魔剣ヴォルカン 17


 集落の外れに小高い丘があった。そよぐ秋風の中、ジェラールはそこに立ち、遠くを見つめていた。金髪の美貌であるだけに様になる姿だが、その目に宿る感情は暗い。


「博士にお会いになる決心がつきましたかな?」


 背後から声をかけられ、ジェラールは振り向いた。そこにアンドレが立っていた。その問いに答えず、彼は相貌を再度、正面へと向けた。


「なぜ、このような田舎に居を構えたのです?」


 アンドレは質問を変えてきた。法の目を逃れるためヴィクトル共々、偽の戸籍を取得し、父子として世界中を逃げ回っていた人生だった。が、落ち着いた先は日本という小さな島国にある南の半島の、さらに南端にある片田舎だった。変に思われるのは当然であろう。


「僕は、“あれ”が好きだった」


 ジェラールは遠く空の下、そびえる開聞岳かいもんだけを指さした。


「あれほど美しい山は世界中探しても、なかなかないよ」


 雄壮なアルプスの麓にある教会で姉とともに育った身である。薩摩富士とも呼ばれる開聞岳は、険しいあのあたりの山と比べれば大きくはないが、青い空に負けぬ碧い流線を引く円錐形で非常に美しい。


「藤代グループの会長から協力を断られた父は、子供のころの僕を連れ、指宿のホテルに数日滞在した。そのときふたりで、あの開聞岳に登ったことがある」


 それは偽の父となったヴィクトルとの数少なく、そして楽しい子供時代の思い出だった。あれから十五年たつ。藤代隆信からの協力を得られなかったヴィクトルは気落ちしていた風でもあったが、登山のときは珍しく楽しそうにしていた。それは偽りの呪法の犠牲となった自分に対する贖罪だったのかもしれない。ああいう男でも罪の意識を持ちあわせていたのか。


「あの山が見えるところに住みたかったと?」


 というアンドレの質問には答えなかった。それが理由ならば、やはり変だと思われるだろう。だが姉のサンドラ以外に身内がない孤児だった自分はヴィクトルになついていた時期もあったのだ。たとえ本当の父でなくとも父と慕っていた時期が……ヴィクトルとの思い出が見える場所に住んでいる理由とは、つまるところ幸せな過去のそばにいたいからなのかもしれないが、自己の内心にそれを問うたことはこれまで一度もなかった。


 もっとも、ヴィクトルのほうは開聞岳ではなく、ここからは見えない桜島の姿を愛していた。よく彼は語っていた。若きころ鹿児島を訪れたとき、人生のライバルとも、ただひとりの友人とも呼んだ藤代隆信との間で、どの角度から見た桜島が最も美しいか、議論になったものらしい。


「姉は?」


「起きる気配もなく、よく眠っています。妻が見張っております」


「新聞記者をやっているというのは本当か?」


「はい」


 アンドレの返答を聞き、ジェラールは笑ってしまった。昔から寝起きの悪い姉だった。それが今では新聞記者だというのだから、世の中わからないものである。


「古代の呪法が完成すれば、あなたの力はもとに戻ります」


 と、アンドレ。それはジェラールにとって魅力的なことだ。異能を持って生まれた者が失った力を取り戻そうとするのは本能とも言える。それは主義思想を超えた生理的、肉体的な欲求である。


 だが、禁忌でもある。大損害を引き起こす可能性がある。どこの国でも使用を禁止しており、どんな悪党でも手を出さない。それが古代の呪法というものだ。


『汝、欲望に忠実たらんことを……』


 頭の中に、何者かの声が響いた。それは初めてのことだった。


『我を、その身に宿すことで、汝の力は、解放される、父王が作りし“魔剣”の導きによって……』


 いや、声ではない。テレパシーのようなものだ。異界にさまよう“人外”が十五年ぶりに執り行われる呪法を予感し、語りかけてきたのか? ときを経てもなお、この肉体、精神と繋がっていたのだ。


(やめろ……僕は……)


 ジェラールは心の中で抵抗した。


『汝の力、我が手の中にある、汝と同化することで、その力、ふたたび具現する』


(やめろ)


『欲しくないか? 取り戻したくないか? 我、暗黒世界の住人であるが、常に汝の側にいた、父王が定めし魔剣の“銘”を、口合として……』


(やめてくれ)


『欲望に忠実たれ、我、汝の肉体にふさわしく、汝の美しさ、我が依代にふさわしい』


(僕はッ……!)


『欲望に忠実たれ……欲望に忠実たれ……欲望に忠実たれ……欲望に……』


「どうしたのです?」


 こだまする何者かの“声”が止んだとき、ジェラールの目前には訝しがるアンドレの姿があった。どうやら数秒、呆けていたようだ。


「いや……」


 ジェラールは額を手の甲で拭った。かなり汗をかいた。そして……


「父に会おう、案内しろ」


 と、言った。

 

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