ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜 7
「一条悟」
悟は志村の前に立ち、なのった。天井のミラーボールが十四色の光線を発する中、店内の客たちの視線はすべて、突然あらわれたこの男の背中に注がれていた。
「ウソ……マジ超カッけーんだけど……」
志村の右側に座って悟を見上げる金髪ギャルの目には、二割の興味と、もう八割の賞賛の念が宿っていた。
「ヤバい……ヤバかっこいいよ……この人」
志村の左側に座っている褐色ギャルの、黒く縁どられた目は完全に釘付けとなっている。無理もない。かつて世界中の女性たちから絶大な支持を受け、少年たちの憧れの的だったこの男は女性的であまりにも美しすぎた。こんな場末のクラブですら、一流のダンスホールに見せてしまうほどに……
「元気なお友達がたくさんいるみたいだな」
悟は、頭に紙袋をかぶせられた寿子を見た。ベージュの下着姿で床に転がっている彼女の豊満な肢体は重力に負け、よりいっそうユルさを増している。デカい胸と、脂ののった腹回りに、欲求不満の団地妻のようなだらしなさが伺える。
「“げんきなおともだち”ってのは、おれらのことかー?」
滑舌の悪い“歯無し”がシンナー臭い息を吐いた。
「怪我したくなけりゃ、帰んな」
“スカジャン”は寿子を犯そうとして外していたベルトを巻きなおした。
「もう遅えよ、生きてここから出さねえ」
“顎髭”が両手を組んで指を鳴らした。どうにも一見の客には手厳しい店のようだ。そして三人とも優男の悟より体格が良い。傍目には彼らのほうが強者に見える。
最初に悟の前に立ったのは“顎髭”だった。
「俺は少林寺をやってたが、小学生のときムカつく師範を半殺しにして破門された身だ。強いぜ」
ヤツは左肩を悟に向け、構えた。左肘を脇腹につけ、左手は開いている。握った右手は顎の高さにある。たしかに少林寺拳法の構えだ。
その“顎髭”の体が不意に沈んだ。床に左手を付け、尻もちをつくようにして下段の蹴りを繰り出した。少林寺拳法の“水面蹴り”である。悟の足をすくう気か。風を切る速さだ。腕前を自慢するだけのことはある。
だが“顎髭”が蹴りですくおうとした標的は地面にはなかった。悟が軽くジャンプしてよけたのである。狙いを外した顎髭の体は左手を支点とし、大きなコマのように床で回った。そして悟の体は、まるで湖に止まる水鳥のごとく華麗に着地していた。
ところが、低い体勢でいる顎髭の頭上を“なにか”が飛んだ。“歯無し”である。ハナっからコンビネーションアタックを狙っていたのならば“顎髭”の水面蹴りは牽制に過ぎなかった、ということだ。なかなか喧嘩慣れした連中である。
「うきゃーッ!」
というカン高い掛け声一閃、“顎髭”の体を飛び越えた“歯無し”は開いた両手を十字架のように交差させながら悟に向かって飛んだ。フライングクロスチョップだ。この“歯無し”はプロレスファンらしい。
だが、お得意の空中殺法は不発に終わった。いつの間にか悟は、彼が勢いよく描く空中軌道のはるか横に立っていた。なんという早業、なんという身軽さ。空飛ぶ“歯無し”の体は獲物をとらえること叶わず、無様にも志村たちが座っているテーブルに突っ込んだ。
「ぴぎゃーッ!」
派手な音をたてながらテーブルの端に激突し、情けない声をあげる“歯無し”。ぶつけた額から血が飛び散った。
「だっせー」
そのカッコ悪い姿を見た金髪ギャルと褐色ギャルが同時に手を叩き笑った。どうやら店の常連仲間のこの三人より悟を応援しているらしい。
「ぷぎゃはろひれー……」
と、“歯無し”はシンナー臭い息を吐きながら、その場に昏倒した。
だが一瞬の間も置かず……素早く立ち上がっていた“顎髭”のハイキックが飛んだ。少林寺の師範を半殺しにしたという彼の経歴は伊達ではないようだ。スナップが効いた良い蹴りである。普通の相手ならば一発で仕留めることができるのだろう。
しかし相手は普通ではなかった。“顎髭”のたくましい足がリーチの頂点を越えたとき、すでに悟は彼の懐の中にいた。いつの間にかわしたのか? いつの間に近づいたのか? 剣聖の動きは人の目で追えるものではない。
接近した悟の拳を腹に喰らい、“顎髭”は、あっさりダウンした。
「てめぇッ!」
残る一人となった“スカジャン”は床に落ちていた包丁を拾った。寿子が志村を刺そうと持ち込んだものである。彼は悟に突進した。右手に握った包丁が光る。
悟は“スカジャン”の右手首をとり、右肩ごと捻った。その動きも鮮やかなものである。流れるような動作は、まるでスロー再生のようだが、やはり手さばきは速い。ゆっくりと見えるのは悟に圧倒的な余裕があるから、に過ぎない。
背中を押され、つんのめった“スカジャン”が振り向いたとき、悟の右手には包丁、そして左手にスカジャンがあった。これもまた早業……
「この野郎ッ! ぶっ殺してやる!」
スカジャンを剥ぎ取られた“スカジャン”は、中に着ていたタンクトップ一枚のまま殴りかかった。そして次の瞬間、悟の右手にある包丁が薄暗い店内に銀線をひいた。
「わっ!」
と動きを止める“スカジャン”。彼が穿いていた黒ズボンが悟に切られ、ベルトごと縦に裂けたのである。中のトランクスともども……
「ちっせー」
その中身を見た金髪ギャルが手を叩いて笑った。
「それで、そのオバサンをヤろうとしたの? つか、マジピーナッツレベルじゃん」
褐色ギャルの目は汚物を見たせいか冷ややかだった。
「く、くそっ……!」
慌てた“スカジャン”は両手で股間を隠した。
「きょ、今日のところは、このへんで勘弁してやるぜ! 覚えてやがれ!」
“スカジャン”はその格好のまま、爆笑と歓声の渦にある客たちの間を駆け抜け、店を出て行った。逃げたのである。
「こいつら、マジだせえ」
金髪ギャルは、倒れている“顎髭”と“歯無し”を冷ややかな目で一瞥した。
「いいんじゃね? こいつらマジウザなとこあったし、これ機に消えてほしいわ」
褐色ギャルは、煙草をもう一本取り出し、火をつけた。彼女らに挟まれ座っている志村の表情には、特に変化はない。
悟は下着姿で倒れている寿子の上半身をおこし、頭にかぶせられていた紙袋を外してやった。そして、やや強めに彼女の肩を叩いた。
「あ……あなたは、どなた……ですの……?」
薄目をあけた寿子。相当飲まされたようだが、少しだけ意識はあるらしい。まだ朦朧とはしているが。
「俺は一条悟ッてんだ」
悟は“スカジャン”から剥ぎ取ったスカジャンを寿子の腕に通してやった。
「今の逃げてった粗チン野郎の物だから、ちょいと臭いかもしれないが、裸よりはマシだろ?」
独身でありながら団地妻のように熟れた豊満な肉体だが、スカジャンのサイズが大きかったのが幸いし、前をとめてやればパンティの位置まで裾で隠れた。
今の騒ぎで女性客の何人かが寄ってきた。さすがに今の騒ぎで事態の深刻さがわかったらしい。ボトルに入れた水を持ってきてくれた親切な者もいる。悟は彼女らに寿子の介抱を任せ、立ち上がると、志村がかけているテーブルの前へと進んだ。
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