ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜 2

 悟が手にした新型のオーバーテイクは先代モデルと比べて、ほんの少し形状が異なっている。柄頭……つまりグリップの最下部側面に縦長の空洞があるが、そこにロングサイズの煙草の箱とほぼ同じ大きさのバッテリーをさしこむ。先代モデルは、それが柄の中央やや下よりの位置にあった。


 また先代モデルは柄の一部に黒い半透過性プラスチックを用いてあった。そこから気を送り込むパイプの一部が透けて見えたのだが、新型にはそれがない。内部が見えない構造だ。目立つ違いはその二点で、あとはだいたい同じである。右手親指が当たる位置に付いているセレクターは操作することでSlashを意味するSモードと、Dullを意味するDモードを使い分けることができる。後者は光刃を鈍刀なまくら化できる、いわゆる峰打ちモードである。


『先代モデルと比べて、擬似内的循環効率が約0.03パーセント向上しているわ』


 スクリーンの中の真知子は誰もいない晴天下の天文館通り交差点に踊っている。演出好きな彼女が合成した背景は、現実ならば無数の人々と車が往来し、路面電車が走る繁華街だ。だが電脳の存在が作りあげた幻想の世界には今、真知子しかいない。アーケードの入り口を背に、白いワンピース姿で無人のコンクリート上に軽やかなステップのあしあとをつける様は、さながら現代に舞い降りた妖精といったところだが、芸能人のプロモーションビデオのようにも見える。どちらにしても絵になる姿だ。


 光剣は使用者が外的放出アウトサイド・リリースにより送り込んだ“気”を斬突部とする。気は特定値の電流を与えることで硬質化するが、それを刃としたものだ。擬似内的循環とは、その放出した気を、持ち手部分を経由して体内に帰順させる仕組みをさす。本来消失するはずだった気を体に戻すわけだから消耗が極端に少ないのが利点である。長時間の戦闘に使用者が耐えることができる。


『この前の戦いで破壊された先代モデルのデータをもとに重量配分を見なおしてあるわ。シェイクダウンなしでも今すぐ扱えるように』


 そうだった。古代の呪法により人外の力を得たジェラール・ベルガーという名の青年との戦いで先代のオーバーテイクを失ったのは十日ほど前のことである。


「恩に着るよ。コイツがなきゃ、しまらねェからな」


 悟は新しいオーバーテイクの鍔にあたる部分のやや下を見た。携帯電話にあるSDカードの挿入口のようなものがあり、蓋がされている。この中にあるのは二センチ四方ほどの大きさの“メモリーカード”である。戦闘時、光剣本体に伝わる攻撃や防御時の衝撃、空気抵抗の数値、使用者の手の位置や握力などを電磁記録するものだ。メモリーカード内のデータは光剣の微調整や次代モデルの製作時に役立てられる。


『そうね、剣聖スピーディア・リズナーに一番似合うのは、それですものね』


 真知子は履いていたはずのヒール付きサンダルを、いつの間にか手に持っていた。無人の街を裸足でゆく姿は、電脳の世界でならばどこまでも自由に行き来できる彼女の特権を絵的に示す。それこそが、現実の世界での生命と引き換えたものである。


「じゃあ、ちょっくら行ってくらァ」


 ケースに同梱されていた革製のショルダーホルスターを身に着け、その中にオーバーテイクをおさめた悟は立ち上がり、隣の席にかけてあったフライトジャケットを取った。


『行くの……?』


「ああ、“仕事”だからな」


『また女がらみでしょ?』


「まあな」


『ンもう……』


 すこしだけスネた表情をし、真知子は……


『今度は、いつ来てくださるの?』


 と、訊いた。


「いつでも来られるさ」


『でも、なかなか来てくださらないわ』


 悟が前にここを訪れたのは九月一日のことだった。あの日は真知子の誕生日だった。あれから二ヶ月がたっている。


「いつも電話で話してるじゃねぇか」


『でも、やはり直接顔を見せてくださるほうが嬉しいわ』


「わかったわかった。近々、また来るよ」


 悟は壁にあるエレベーターのボタンを押した。


『女は“化ける”ものよ……今の私みたいに』


 意味深な真知子の言葉は、実体を持たずとも美しい電脳の唇から発せられたものである。もっとも、いくら万能の彼女でも未来のすべてを知り通せるわけではあるまい。だが“予感”のようなものはあるらしい。


『さよなら、悟さん……気をつけてね』


 スクリーンの中の真知子が浮かべる笑顔は、たとえ幻影のものでも美しかった。



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