ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜 11
「どんな人間でも物理的な暴力の前ではおののき、泣き叫ぶものです。だから彼女を殺すことにしたんですよ」
立ち上がった志村。その目にこそ、心をなくしたという彼女が持たなかったであろう感情が宿っていた。いわば動的な、そしていわば熱意とでもいおうか、そういうものがあった。
「さきにも言ったとおり、心が壊れていた彼女は自己否定感の塊のような女でした。常々、自分には何もなく、そして自分には生きる価値もないと言っていました。ならば殺してあげようか、と言ったとき、彼女は何も答えませんでした。自分で死ぬ勇気などなかったのでしょうが、逃げることも、そして拒絶することもありませんでした」
志村は天井を見上げ笑った。狂ってはいても、その目にはなぜか哀しみがあった。
「おまえは、彼女を愛していたのか?」
悟は訊いた。
「愛……? 単なる個人的興味の対象を振り向かせることを“愛”と呼ぶのなら、そうなのでしょう」
志村は泣いていた。その涙は口先よりも雄弁に、その心境を物語っていた。
「極端な自己否定の念が彼女の心を壊してしまった……と僕は最終的に“診断”しました。その結果、人も家族も愛せなくなり、夢や目的を持たなくなり、ああいう空虚な女ができあがったわけです。なぜそうなったのかではなく、その事実をつきとめたとき、そして僕に対する愛が灯ることが絶対にないと確信したとき、心理の探究者たる僕の中の殺意が目を覚ました。肉体的物理的恐怖を与えれば、あの氷のような心に一瞬の感情がともるのではないか、とね……」
「だから彼女を殺した……というわけか。歪んだ愛情だな」
悟が言うとおり志村の思いは正常な愛ではなかったようである。
「おまえにとっちゃ、さぞかし、いい女だったんだろうな」
「冷めた魅力、というものがありましたかね……そして少なくとも、そこにいる彼女の姉よりは可愛かったですよ」
志村が見た先……悟の背後から寿子が歩いてきた。その地味な顔は真実を知ったことで怒相を浮かべている。
「やはり、あなたが妹を殺したのですね」
親切な女性客たちから介抱され、なんとか歩けるまでには回復したらしい寿子は志村の前に立った。上にはさきほど悟が“スカジャン”から奪ったスカジャンを着けているが、下は自分のデニムを穿いていた。さっき彼女をレイプしようとした三人組から相当量のテキーラを飲まされたため、まだ足どりはおぼつかないが、今の話は聞いていたようである。
「自首してください。罪をつぐなってください」
寿子は震える涙声で志村に告げた。もとは穏やかで争いを好むたちではないのだろう。団地妻のように熟れた肉体もまた、着衣ごしでもわかるほどに怒りと悔しさに震えている。
「自首しないのならば、これから私は警察に駆け込みます」
「あなた方をここで消せば、僕の罪は誰に知られることもなく、たち消えるんですよ」
志村の罪、とは心理操作を用いてこれまで働いてきた恐喝及び殺人である。悟を前にしたこの状況下であっても、どうやら逃げおおせる気でいるらしい。
まるで……血に飢えた刃のような“殺気”がした。それは向こうで踊る客たちの靴音も、大きく鳴り響いているダンス音楽も、彼らのテンションに火をつけるミラーボールの輝きも、この場にあるものすべてを両断しそうなほどに鋭いものである。
いつの間にか悟の左側に“ひとりの男”が立っていた。どうやら、こいつが殺気の発信元のようだ。
「あんた誰だい?」
と、訊ねた悟は、その存在に気づいていたらしく、すでに寿子を自分の右側にかばうようにしていた。
「我が名は
男は野太い声でなのった。背は悟より高く百八十センチをこえておりガッチリ系。着ているグレーのスーツがダブルであるため、良い体格が強調されている。長髪をうしろで結っており、無骨な侍のような風格がある。そしてゴツい左手には、鞘に入れた“日本刀”を持っている。戦闘能力を有する異能者に違いない。
「僕の“用心棒”ですよ。こういう“ゆすり稼業”をやっていると、人のうらみを買うことも多いので、その対策です」
志村が雷同という男のことを紹介した。
「あなた方には、ここで消えてもらいます。こちらの都合でね」
勝ちを確信しているのか、志村には余裕が見える。
「ステージに上がれ」
雷同は親指でお立ち台をさした。悟に登壇をうながしているのだ。
悟と雷同は、お立ち台に上がった。普段、このクラブの主役となる客たちが踊るために用意されたそこは、これから異能両者の対決の場となる。いや、このふたりこそが今宵の主役と言えるだろう。こののち行われる殺し合いをひと目見ようと、皆が群がってきた。
『HEY、おまえら! 今から当店のバウンサー雷同と、イケメンゲスト一条悟の決闘が始まるぜ! 刮目してlooking for battle!』
DJが、さながらリングアナウンサーのようにマイクで煽った。すると、お立ち台を取り囲む客たちから歓声があがった。
「一条さァん、がんばってェー!」
さきほどまで志村と飲んでいた金髪ギャルが黄色い声援をおくった。事情を深く知らぬ彼女は今、お立ち台の下から決闘を見物するギャラリーの一員である。どうやら悟の味方のようだ。
「サトル、あんたが勝ったら、ご褒美に今夜寝てあげてもいーわよ」
その相方の褐色ギャルがお立ち台の悟に聴こえるように言った。すると、他の男性客たちから、ひやかしの笑いと口笛が巻きおこった。
『おーっと! 美女ふたりから声援を受けているのはゲストの一条のほうだ! しかも、うちの常連の褐色ちゃんからエッチなお約束が出たぞーッ!』
DJが叫ぶと客たちの声援が最高潮に達した。
“い・ち・じょう! い・ち・じょう!”
“せーっくす! せーっくす!”
その無責任な声の嵐は店内に異様な熱気を生んでいた。そう、この店に通う彼らが求めていたものがここにある。それは退屈な日常を忘れさせてくれる“刺激”であった。
『異能者同士の決闘なんて滅多にお目にかかれるもんじゃないぜ! 今日来たお客さんたちはラッキーだ。どっちが勝っても恨みっこなしの一本勝負、オラオラおまえら、もっと声援送れや!』
DJが叫ぶと、周囲の歓声がさらにヒートアップした。
“こ・ろ・せ! こ・ろ・せ!!”
“せーっくす! せーっくす!!”
職場や学校で蓄積された日常のストレスを解消するため、この店に通い踊る客たちは、これから目の前で起こるであろう刺激を求めているのだ。自分自身は傷つくことがない。痛みを感じるのは他者。ならば、これほど面白いショーがどこにあろうか? 生の殺戮を見ることができるのである。
「騒がしい客たちだな」
お立ち台の上で雷同は、対峙する悟に言った。スーツの上着を脱いでおりネクタイも外している。日本刀をさげている腰には、ワイシャツ越しからでもわかる野獣の貫禄があった。
ヤツと向き合う悟はフライトジャケットを着たままである。なにも言わず、答えず、ただ直立していた。
「一条とやら、これから死にゆくおまえにひとつ教えてやろう」
雷同は客たちの群れからやや離れたところに目をやった。そこにはひとりで立ち、不安そうな表情で勝敗の行方を見守る寿子の姿があった。
「あの女の妹を殺ったのは俺だ」
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