魔剣ヴォルカン 26

 鹿児島市山下町。薩国警備本社がある八階建てのスターダストビルは夜になってもまだ、各部屋の窓に内側の光を映していた。鹿児島ナンバーワンのシェアを誇る警備会社の拠点として、そして超常能力実行局鹿児島支局本部として、市内中心部にそびえ立つこの建物には当然、昼夜を問わず多くの人がいる。所属する超常能力者であるEXPERは一日中有事に備えるが、異能を持たない通常人も多数勤める。契約先からの連絡を受けるコールセンターにスタッフは常駐しており、県内のデパートや商業施設、公的機関に派遣されている警備員と連携する。異能者を抱える機関としては国や地方公共団体を背景とするものだが、警備会社としては民間企業、という複雑な成り立ちを持つ。


 スターダストビルから数十メートル離れた大通り沿いはこの時間も人がたくさん見られる。路面電車に乗ろうとする人が多いからだ。北に鹿児島駅、南に天文館てんもんかんがあり、大半の人たちは、そのどちらかをめざし進んでゆく。






「今のところ、薩国警備そしきの中は静かです」


 人通りの中、歩道のはしに立ち、スマートフォン片手に通話をしているのは薩国警備第七隊所属、畑野茜である。警備員姿の彼女は制服制帽に身を包んでいる。鹿児島の名物企業、薩国警備がすぐそばにあることは皆、知っているので怪しむ者はいない。


 ────そうか


 と、答えたのは上司の鵜飼。彼は第七隊の隊長である。今日の昼前、フランスの国営異能実行局デリス・デ・ラ・メディテラネのアルベリック・ロランという男からの国際電話を受けた鵜飼は、すぐ知覧へと向かった。そのことが、古代の呪法が絡む大事件に繋がっている、と聞いたのは今しがたである。


 ────やはり、この件で出動を命じる気配はなしか


「たぶん……」


 スマートフォンを右手に持つ茜は、左手で口もとを隠し、周囲に聴こえないほどの声で話している。おおかたの事情は鵜飼から聞いた。古代の呪法を阻止することは重要だが、できるだけ内々に済ませ、という“上”の意向からか他隊の隊員たちへの出動命令は出ていない。鵜飼が指揮する第七隊員たちは夜勤の茜以外、全員がすでに帰宅しているが、これはシフト上の都合で偶然である。何者かにはかられたものではない。


「一条さんは一緒なんですか?」


 茜は訊いた。薩国警備内で一条悟が剣聖スピーディア・リズナーだということを知るのは彼女と鵜飼、そして上層部のうち数人である。第七隊の中で他に知っている者はいない。


 ────いや、今は別行動だ。一条には、ヤツなりの情報源というものがある


 悟の情報源といえば彼のバックにつく藤代グループか、もしくは傘下の藤代アームズだろう、ということは茜にも容易にわかる。社長の藤代真知子は悟の恋人なのではないか、と疑っていた時期もあった。


 もっとも現在、悟の護衛と監視は鵜飼と茜で主に担当している。彼が住んでいる城山の洋館の敷地内および周辺にカメラを設置しているが、現在、定期的に出入りしている女性といえば悟の身辺の世話をつとめる退魔連合会の高島八重子くらいのもので、一部の依頼人をのぞけば他に女の影はない。藤代真知子は病弱で、人前に出ることはないと伝えられている。出社しない社長、などと呼ばれている。

 

 ────畑野君……


「はい」


 ────今日はもう“あがり”か?


「いいえ、“夜勤”です」


 ────君の“力”が必要になるかもしれん


 そう言われ、茜は頬を赤らめた。頼ってもらえるならば嬉しいことだ。妻帯者の鵜飼を愛する身であるが、二十歳の彼女は禁断の思いを胸の奥にしまい続けている。だが、恥ずかしさを感じる“理由”は他にもある。自身が持つ異能力の性質上、無理もないことだ。


「あ、あ、あたしは、“大丈夫”です……」


 だから、ちょっとだけ声がうわずった。恥ずかしさだけでなく男女仲に通ずる“期待”があった。が、鵜飼を奪って彼の家庭を崩壊させようなどと思ったことはない。あくまでもプラトニック・ラブだと自身に言い聞かせている。ただし向こうにその気はない、一方通行の片思いであるが……


 ────抜けられるか?


「今なら、たぶん。でも……」


 ────おおっぴらにするな、との“組織”からのお達しだが、君ひとりの力を借りるくらいなら問題なかろう


 組織、とは薩国警備そのもののことである。そこに所属する者たちは、そのような呼び方をする。


 ────君の力を借りずにすむならそれにこしたことはないが、今回はそうも言ってられん状況だ。ターゲットの居場所がわかり次第、おって連絡を入れる


「はい」


 通話が終わり、茜はスマートフォンを制服のポケットにしまった。






 ビル内にシャワールームが設置されている。同時に五人まで利用可能で、各々がタイル製の壁で仕切られている。古い造りだが夜勤の者や戦闘訓練を終えた者、“任務”を終えて帰社した者たちがよく使う。薩国警備に所属する者ならば誰でも利用することができる。


 茜はそこにいた。今は他に誰もいない。制帽をかぶっていない彼女は自分の姿を洗面台の鏡に映し、手櫛でブラウンに染めたショートヘアを整えた。


(隊長が、あたしを必要としてくれる……)


 それは幸せなことである。愛する鵜飼に信頼され、信用もされることは勤労意欲に繋がる。EXPER《エスパー》となって二年。剣聖スピーディア・リズナー、一条悟に関する誰も知らない秘密を鵜飼と共有していることは自信ともなり、仕事に取り組む上での糧ともなっている。


 なぜ妻帯者の鵜飼を愛したのか。今となってはよくわからない。高校を卒業し、すぐに本部勤務となった理由は彼女の異能力が第七隊に必要だと判断されたためだと聞かされている。初めて鵜飼にあったときは“なんだか怖そうな人だな”という第一印象を持ったものだった。


 薩摩川内さつませんだい市にある超常能力者の訓練機関にいたころも、その後、普通の高校生活をおくっていたときも周りに気になる異性は何人か存在した。が、交際に発展したことはなかった。今も恋人はいない身である。本気で人を好きになったことなどないのだと思っているが、初めて愛した人に妻がいるという事実は恋愛に保守的な人生をたどってきた彼女にある種の嫌悪感を与えていた時期もあった。今ではそういう思いは消え、純粋に鵜飼を尊敬し、そして理想の男性として見ている。


(あたしに魅力って、あるのかなあ?)


 鏡に映る自分の顔を確認した茜は制服を脱ぎはじめた。濃紺の上着を壁のハンガーにかけ、次にネクタイを外す。スラックスを脱ぎ、ブラウスも脱ぐと、モーブピンクの下着に包まれた彼女の瑞々しい肢体があらわれた。


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