魔剣ヴォルカン 29


 テレーズはサディスティックな笑みを浮かべながらジェラールの前にやって来ると、両手で魔剣ヴォルカンの端を持ち、静かに跪いた。


「前のと違うな」


 ジェラールは気づいた。十五年前、自分を被憑体として執り行われた古代の呪法に用いられた魔剣ヴォルカンは、あのあと木っ端微塵に砕け散った。やや機械的な形状だったそのときの物と違い、今回の“新型”はクラシカルで、よりシンプルかつ無骨な外観だ。


「かつてに比べれば、解析技術が進歩したのだよ。これは古代に用いられた魔剣と、ほぼ形状が一致する」


 と、ヴィクトル。古代の呪法とは、ある意味、再現度が成否を分けるとも言われる。十五年前に足りなかったものは、その魔剣の形状と、詠唱者の存在だったということか。後者は今回、アンドレの妻テレーズの存在により解決するというわけだ。


「だけど父さん、僕の体はあの頃に比べ、ずいぶんと変わった。背も伸びたし、体重も違う。それでも依代となれるのか?」


 それはジェラールが前々から抱いていた疑問だった。かつて同様の手口で人外を宿した古代の狂戦士と身体的、能力的共通点が多いことが、ジェラールが被憑体として選ばれた理由だったはずだ。だが、今では体型はかなり変わり、そして何より異能力を持たない。


「おまえの体には、まだ臍裁痕せいさいこんが残っておろう?」


 ヴィクトルが言うそれはジェラールの肉体についた傷であり、異能力の発動に必要な気の発生が、なんらかの形で量的質的に抑制されているという証である。腹部に刻まれた火傷に似た傷だ。


「それは古代の呪法に失敗した結果つけられた人外からの制裁と言われるが、同時に人外と被憑体を繋ぐ証でもあるのだよ」


 ヴィクトルはテレーズのほうを向いた。


「つまり詠唱者たるその女と、物理媒体たる魔剣。陰性気質を溜め込みやすい環境。そして被憑体として認められたおまえがいれば、今度こそ呪法は完成する。“バイパス”が通っていれば容貌の変化は関係ない」


 自信満々といった表情のヴィクトル。それに対し……


「なぁ、父さん。それによって力を取り戻した場合、僕はこれからどう生きればいいんだ?」


 過去に殺人を犯し、生涯許されぬ罪を背負ったジェラールは生きる指標をどこに置けばよいのか?


「また、昔のように私と世界中を旅するのだ。人外を宿したおまえの力をほしがる輩など、どこにでもいる」


 老人であるヴィクトルの目は、まるで希望あふれる壮年男性のもののように輝いていた。






 アンドレとテレーズの夫婦が見守るなか、ヴィクトルの指示に従い、上半身裸になったジェラールは手術台に似たベッドの上に寝た。十五年前は椅子に座らされたが、今回は姿勢が異なる。


「古代の呪法の成功例をあらためて研究、分析した結果、この体勢がもっとも良い、と判断したのだ」


 ヴィクトルはジェラールの心臓、手首、腹に吸盤と似た物体を、そして頭にリング状の機械を取り付けた。それらは全てベッドの右側に置かれた計器類とコードでつながっている。心拍、脈拍、体温、脳波を測定するためのものだろう。そして、左側には、台座に垂直に立てられた魔剣ヴォルカンがある。


(おそらくデータをとって、どこかに売るのだろう)


 そのあたりの裏はジェラールにもわかった。異能犯罪者の集団やテロ国家など、取引先はいくつも存在する御時世である。ヴィクトルは古代の呪法自体を、いずれ商品として取り扱う気に違いない。


(八十を過ぎても、たいした商魂だ)


 いろいろ考えていると、詠唱者のテレーズが服を脱ぎはじめた。タイトなライダースジャケットを床に置き、極細のローライズレザーパンツに手をかける。履いていたはずのピンヒールは横に転がっており、裸足だった。


「おいおい、なんの真似だ?」


 と、寝たままのジェラールは訝しがるが、彼女は構わずレザーパンツを脱いだ。雪のように白く引き締まった下腹と、針金のように細い美脚があらわになる。


「古来より、女の体温は呪法の成否に大きく関わるとされてきたものだ」


 計器類を操作しながら、ヴィクトルは説明した。


「おまえ、いいのか? 自分の妻だろう」


 ジェラールは無表情でそこに立つアンドレのほうを見た。


「“それ”が、その女の使命ですので」


「本気か?」


 ジェラールは神経を疑った。呪法を成功させるため、アンドレは妻の肉体を差し出すというのか?


 男どもの会話など気にする風もなく、テレーズはピチTシャツを脱ぎ捨てた。驚いたことに、いま彼女の白い身体を覆っているものは何もない。ノーパン、ノーブラ。元より下着をつけていなかったのだ。


「あたしみたいな蓮ッぱはタイプじゃないんだろ?」


 全裸のテレーズは、脱衣で乱れたベリーショートの髪を細い指ですきながら、妖艶に笑った。


「そういう問題じゃない。亭主の前だぞ」


 そう言いつつも、ジェラールはテレーズの裸を見た。この人妻、年は自分より上なのだろうが、若々しく無駄な贅肉ひとつない完璧なスレンダーボディの持ち主である。熟度が高くグラマラスな姉のサンドラとはまた違った魅力だ。


「あたしゃいいんだよ、今日この日のために生まれてきたようなもんさね」


 訛りのあるフランス語で話すテレーズは胸も、むき出しの股間も隠すことなく笑うと、ジェラールに覆いかぶさった。


「お、おい……」


「いいんだよ、あんたはじっとしておいで」


 ジェラールの鼻孔にテレーズの匂いが漂った。香水をつけているようだ。頭がくらくらする。


「あんたは、これから力を取り戻すんだ」


 彼女は、小ぶりだが感触の良い胸を押しつけてきた。その鼓動は人妻の体温とともにしっかりと伝わってくる。


「ひどい傷だねぇ」


 テレーズはジェラールの心臓の鼓動を聴くように胸に耳を当ててきた。そのまま左手で腹についた制臍痕を優しく撫でる。人妻の手つきとは悪い感じではないものだ。


「痛くないかい?」


「いいや……」


 そこは火傷の痕のように、肌がピンクに変色している。過去に付き合った女たちには火事でついたものだと説明してきた。


「この傷をつけた博士を恨んでいるのかい?」


 体勢を変え、テレーズはジェラールの耳もとでちいさく囁いた。周囲の誰にも聴かれるものではあるまい。


「誰も恨んじゃいけないよ」


 ジェラールが答えずにいると、テレーズはまた耳もとで囁いた。湿っぽく熱い吐息が耳孔をくすぐる。


「あたしも昔、あんたと同じ孤児だったのさ」

 


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