持たない彼女がなぜ美容師を志したのか、それを聞き出すことはできました」


「なぜだ?」


「高校の“進路希望調査”でした。将来の夢など持たなかった彼女は当然に進路を思いつかなかったわけですが、提出が義務付けられていたらしく。それで前日に美容院に通った事を思い出し“美容師”と書いたそうです。考えるのが面倒だったのでしょう」


 つまり彼女は、なりたくて美容師の道へ進んだわけではなかった、ということになる。


「ところがね、担任からその話を聞いた彼女の両親と姉はたいへん喜んだそうです。夢も目的もなく冷めた娘に、とうとうやりたいことが見つかったのだ、と」


 だから彼女の両親は裕福でなくとも専門学校に行かせていたのだろう。


「当の彼女は迷惑がっていました。愛してもいなかった両親からの愛情を受ける立場となり、愛してもいなかった姉とふたりで暮らすこととなり、さしてなりたくもない美容師の学校に行かされることになった。ですが彼女のほうは引っ込みがつかなくなってしまい、また嘘の進路希望を提出した理由を説明することを面倒と感じていたようです」


 志村は、ひと呼吸をおき、さらに続けた。


「彼女の心はね、いろんな意味で“壊れて”いました」


「どういう意味だ?」


「彼女には目的や夢のみならず、“なにかを好む”、もしくは“愛する”という人間の基本的な感情が欠けていたのです。いっさいの趣味を持たない娘でしたが、好きな食べ物もなく、好きなタレントもなく、好きな男性のタイプもない。なにかに熱狂することもなく、只々冷めていた。“なぜ僕と付き合っているのか”と訊いたら“いっしょにいるうちは、お金に困らないから”とも“セックスが気持ちいいから”とも言っていました。恋人である僕に対する愛すらも持ちあわせていませんでした」


 彼女のことを語る志村のほうにむしろ熱狂があるように見える。彼にとっての彼女とは、交際相手としてではなく研究対象として価値があったのか。


「僕は彼女が家族に対する愛情をなくすほどに壊れた理由を追及することをあきらめました。これは彼女の過去をさんざんに洗い流さなければわからないことだからです。ですが不可能だ。だが、そうなると精神分析を志してきた僕の中に新しい欲望がわいてきたんです」


 志村は酒ではない別のなにかに酔ったように立ち上がった。脚が長く、しなやかな長身である。


「“壊れた”彼女に“恐怖”を与えたくなったんです。その手段は、おわかりでしょう?」


 彼は悟のほうをまっすぐに見た。


「どんな人間でも物理的な暴力の前ではおののき、泣き叫ぶものです。だから彼女を殺すことにしたんですよ」


 

 

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