魔剣ヴォルカン 18
藤代グループ会長、藤代隆信は庭にある立派な池の縁で鯉に餌をやっていた。脚が悪いためチェアーに座っている。薩摩の怪物と呼ばれる偉大なこの男の平々凡々たる日課であり、来客や用事がなければ、我さきにと餌に食らいつく鯉たちの姿をぼんやりと眺めるのが昼さがりの過ごし方の一環となっていた。一線を引き、自ら創業、拡大した藤代グループを人に任せることが出来るようになるまで長い年月がかかったが、苦労の甲斐あって今では隠居を気取ることができる身である。もっとも、彼の顔色をうかがう連中はグループ内外に多くいるもので、いまだ権力は衰えていない。この老人に逆らうことが出来る者など存在しないのが鹿児島という土地である。
「旦那様」
家政婦である取手さわ子の声がした。
「お電話です」
見ると、庭に出てきた彼女の手には子機が握られている。
「誰からだ?」
さきほど一条悟がやって来たせいか、なんとなく“予感”がしたが、とりあえず隆信は訊いた。
「お名前をなのらないのです。“若き頃の古い古い友人”とだけ……」
さわ子は困った、という顔をしている。
「貸しなさい」
隆信は子機を受け取ると、耳に当てた。
────久しいな。私が誰かわかるかね?
電話の主の声は、あの頃より老いているが、懐かしいものだった。
「十五年ぶりか」
応じる隆信の声も、多くの部下たちを叱咤してきたかつてに比べれば渋い。
────そうだ。互いに年をとったな
騒動の渦中にいるヴィクトル・ドナデュー博士が電話の向こうで言った。禁断の行為たる古代の呪法を完成させようとしている“魔剣”の開発者だ。
────隆信、元気かね?
「人の体調を心配できる立場か?」
────ほう、もう聞いたのか?
「おまえが何を企てようと構わんが、人道に背いてまでおこなうことか?」
────私を認めなかった“会社”と“社会”への復讐だよ
「充分に名声を得ていたのではないか?」
────世間的な名声は得たよ。金も得た。だが、社内では評価されなかったものだ
ヴィクトルはフランスの武器製造会社、アルム・ド・フランスの研究者だった。頑固な職人気質が災いして、実力実績ほどの地位にはつけなかったという。
────呪法が完成したのちには、人外を宿した魔剣と、その使い手たる息子を“商品”として某国の異能テロリスト集団に売るつもりだ
「それが、おまえの復讐になるのか?」
────なるとも。莫大な金になる。それを元手に私個人が異能者による戦力を保有し会社を、そして世界を脅迫する
「おまえ自身が犯罪者になる、というのか?」
────そうだ、私はテロリストとなる。
「一介の職人に過ぎぬおまえに伝手があるのか?」
────私がなんのために世界中を駆け回っていたと思う? 呪法の詠唱者を見つけるためだけではない。人脈づくりだよ
電話の向こうで笑うヴィクトル。かつて彼がいたアルム・ド・フランスはアプトという小都市に所在する。一部の異能者たちが、そこの製品を熱狂的に支持する理由は高い性能と見た目の良さにあり、そういう面は隆信が興した藤代アームズに似ている。企業規模としては今でも大きなものではなく、かつては職人が集う町工場のようなおもむきが強かった。武器業界ではマニアックな存在とも言える。
────君は変わったな、隆信……
こころなしか、ヴィクトルの声が沈んだ。
────かつての君は、私と同じく一介の職人だった。それが今では複数の企業を傘下におさめるグループの会長とは……
その言葉に、いくばくの寂寥を感じるのは気のせいではあるまい。両者が歩んだ人生道は、数十年前の若き頃は同じ“物づくり”という名の方角へと伸びていた。だが、中途からふたりは相容れぬ別の行き先へと歩先の舵をきった。結果、隆信は社会の大道へとたどり着き、そこに往来する多くの人々の運命と生活を握る立場となった。そしてヴィクトルが迷い込んだのは暗黒の深淵にある出口なき袋小路だった。
────私とゲームをしようではないか、隆信
迷いびとたる彼は言った。
────私は今、鹿児島にいる。私が執り行う呪法を阻止することができれば、君の勝ちとしよう
「つまらん」
────君が阻止しなければ、甚大な被害が出るだけだ
「私が受けると思っているのか?」
────受けるだろう。君は縄張り意識の強い男だ。自分の膝下を侵されることを何より嫌う男だ
ヴィクトルの断言は自信に裏打ちされたものだろうか? 生涯を職人として生きた彼は実業家としての隆信をどのように評価しているのか、それを口調から察することはできない。
────十五年前、君は私への協力を拒んだ。その報い、だよ
「ならば、私個人を狙えばよかろう」
────その手にはのらんよ。君の周囲は、鹿児島で最も安全だからな
彼の言うとおりである。隆信が住むこの家は薩国警備のEXPERが複数人、常に周囲を警護しており、敷地内外に最新型のセキュリティシステムが設置されている。持ち主の地位と権力と財力に比した強固な守備が構築されており、鹿児島の個人宅では最も賊が侵入しにくい家と言いきってよい。
────君は私が生涯で唯一、ライバルと呼んだ男だ。“勝負”が楽しみだよ
そこで電話が切れた。隆信は話中音を確認し、子機を耳から離した。
「そうですか……わかりました、ありがとうございます」
さわ子が自分の携帯で、どこかと通話している。おそらく警察か薩国警備だろう。家政婦の彼女もまた異能者であり、隆信の警護を担う身だ。
「居場所は特定できなかったそうです。携帯電話のようですが、なにやら細工されているとのことです」
さわ子は携帯をエプロンのポケットにしまった。接続された基地局の特定を防ぐ手段はいくつもある。GPS位置確認に対する妨害工作はもっと簡単であり、ヴィクトルならばどれかの手を思いつくはずだ。
隆信は子機をさわ子に渡そうとした。が……
「旦那様?」
手を出しかけて首をかしげるさわ子。隆信は引っ込めた子機のダイヤルを操作し、一条悟に電話をかけた。
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