魔剣ヴォルカン 41
「そうか……」
三日後のことである。藤代グループ会長、藤代隆信は超常能力実行局鹿児島支局、つまり薩国警備からの電話を受けていた。薩摩の怪物、などとも称されるこの偉大な老人は、当然に自分の息がかかった者を県内の異能業界に送り込んでいる。今回の件に関し、いくつかの“情報”を聞いている最中であった。
一条悟が薩国警備の鵜飼丈雄と共闘し、古代の呪法により力を得たジェラール・ベルガーという名の青年を倒したことはわかった。だが、旧知であり首謀者であるヴィクトル・ドナデュー博士の行方はわからず。また共犯のアンドレ・アルノー、テレーズ・アルノーも姿を消した。彼らはすでに鹿児島にはいないだろう。当事者たちが“魔剣”と呼んでいた人外の召喚に不可欠な物理媒体も戦場から発見されなかった。
「内々に処理せよ」
とだけ伝えると、隆信は通話を切り、子機を傍らに置いた。ここは自室である。脚が悪いこの老人は乗っている車椅子を操作すると、壁にある本棚の前へと向かった。
そこに並んでいるたくさんの本のうち赤い背表紙の一冊を人差し指で押した。すると硬い音をたて、本棚の後方が左側に三分の一ほどスライドした。そういう“仕掛け”になっているのだ。前後二層式である。
現れた“後方の本棚”から隆信は一冊の古ぼけたアルバムを取り出した。彼は、それを取り出し開いてみた。六十年ほど前の、若き日の隆信とヴィクトルが映っている白黒写真があった。
(懐かしいものだ)
多くの人々の人生を操り、ときに狂わせてきた冷厳な薩摩の怪物でも、遠い過去に思いを至らせる程度の感傷性というものは持ちあわせている。その写真に映るふたりは愛想わるく仏頂面で、誰が撮影したものかは覚えていない。生前の妻だったか、それとも通りがかりの人だったか。背景にヴィクトルが愛した桜島がそびえており、海に浮かぶその姿から察するに
“いずれ私は、あの桜島をモチーフにしたヴォルカンという銘の剣を製作するだろう”
若きヴィクトルは、よくそのように言っていた。今回の事件の鍵となったその剣がどのような形をしたものか隆信は知らないが、彼が桜島の美麗な姿をいたく気に入っていたのは事実だ。過去の宣言どおり、イメージのままに実現したのかもしれない。
隆信は野心に燃えていたころの、若き自分の顔を見た。一介の武器職人からここまでのし上がるのにどれほどの月日をかけ、どれほどの労力気力を傾けたか。当時、すでに海外との取引を開始していたころで、新鋭の職人だったヴィクトルは隆信が作った武器に興味を持ち、その技術を学ぶため数ヶ月ほど鹿児島に滞在していた。この写真は、そんな当時のものである。
ヴィクトルが隆信にもちかけた勝負、どちらが勝ったのだろうか? “君は古代の呪法の実現を阻止できなかったのだから私の勝ちだ”。あの負けず嫌いのフランス人がこの場にいれば、そう言ったかもしれない。十数年前、金髪の子供を連れて久しぶりにここをおとずれた彼は古代の呪法への協力を求めてきたが断った。そのことは根に持っているだろう。それが今回の事件を引き起こした動機……と、とれなくもない。いや、自分とヴィクトルの仲を睦まじかったものと過大評価する気など隆信にはなかった。結局、事態がどのように転んでも悪事を働く男だったのだ。悪党とは、そんなものである。
もう一冊……別のアルバムを引っ張りだした。それを開くと、白黒とは違う今でも鮮明なカラー写真があらわれた。“三人”が並んで映っている。中央には、まだ脚が衰えていなかったころの……七十を前にしたころの隆信が大島紬を着て立っていた。向かって右側に生前の、電脳の存在などではない人間の少女だったころの真知子が祖父たる自分に寄り添って、笑顔で立っている。夏に撮ったらしく、白く細い脚がのぞく愛らしいワンピース姿だった。撮影者は家政婦の取手さわ子であり、場所はこの家の庭である。
(真知子……)
写真を見つめながら隆信は、不慮の事故に遭い、若くしてこの世を去った孫娘の名を心中で呼んだ。頭脳明晰で優しい少女だった。
“お祖父様、あの人たちは誰?”
金髪の少年を連れてやって来たヴィクトルを追い返したあと、子供だった真知子が訊いてきたものである。
“少年は知らんが、老人のほうは私の旧知だよ”
隆信は、そう答えたと記憶している。
“あの人、とても気の毒な目をしていたわ”
“少年のことかね?”
“いいえ、あのおじいさんのほうよ。なにかに打ちひしがれた目をしていたわ”
真知子の、その言を思い出し、自分に見捨てられたことで、あのときのヴィクトルがどれほど痛惜したか少しは知った。
“お祖父様、助けてあげることはできないの?”
“真知子……あの男は悪事を働こうとしているのだよ。それに協力することはできないのだ”
悪事すなわち、古代の呪法である。自らを認めなかった社会に対する復讐のため、その実現に力を貸せとヴィクトルは言ってきた。だが、断った。
“翻意させることはできないの?”
“無理だ。一度言い出したら聞かぬ男だよ”
“まァ……お祖父様にそっくり”
真知子は、かわいらしく笑ったものだった。
協力はしなかったが捕えることもしなかった。当時、隆信が手を回せば、鹿児島県内でヴィクトルと少年の身柄を確保することもできたのだが情をかけた、というのもある。権力者たる自分の気まぐれにすぎなかったのかもしれない。まさか十五年後にこのような事態に至る、と予測することは不可能だった。
隆信は再度、写真に目を落とした。真知子と反対側、つまり自分の右手に少年時代の一条悟が映っていた。ジーンズのポケットに手を突っ込み、照れくさそうに横を向いている。真知子が三人で写真を撮ろうと言いだし、悟はそれをことわりきれなかったのではなかったかと記憶している。このとき彼は十五、六だったろうか。すでに世界を股にかける史上最年少の“剣聖”の立場であったが、年に数度ここを訪れた。そのたび二歳ほど年下だった真知子は喜んだものである。
今回の件……薩国警備に不干渉を要求したのは隆信である。悟に任せ、事態を秘密裏に解決しようとした。それはなぜか……?
電話が鳴った。家政婦のさわ子は買い物に行っており不在だ。今、この家にいるのは隆信だけである。彼は車椅子を動かし、子機をとった。
────やあ、隆信……
電話の主はヴィクトルだった。
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