魔剣ヴォルカン 27


 スラックスとブラウスを丁寧にたたみ、プラスチック籠の中に入れた茜は、下着姿の自分を鏡に映した。ブラジャーもパンティも仕事に合わせた地味なモーブピンクの物だ。柄物のかわいい下着も持ってはいるが、オンの日には着ない。


 彼女は、あらためて鏡を見た。周囲からはボーイッシュと評されるが、自分でもそう思う。どこか少年めいたルックスは、ショートヘアもあいまって活発に見られることが多い。実際、平素はノリの軽い明るい娘である。美人というよりはかわいいと形容されることのほうが多いが、最近は綺麗になったと言われることもたびたびある。ただし、それは半分お世辞ではないかと思っている。社会に出たことで垢抜けたところがあるせいかもしれない。化粧も上手くなった。


 ボーイッシュな上、わりと背が高いほうであるためか、高校のときは同性からラブレターやバレンタインチョコをもらっていた。茜自身はノンケの類だが、女子から人気があったものだ。そのころから体型は変わっておらず、ウエストは若々しく締まっている。乳房は形が良いが、サイズは人並みである。


 彼女が抱える外見上のコンプレックスは下半身にある。肉づきの良い太股と尻だ。同級生や友人たちは“気にすることはない”と言ってくれるものだが、自分ではスキニーやレギンスが似合わないと思っているため、ファッションの幅が狭くなるのは悩みの種だった。肉感的とも言えるのだが、足が細い女を見るとうらやましくなる。スカートを持ってはいるが丈が長いものであり、クローゼットからひっぱり出すことはめったにない。自分のキャラクターをわかっているからだ。


 若いため、肌は綺麗なものだ。茜は右手で左肩のあたりに触れてみた。我ながら手触りのよい陶器のような美肌である。


(隊長のためならば、やらなきゃ……)


 鏡に映る我が身をこえた先に意識を向け、愛する鵜飼のことを思った。彼が必要とするならば自分の異能をもって協力することにためらいはない。それは……“この身を差し出す”こと。茜が持つ異能とは、そういう性質のものだ。恥ずかしくとも、やるしかない。


 これから決戦の夜となる。そう予感した彼女はブラジャーのホックに手をかけた。鵜飼に協力する前に、この身を浄めるため、シャワーで日中かいた汗を流すことにしたのだった。






 伊佐いさ市は、知覧とは正反対の鹿児島県北端に位置する。鹿児島市中心部から約七十キロほどにあるここは米の産地として知られるが、現在の日本で唯一、操業している菱刈ひしかり鉱山があることでも有名だ。むかしの大口おおくち市と菱刈町が合併したのが今の伊佐市であり、人口は約三万人。中心地をのぞけば、のどかな田園風景が広がる町である。


 日中ならば緑の絨毯を敷きつめたような平野部をのぞむことができるものだが、夜も更けたこの時刻、通りがかる車のヘッドライトも、いくつかの街灯もささぬあたりは真ッ暗となる。そんな中、一台のセダンが高熊たかくま山へと繋がる小さな道路を走っていた。


「父は、ずいぶん辺鄙な場所を選んだのだな」


 助手席に座るジェラールは車窓の外を見た。延々と続く杉の木は常闇の中、さらに暗い影を道路脇に落としている。


「このあたりは百数十年前、内乱の激戦地だったと聞いています」


 運転席のアンドレは答えた。でかい図体に似合わずステアリングさばきは繊細である。足が長いため大型セダンのシートポジションを一番うしろにとっているが、とくに窮屈ではないようで安定感のあるドライビングを見せる。


「西南戦争か」


「ご存知で?」


「むかし、父が話してくれた」


 ジェラールは暗い窓の外に目を向けながら、ため息をついた。ヴィクトルに懐いていた子供の時期があった。実の両親を知らないせいだったかもしれないが、身を隠すため世界中を転々とする中で、六十も年が離れたあの老人を“父”と呼ぶようになっていった。寒い夜なかなか宿がとれずに異国の裏道をさまよい歩いていたとき、レストランの予約がとれず腹をすかせて泣いたとき、ヴィクトルはジェラールの機嫌をとるため、よく話をしてくれた。


「父は親日家だったせいか、やけに日本に詳しかったものさ」


 長い睫毛をふせるジェラール。ヴィクトルの呪法が失敗に終わったことにより、自身が力を失ったと本格的に意識しはじめたのは十三歳くらいのころだったろうか。思春期と重なったため仲が悪くなったのである。やがてヴィクトルは詠唱者を探すため、自分の元から去った。養父としての自覚があったのか多額の財産を置いて行ってくれたため飢えることはなかったが、いざ孤独になると寂しさというものもあった。


 そのことにより、さらに反抗心が強くなったジェラールはやがてヴィクトルにあてつけるため、ふたりで住んでいた家を引き払い、数ヶ国を放浪したのち来日した。それが二年半ほど前のことである。日本国内で職を転々としたのち、ヴィクトルが残した財産を元手に知覧で古本屋を開業したのだった。


「なるほど……」


 と、低い声でアンドレは言った。この大男とも昔からの付き合いである。年に数度、ジェラールの元にあらわれたものだった。いま思えば、共通の思想を持つヴィクトルと情報のやり取りがあったのだろうが、子供のころ、よく遊んでくれたことを覚えている。ぶら下がってもびくともしない体躯は子供ごころに頼もしいものだった。


 高熊山へと繋がる道の途中、セダンは左折し、ゆっくりと枝道に入った。車がぎりぎり離合できるほどの道幅だが、進んでも進んでも対向車が来る気配はない。落ち葉と枯れ木を踏むタイヤの音が床下から鳴り続ける。ふだん誰も使わない道なのかもしれない。


 五百メートルほど走ると、ヘッドライトの先に古い家が数軒、見えてきた。どれも灯りはついておらず真っ暗で、人が住んでいる気配はない。ちいさな集落のようだ。


 アンドレがセダンを停めたのは木造の建築物の前だった。家ではない。玄関に大きな看板がかかっているが、それに書かれている字はほとんど消えており読めない。


「ここは、この集落の“集会場”だったそうです」


 アンドレはサイドブレーキを引いた。いわゆる公民館のことだろうが日本のそういう文化を彼は知るまい。知覧に住んでいるジェラールとは違う点だ。


「ここに父がいるのか?」


 ジェラールはシートベルトを外し、車を降りた。ここは高地であるため、この時間、外は肌寒い。彼は後部座席のドアを開け、ジャンパーを取り出した。


「はい」


 おなじく、車を降りたアンドレは元よりロングコート姿である。


「まったく……」


 “物好きな”と言おうとして、ジェラールは口を閉じた。ここはやや道が広い。ヘッドライトが照らす先に見える家々は、適当な間隔を置いて建てられている。


「廃集落か」


 ジェラールは公民館の脇に設置されている郵便ポストを見た。差出口がガムテープで閉じられており、“使用不可”と書かれた紙が貼ってある。家々のようすも朽ち果てており誰も住んでいる気配はない。無人の集落である。


「日本の高齢化社会を象徴しておりますな」


 ヘッドライトを消し、エンジンを切ったアンドレは運転席のドアを閉めると、手にした懐中電灯をつけた。異能者は夜目がきくが、やはり灯りがあるにこしたことはない。


「風車か」


 ジェラールは光線が向いた先、公民館の屋根上にたっているものを確認した。すこし風があるため、その風車は羽をゆっくりと回している。自家発電に使うため、設置されているのだろう。


 アンドレは公民館の玄関を照らし、引き戸に手をかけた。ジェラールはその横に立った。


「よくも、まぁ……」


 中を見てジェラールは呆れた。真っ暗な空間に星のごとく浮かび上がる多数の電子機器類の光を見たからだ。外見はただの古ぼけた木造の公民館だが、内部は十五年前、古代の呪法を執り行った場所と同じだった。あれはリヨンにあった別荘の地下室だったか。


「来たか、待っていたぞ息子よ……」


 そして呪法を行うための、この場所を作った張本人の声がした。と、同時に天井の灯りがついた。


「父さん……」


 ジェラールは見た。椅子にかけているヴィクトル・ドナデュー博士の姿を……

 

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