ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜

ニュー・オーバーテイク 〜淫情剣〜 1

 十一月一日。この日、鹿児島市内は快晴で、最高気温は十九度。吹く風も爽やかで過ごしやすい陽気となった。人々の装いにも変化が見られ、次第に一枚、また一枚と着る物、羽織る物が増えていく。霧島きりしまのような高地とは違い、紅葉はまだ見られないが、しだいに秋の気配が平地のほうにも色づいた手を伸ばしはじめるころである。さまざまなことがあった夏がとどめおいた濃緑の記憶を、紅い炎で燃やし尽くすかのように……






 午後七時。とうに日が落ちた鹿児島市 本港新町ほんこうしんまち。その名のとおり鹿児島本港があるこの町は全域が埋立地である。鹿児島県本土を西の薩摩半島と東の大隅半島に分断する錦江湾きんこうわんに沿う場所で、桜島へと渡るフェリーのターミナルを持つ。種子島、屋久島、奄美といった南方航路の起点ともなる海の玄関口だ。近年は周囲に水族館や商業施設ができ、昔ほど海洋の匂いがする土地ではなくなった。


 姶良あいら市方面へと伸びる国道10号線までを中継するバイパス道路がある。このあたりも商業施設があり車の行き来が多い。無数のヘッドライトが暗い車線に踊り、並走し、ときに交差する。北へ走る車が鹿児島市街地方面へと行く。


 それとは逆にバイパスを南側に抜けると一本の細い道が左に伸びていた。誰も入らぬこの場所の奥に門がある。その入り口を通ると、敷地内に無機質な直方体の鉄筋二階建てがあった。


 この建造物は、かつて藤代ふじしろグループの研修施設として存在していた。関連企業の新入社員たちを教育したり、もしくは社員たちの福利厚生のために使われていたのである。左手の広い庭がその名残りで、レクリエーションなどが行われていた。


 だが、現在では“違う目的”で使われている。超常能力実行局鹿児島支局、つまり薩国さっこく警備のEXPERたちが敷地内とその周辺に複数人常駐して、ものものしく警備する様子を見れば、建造物内部になにやら門外不出のことがらが存在することはわかる。彼らは薩国警備の特別任務班所属、通称“隠密部隊”と呼ばれる者たちで、鹿児島異能業界の裏底に暗躍する。鵜飼丈雄うかい たけおのような実動本部の花形として存在する立場とは異なる位置で仕事を受け持つ。ここの警備も、その一環である。


 建造物の中に、かつてここが研修施設だったことを証明するようなものはなにもない。一階にも二階にも物は置かれておらず、只々、外観同様の無機質な空間が広がっている。廊下があり、部屋もいくつかあるが、それらも只々冷たく硬いコンクリートの集積体と化しており、まるで空き物件のようになっていた。実際、地表にある一階二階部分が使われることはないので、このようになっていてもおかしくない。


 人の気配は、特定の者しか入ることができない“地下”にあった。






 地下で一条悟は映画を見ていた。いや、最も鑑賞環境が良い館内中央の席に座り眠っていた。いびきは音響にかき消され聴こえないが、見ていないことは明らかだ。さっきからずっと船を漕いでいる。


『悟さんッ!』


 スクリーンの映像が一旦停止し、どこからか“声”がした。


「んがっ……?」


 と、悟は目を覚ました。鼻ちょうちんが割れ、鼻水が垂れた。かつて世界中を痺れさせた色男も台無しの姿である。


『もう! せっかく来てくださったのに居眠りするなんて、私もかるく見られたものだわ』


 “声”は機嫌を損ねた風だ。


「おまえのチョイスが悪いんだよ。開始五分で俺を寝かせるとか、どんだけつまんねぇ映画なんだ」


 悟はスクリーン上でにらみ合いながら静止している外国人男女の姿をチラ見すると、ジーンズのポケットから取り出したハンカチで鼻をかんだ。数年前に、まあまあ流行ったサスペンスアクション映画だが、冒頭で主人公の刑事と、その妻が息子の教育のことで繰り広げる口喧嘩シーンがつまらない上に長すぎて、それを見ているうちに銀幕の世界から我慢の岸をこえて睡眠の海へと船を漕ぎだした、というわけである。


『この映画の巧妙なトリックはハリウッド史に残るものよ。終盤にこそ醍醐味があるのよ』


「巧妙に睡眠欲を誘う序盤の展開を省けば、ハリウッド史に残ったな」


 悟はドリンクホルダーに置かれたペットボトルのコーラの残りを飲んだ。すこしぬるくなっており、いままで居眠りをしていた彼と同じく気が抜けてしまっている。


 この地下はミニシアターの形をしている。客席の数は百に満たないほどの規模だが、後席に向かって適度な勾配がつけられているせいか映画館らしさは出ている。おあつらえむきに各席ドリンクホルダーまで設置されており、肘掛けにはアルファベットと数字を組み合わせた席番号まで打ってある。前方にあるスクリーンも立派なもので、左右の暗幕も開閉する。この大きさにしては本格的な造りのミニシアターと言える。


 静止していたスクリーンが一瞬、暗転した。次に映し出されたのは長い黒髪の美人である。やや垂れ目であるせいか、どこか優しい印象のひとだ。


『では、別の映画にする? なんなら世界各地の絶景を大画面でお送りすることもできるわよ。目の保養にいかがかしら?』


「おまえの顔が一番の目の保養だよ」


『まァ……! 悟さんったら、お上手ね』


 女は、これまた優しい笑顔を見せた。彼女は、このミニシアターそのものである。人間ではない電脳の存在……人工知能だ。


 藤代アームズ社長、藤代真知子ふじしろ まちこ。それが“彼女”だ。少女のころ不慮の事故で死んだ孫娘の真知子を、祖父の藤代隆信ふじしろ たかのぶがミニシアターの形をした人工知能として蘇らせたものが今のこの場所である。つまり電脳の存在であり、世界中のネットワークとつながっている。スクリーン上に映る女の映像は、この人工知能に人間らしい容姿と印象を与えるため、少女時代の真知子の顔と身体を“真知子自身”が加工生成し、大人の女の姿として投影させているものである。つまり順調に年を重ね大人になった真知子なのだ。


『お世辞じゃなく、本音と受け取っておくわね』


 と、語る真知子は現実の世界で生きていれば二十代後半になっていた。そして、いまスクリーンの世界に生きている彼女は、ちょうどその年代の姿をしている。ただし服装は少女のころに気にいっていた白のワンピースであり、足もとはヒールのある涼しげなサンダルだ。背景は晴天下の天文館てんもんかんの交差点だが、彼女以外に人はいない。これは真知子の演出である。


『ところで、今日は悟さんに“渡したい物”があるの』


「“それ”か……」


 悟は右手を見た。彼が座っている列の端席に直方体の“ケース”が置かれていた。その存在には、さっきから気づいていたようだ。


『開けてみて頂戴』


 真知子にうながされると館内の照明がいっせいに付いた。悟は席を立った。すると人の重みを失ったシネマ椅子の座面部分が背もたれに吸い付くように跳ね上がった。ドリンクホルダーだけでなく、こういうところまで本物の映画館らしく再現している。


 ケースを取り、席に戻って来た悟は、再び腰掛けた。膝に置いたそのケースは黒い強化プラスチック製で縦四十センチ、横五十センチほど。そして机の引き出しほどの厚みがある。上部に持ち手がついており、縦長のカバンのように持ち運ぶことが出来る物だ。


 ケース中央の、向かってやや左側にキャラメル大ほどの指紋認証用センサーがある。悟はそこに左手親指の先を当てた。すると今度は右側のタッチパネルが点灯し、テンキーが電子表示される。彼は四桁の暗証番号を入力した。するとテンキーが消え、代わりに“Please Open!”と表示された。悟にしか解除できない二重構造の本人確認システムである。


 悟はケースの蓋を開いた。中に入っていたのはブラックメタリックに輝く長さ三十センチほどの円筒形の“機械”である。その無骨な美しさは前衛と伝統を高次元で融合させた芸術性の塊とも、無駄なく突き詰めた機能美の証とも言えるものだ。


「“新型”か……」


 悟は“それ”をケースから取り出した。新型でありながら慣れ親しんだ重さを右手に感じるのは彼に合った重量配分で設計されている証である。藤代アームズの天才マイスター早乙女睦美さおとめ むつみが手がけてきた歴代モデルすべてがそうだった。今回も、それは変わらない。


『そうよ、新型……』


 スクリーンの中の真知子は青信号を確認すると、無人の街を白線で結ぶ横断歩道へと軽やかに駆け出し、広い路上の中央で白いワンピースの裾を翻しながら、可憐な様で幻想の肉体をこちらへと向けた。


『私から悟さんへのプレゼント……新型のオーバーテイクよ』


 世界中の少年たち誰もが憧れたスピーディア・リズナーのトレードマークである光剣オーバーテイクのニューモデルは、悟の手の中、黒水晶のように磨き抜かれたブラックメタリックのグリップに、実体を持たぬ女の白く清らかな姿と真心を投影させながらも、今は漆黒のその身に宿る刃をおさめている。剣聖が、これまで越えてきたレッドシグナルと似た色をした真紅の光刃を……



 

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