魔剣ヴォルカン 28
「父さん……」
ジェラールは椅子にかけているヴィクトル・ドナデュー博士を見た。数年ぶりに目にしたその姿は、やや年をとっていた。八十をいくつかこえているはずである。茶色の髪に白髪がまじっており、皺が濃くなっている。変わらぬのは声と、どこか優しげな目だが、やはり老いたという印象は拭えない。
「ジェラール……我が息子よ。来てくれると思っていたよ」
ヴィクトルは重々しく立ち上がった。白衣を着けた中肉中背の体は姿勢が少し悪くなったように見えるが杖はいらぬようだ。彼はゆっくりとこちらへやって来た。
「父さん、なんてものを作ったんだ」
ジェラールは周りを見た。もとは広い公民館だったらしく百坪ほどの面積がある。その半分ほどが数種の電子機器類で埋まっており、もはや小さな研究所の様相を呈している。残りのスペースに簡易ベッドや本棚、冷蔵庫が置かれているが、ヴィクトルは普段ここで寝泊まりをしているのかもしれない。
「呪法の仮想シミュレートをおこなうための設備だよ」
ヴィクトルは台上に置かれた32型テレビほどの大きさのモニターを指差した。後ろから数本のコード類が伸びており、計器類と繋がっている。やや古い物のようだが、どこかのジャンク屋で手に入れた物なのだろう。
「表の風車を見たかね、ジェラール?」
「自家発電しているのか」
「そうだ。電気が通っていないこの集落で生活するための環境も整えてある。もっとも風力発電だけでは足りぬので、屋根には太陽光パネルも設置している」
「すべては、呪法を完成させるためか」
「何度かシミュレートしてある。今度は安全だ。おまえの体に負担はかからんよ」
ヴィクトルはジェラールの手を握り、次に背中を叩いてきた。西洋人らしく、しばし抱擁するふたり。背はジェラールのほうが高い。
「なぜ、こんな辺鄙な場所を選んだんだい?」
ジェラールはヴィクトルの肩に左手を置き、訊いた。なにか理由があるはずだ。
「ここは誰も見ていない無人の集落だから、というのが理由のひとつだが、もうひとつわけがある」
「それは何?」
「このあたりはかつて西南戦争の戦地となったことは知っているだろう?」
「父さんがむかし、話してくれたね」
「大勢の戦死者が出たこのあたりは当然、人外を呼び出すために必要な陰性気質。つまり負の気が蔓延しやすい環境になった。これは説明せずともわかるだろう?」
戦争があった場所というのがそういう環境になりやすい。そのことはジェラールも知っている。負の気とは、その名の通り人間が内に抱える負性の気を示す。先進国では社会的ストレスを生み出す一般世間の中に負の側面へと堕ちる要因が多いとされるが、人が生に執着し、己が生きるために相手の命を奪う戦場というのは異常なほどに陰性気質が滞留しやすい。政情不安定な国ほど人外が多くあらわれるため、ヤツらと戦う異能者の存在価値が大きい、と風刺されるが、誇張はあっても嘘ではない。
「1880年代、その西南戦争の影響による陰性気質を鎮めるため、集落の北側に神社が、南側に寺が建てられた。両者とも風水や陰陽道の観点から必要と判断されたという」
ヴィクトルはジェラールから体を離した。
「ちょうどその時期は廃仏毀釈の廃止期にあたったため、当時の退魔連合会が率先する形となった、という。この集落に住んでいた者たちも神仏習合の世論にならい、皆で神社と寺の管理に当たっていた……」
ここで、いったん息を吸い、言葉を切ったヴィクトル。さきほど抱擁したとき、この老人は少し痩せたのではないかとジェラールは感じた。そして、よく見るとやはり年をとったと思った。以前に比べ皺が深くなっただけでなく、声にもハリがなくなっている。
「だが、昭和の末期ごろから過疎化がすすんだのだ。この集落の若者たちがどんどん他所に出てゆく中で、寺や神社を日常的に管理する者が減少することになった。すると、どうなったか。おまえにはわかるだろう、ジェラール」
「陰陽のバランスが崩れたのか」
「そうだ。寺も神社も荒れ放題となり、その結果、負の気が蔓延しやすいもとの環境に戻った。幸いだったのは人が少なくなったため、対人関係上のストレスを感じる者がいなかったことだ。だから、この集落の住人が人外に取り憑かれたという事実はなかった」
「つまり、古代の呪法に必要な環境がここにある、ということか」
そこまで言ってジェラールはある疑問を持った。
「ちょっと待ってくれ、父さん。ここがそういう場所なら地元の退魔連合会が監視するだろう?」
異能者の集団として薩国警備と並ぶ存在、それが退魔連合会である。その使命が人外の存在への対処である以上、この集落はその監視下に置かれるはずだ。
「“これ”だよ」
ヴィクトルは右手の親指と人差し指で輪ッかを作った。
「金か」
「そうだ。大金を積んだ。この集落を地元の退魔連合会から“買う”ために」
異能業界の腐敗は社会問題化している。そして、ヴィクトルには何らかの“バック”が存在することは容易に推察できる。そういったバックとは様々な裏の人脈で成立しており、このあたりのようないち地方にも顔をきかせるものなのだろう。
「でも、別に鹿児島じゃなくてもよかっただろう?」
ジェラールは質問を変えた。
「藤代隆信氏への仕返しと挑戦のために僕を使うのか?」
十五年前、古代の呪法への協力を断った隆信に対するヴィクトルの不満が大きかったことはジェラールも知っていた。
「違うのだよ、ジェラール……」
ヴィクトルは、心底申し訳なさそうな顔をした。そして、さっきからうしろに立っているアンドレは一言も発しない。
「かつて、私の中途半端な呪法で力を失ったおまえのためだ。隆信への復讐は、その過程で発生する二次的産物にすぎん」
そう、古代の呪法に不可欠な詠唱者が見つからなかったため、ヴィクトルは自ら合成した機械音声を代用物とした。その結果、異能者としてのジェラールの力は失われたのだ。
ヴィクトルは指を鳴らした。すると、電子機器が密集している先の奥にある暗がりから女があらわれた。アンドレの妻、テレーズである。そして、彼女が両手で持っているもの、それは……
「詠唱者たるそこの女と、そして物理媒体たるその“魔剣ヴォルカン”があれば、古代の呪法は完成する。おまえは力を取り戻すことができるのだ」
ヴィクトルは言った。黒き魔剣ヴォルカンを掲げるテレーズはサディスティックな笑みを浮かべているだけだった。
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