魔剣ヴォルカン 44

「ジェラール……どうして?」


 あふれる思いだけがサンドラの口を開かせた。青い瞳だけでなく、声にすら涙がまじる。


「一条さんが取り計らってくれたんだ。僕が姉さんといっしょに出国できるように」 


 ジャケットの中から取り出したパスポートを見せるジェラールの目にはかつての怒りも、そして悲しみの涙もない。その端正な笑顔は只々優しいものだった。


「だって……一条さんは、なにも……」


 サンドラはゲートの向こう側に目を向けた。だが、なにも言わずに自分を送り出してくれた悟の姿はすでに、そこにはなかった。


「実は、僕が出国できるようになったのは今朝のことだったんだ。ついさっきのことだよ」


 古代の呪法により消耗した体は、まだ回復しきっていないのだろう。ジェラールは、すこし不安定な足どりでサンドラのほうへ一歩を踏み出した。


「この三日間、一条さんが“いろんな方面”に口を聞いてくれたらしいんだ。それで……」


「でも……でも全然そんなふうには見えなかったわ……」


 この三日間サンドラは悟と共にいたが、彼はそんな素振りひとつ見せなかった。いつ手を回してくれたのか? 本当に不思議な男である。


「姉さん、いっしょに帰ろう」


 ジェラールが言ったとき、サンドラはその胸に飛びこんだ。


「ああ、ジェラール……ジェラール……」


 そして泣いた。記憶の中の弟はちいさな少年だったが、今の彼は自分よりもはるかに背が高くなっていた。十五年前、生き別れた姉弟は、互いがこれまで送ってきた人生の大半を知り合うことなく、年だけをかさねてきたのである。


「私、一日たりとも忘れたことはなかったのよ、あなたのこと……」


 それが一番伝えたかったことだ。過去の謝罪など、あとですれば良いと思った。今はただ、喜びにひたっていたかった。


「姉さん、心配をかけてごめん」


 背中にジェラールの手が当たるのを感じた。あたたかい感触である。いつの間にか、こんなに大きくなり、そしてどこか頼もしくもなっていた。


「なぜ、なぜあなたがあやまるの? すべては……」


「なんでだろうね? 姉さんに会ったら、真っ先にあやまろうかと思ってたんだ。でも今は、なにより会えたことが嬉しいよ」


 姉弟とは、どこか似るものらしい。ジェラールもまた拭い去れぬ後悔の中で生きてきたのかもしれない。自分と同じく……


「姉さん、僕は国に帰って、ちゃんと罪を償うよ」


 その言葉をサンドラは、たくましくなった弟の胸の中で聞いた。


「たとえ何年かかっても……ひょっとしたらもっとかかるかもしれないけどね。でも、せめて帰りの飛行機の中では、いっしょにいよう。いっしょに話そう」


 抱擁する姉弟を見ても、周囲の人たちは気にもとめない。甘い出会いと苦い別れの場である空港とは、そんな場所なのかもしれない。


「でも本当に本当なのよ……一条さんはなにも……あなたがここにいるなんて、ひとことも……」


 サンドラはジェラールから身体を離した。熱い涙は、まだ止まらない。さっきから胸は高鳴ったままである。


(あら……?)


 その高鳴る胸を手でおさえたとき、サンドラは自分が着ているデニムジャケットの内ポケットに、一枚の折り曲げられた紙切れが入っていることに気づいた。


(手紙? いつの間に……?)


 彼女はそれを取り出し、そして広げた……


 “サプライズってわけじゃないぜ。女と男の駆け引きさ。君が隠しごとをしてたから、その仕返し! 弟さんと仲良くな。”


 “彼”からの手紙には、そう書いてあった。


(一条さん……)


 サンドラは、もう一度ゲートの向こう側に目を向け、悟の幻影を追った。


(一条さん……あなたは、きっと世界中で愛された“伝説のあの人”に違いありません……でも、そのことは胸の奥深くにしまっておきます。本当にありがとう……)






 サンドラとジェラールの姉弟を乗せた飛行機は旋回しながら、霧島きりしまの山々がそびえる青い空の果てに消えていった。雲の少ない快晴だったせいか、その姿が見えなくなるまで数分を要したが、屋外の送迎デッキに立つ一条悟は今もなお、美しい目で鋼鉄の翼が描く人工の航跡を探している。


「秘密主義とは、あんたも意地が悪いな」


 制服姿の鵜飼丈雄は精悍な顔に苦笑いを浮かべた。薩国警備の緊急車両を飛ばし、ジェラールをここまで連れて来たのは彼だった。


「サンドラが出発する前に間に合わせてくれたおまえには感謝してるよ」


 悟は空を見上げたまま言った。“大人の事情”のせいで、今日のぎりぎりまで出国見通しがたたなかったため、ジェラールが空港に着いたのは、今しがただったのである。サンドラに遅れること十数分後、彼は、あのゲートをくぐった。


「格好をつけるのはいいが、もし俺が間に合わなかったら、どうするつもりだったんだ?」


 鵜飼が訊いてきた。サンドラのポケットに入れた手紙のことだろう。


「おまえなら間に合ってくれると信じてたのさ」


「おかげで運転手をやらされた俺は裏方だ。薩国警備そしきの緊急車両をかっ飛ばして鹿児島市内からここまで三十分たらずで着いたんだからな」


「報酬はラーメンでいいか?」


「チャーシューメン大盛りと餃子、ライスも大盛りだ」


 と言う鵜飼も空を見た。高地にあるこの空港はこの日、涼しく、吹く風は爽やかなものだった。


 フランスで薬物売買に関わった国会議員の息子とジェラールの交換……日本とフランスの間で取り決められた“密約”に加担する気など最初から悟にはなかったのである。剣聖スピーディア・リズナーが生きていることを知っている国際異能連盟上層部の者に働きかけ、過去に得たいくつかの“情報ネタ”を提供する代わりに、両国間の密約を御破産にさせたのは悟だった。パリに本部を置く国際異能連盟にはスピーディア・リズナーの信奉者も多い。そしてフランス政府には連盟と繋がりが深い者もいる。悟が持つ人脈を経由することにより、その密約は白紙になったのである。これによりジェラールは正当に法律で裁かれることとなる。


「今回の件は藤代会長に感謝せねばならんな」


 鵜飼の言うとおりである。悟は藤代隆信に頼み込み、ジェラールがサンドラと共に合法的に出国できるよう手を回してもらったのである。スムーズに退院できたのも、即時パスポートが発行されたのも、そして有事にしか使うことができない薩国警備の緊急車両が出動できたのも、すべて隆信の権力によるものだった。


「そのこと、なんだがな……」


 悟は頭をかいた。そよぐ爽やかな風とは真逆に、その端正な顔は沈んでいた。


「藤代の爺さん、その件で“依頼料”はチャラ、とか言いだしやがったんだ」


 ヴィクトル・ドナデュー博士の古代の呪法を阻止しろ、という隆信からの依頼は戦闘に勝ったことで果たした。だが、ジェラールの出国に要した諸手続き代行にかかる手間賃を逆に要求されたのである。つまり“チャラ”ということだ。


「というわけで今の俺は金欠だ。ラーメンは並にしてくれ」


 手を合わせる悟。


「ダメだ」


 腕を組み、そっぽを向く鵜飼。


「そこをなんとか……」


「ダメだ」


 送迎デッキに響く着陸機の音が男ふたりの会話をかき消したとき、霧島の山々がある方角からひときわ冷たい風が吹いた。冬の訪れはまだ先だが、それに先立つ晩秋の気配が機翼とともに、滑走路の上に影を落としていた。  






『魔剣ヴォルカン』完。

 


 


 

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