ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜 9
「“心理操作によるゆすり”……あんたが実行していた手口さ」
悟は本題に入った。向き合う大学生の志村は顔色ひとつ変えない。異能者を前にして、なかなかどうして、たいした度胸である。
「それも大がかりな集団によるゆすりだ。あんたが大学で結成したサークルを母体としているらしいが、今はこの店に出入りしている客たちの何人かも共犯ってことまでわかった。万事休すだな」
志村の手口とは、こうである。飲食店、スポーツジム、銭湯、遊技場などで自分の息がかかった者をターゲットに近づかせ、言葉巧みに窃盗や横領といった違法行為を持ちかける。相手が既婚者ならば異性を使い肉体関係を結ばせる。そういった既成事実を作り上げ、のちに、それをネタとして心理操作を駆使してゆするわけだ。
「四年にもわたって発覚しなかった理由は、あんたが共犯者や被害者の口を上手く封じていたからだ。最近、それもあんたの心理操作によるものだと判明してね」
さきほど寿子が志村につきつけた写真が良い例である。志村といっしょに写っていた男性教員は、この店に出入りしている未成年の少女と関係を持った。その後、黒幕の志村がゆすり金をせしめていたわけである。男性教員は警察に捕まったが、志村の心理操作が巧妙だったため、聴取されても黒幕──つまり志村の存在を口にしなかった。
「このクラブは、そのゆすりで得た金を架空の売上金として計上するために経営しているらしいな。これは税務署の調査でわかったことだが、この規模の店を持ったくらいじゃ今のあんたがしているような贅沢な暮らしはできないってこった」
悟は踊っている客たちを見た。楽しそうにしている彼ら彼女らの中に志村のゆすりに加担した者がいる。もっとも、それが誰なのかを調べるのは悟の仕事ではない。警察の仕事だ。
「心理操作を用いたゆすりをビジネスとして完成させるのが僕の夢なんですよ」
そう述べる志村に反省の色は見えない。
「人の心のもっとも奥底にあるものはなんだと思いますか?」
彼は自分の心臓に人さし指を当て問うた。
「食欲かな」
大飯食らいの悟らしい解答である。
「半分当たりです。正確に言えば欲望ですが」
「エスってやつか」
「ご存知でしたか」
志村はまっすぐに悟を見つめているだけである。
「ジークムント・フロイトが世に出た十九世紀後半以降、世界の精神学界は大幅な発展を遂げました。それで最も躍進した分野が心理操作だったんですよ」
そして彼は自分のこめかみを突っついた。
「脳を支配するマインドコントロール。もしくは催眠術、暗示……言い方と手法は様々ですが、これらの心理操作法は、元はひとつの学問から生まれたものです。フロイトが生み出した、いわゆる精神分析学です」
「そいつの応用、ってわけか」
「テレビでもよく取り上げられるスポーツ選手のメンタルトレーニングなども、その応用のひとつです。試合前に音楽を聴いたり、コーチがハッパをかけたりするアレです。肉体の可能性を限界まで引き出すには精神の強い安定が必要となる」
「なるほど」
「軍隊では兵士の戦意高揚の手として、またある国の警察では自白させる手段としても用いられています。薬物を使うより、もしくは拷問にかけるより人道的だとは思いませんか?」
「たしかにな」
「そして、異能者の機関でもね。これは一条さん、あなたのほうが詳しいでしょう?」
志村の言うとおり、国営の異能者機関でも精神学を応用した人員の強化術というものはおこなわれている。人外との戦いにおもむく恐怖感を取り除き、死をも怖れぬ戦士を作り上げるためだ。公表されないのは人道の観点から外れているからであり、各国機関が世間体を気にしてのことに過ぎない。
「で、この店で流れている音楽も、精神操作手段のひとつか?」
今度は悟が訊いた。
「よくわかりましたね」
志村はおおげさに手を叩いた。
「正確に言えば音楽の中にときおり大多数の人間の耳では聴き取れない周波の音を混ぜるんですよ。この音を無意識に脳で感じることができる少数派の人間は心理操作を受け付ける体質の持ち主です。僕は、それで自分のビジネスに関係できる者を探しているのです」
「どうやって見極めてるんだ?」
「行動です」
「行動?」
「踊っている最中にその音を脳で感じ取り、お立ち台に上がって目立つ行動をとる者は僕のビジネスパートナーとしてゆすりに加担する資質を持っている。逆にそうでない者は、ふらふらと踊りの輪から外れます」
「ここは加害者と被害者を選り分ける場でもあるってことか」
「その音は人間の交感神経と副交感神経両方に強く作用する性質を持つものです。つまり、それを聴いてテンションが上がる者は本質がかなり能動的であるため僕の代理人として標的に接触する能力を持つ。そうでない者は性質が受動的で、こちらの心理操作に耳を傾けます」
「一介の学生にしては見上げた悪党ぶりだな」
「もっとも、その音を聴きとることが出来る人間は千人に一人もいません。心理操作とは相手を選ぶものです」
「“顧客”を増やすために店の外や県外にも目を向けたってことか」
悟はフライトジャケットの懐からポータブルタイプのオーディオプレイヤーを取り出した。
「こいつは、その音を発信するためのものらしいな。あんたは自分の三下にこいつを持たせ、心理操作が通用する相手を探していた」
そのオーディオプレイヤーは鹿児島県内のサラリーマンが持ち歩いていたものである。街中で音を発信し、やはりそれに対し“ある特定の行動”をとる人物……つまりゆすりの標的を探していたのだ。
「知っていたんですか? 人が悪いなあ」
これには志村も苦笑した。そのサラリーマンもまた彼のゆすりに加担していた者だったが、数ヶ月前に交通事故で死んだ。通報を受け現場に駆けつけた警察官のひとりが突如鼻歌を歌いだし、それを不思議に思った同僚が精神鑑定を受けさせたところ、その警察官の脳波に異常が見られた。そのことから発覚したのである。サラリーマンの死体のそばに落ちていたプレイヤーはオンのままになっていたが、当然誰にも何も聴こえなかった。“聴こえる体質”だった件の警察官以外は……そして鼻歌は“特定の行動”だったわけだ。
「やり口は合理的だな。このプレイヤーからその音を流し、そこらへんをほっつき歩いていれば特定の行動をとるヤツがみつかるってわけだ。だが、足ってのは、どっからつくかわからねぇもんさ」
悟は大事な証拠であるプレイヤーをフライトジャケットのポケットにしまった。
「ところで、なぜ彼女の妹を殺した?」
そして、まだ女性客から介抱されている寿子のほうへ形の良い顎をしゃくった。
「一条さん……」
志村はため息をひとつついた。
「実はね、この音が聴こえても特定の行動をとらない人がいるんですよ。それはどういう人だと思います?」
彼は卓上の酒をひとくち飲み、グラスを置くと、また自分の心臓に指を当てた。
「心に“よりどころ”を持たない人ですよ。例えば一条さん、あなたみたいな人だ」
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