魔剣ヴォルカン 16
「ここにいる私の妻……テレーズこそが“詠唱者”なのです」
アンドレは言った。それはジェラールにとって衝撃の事実だった。被憑体の自分を支え、古代の呪法を実現できる存在が、この女だという。
「馬鹿な……?」
ジェラールは疑った。当然だ。詠唱者は世界に数十人しかいないとされる。その珍しい存在が目の前にいるというのは、にわかには信じられないことである。
「嘘ではあるまいな?」
「ならば証拠をお見せしましょう」
アンドレは指を鳴らした。すると、テレーズは目を閉じ、低く声を出した。
ジェラールは顔をしかめた。テレーズの口から発せられたのは通常人では発音できない言語。それは、人外が住まう異世界の言語とも言われる。こちら側の人間がそれを聴くと不快感に見舞われる。彼女は正真正銘の詠唱者、なのか……
五秒ほどの短い詠唱ののち、テレーズの声が止んだ。彼女はうっすらと目を開けた。
「私が言うことを信じていただけましたかな?」
訊いてきたアンドレは左のこめかみあたりを太い指でおさえるようにしている。ジェラール同様、異世界の言語を聴き、不快感に襲われたようだ。
「おまえ、まさか父の計画を実現するために、その女と所帯を持ったのではあるまいな?」
無表情でアンドレの横に立つテレーズを見て、ジェラールは問うた。もし、そうならば、いたたまれないものである。
「博士が待っています」
アンドレは、その質問を無視した。
「父は、まだくたばってはいなかったのか?」
父親代わりだったヴィクトルが詠唱者を探すため、ジェラールのそばを離れて数年。その間、音信は途絶えていた。ジェラール自身がヴィクトルと関わるのをさけていたので、互いの居場所を知り合うこともなかった。
「悪いが断る。父の野望に付き合った結果、僕は今までロクな生き方ができなかった」
「博士の計画を実現するためには、あなたの体が必要なのです」
「なぜ僕がやらなければならない? 僕には僕の人生がある」
その言を聞いたアンドレはジェラールの目前に立った。大男であるだけに迫力は段違いだ。
「あなたは“力”を取り戻したくはないのですか?」
それは魅惑の言葉だった。
「古代の呪法が成功し、あなたの体に残る制臍痕を取り除けば、異能力を取り戻すことができる。その機会が来たのです」
半端な手段により呼び出した人外からの制裁であるとされる
「“魔剣”は……」
ジェラールは声を振り絞った。
「魔剣ヴォルカンは……?」
かつてヴィクトルが完成させたあの魔剣は人外がこの世に実体化するための“物理的媒体”だった。だが、十五年前、デリス・デ・ラ・メディテラネの追撃をかわした後、砕け散ったのだ。だから今は存在しない、はずである。
「“新型”が完成しております」
アンドレは答えた。
「父にそんな金があったのか?」
「博士の計画に賛同する者は世界中にいるのです」
ヴィクトルに“賛同する者”とは誰か? これは想像に難くない。異能犯罪組織、テロリスト、一部の過激な異能人権団体等、世界の転覆を画策する連中はたくさんいる。悪事に手を貸すスポンサー候補など枚挙にいとまがない御時世である。
「僕は……」
返答につまったジェラールは眠っている姉のサンドラを見た。思えば、汚れたこの女がすべてのはじまりだったと言っても過言ではない。
ジェラールの古本屋から北側の幹線道路を行った少し先に古ぼけたラーメン屋があった。そこの老店主は女性的で美しい男と警備員の格好をした大男を見て少し戸惑ったようだが、こころよく中へと通してくれた。両者とも、さきの手榴弾による爆破のせいで薄汚れている。
「なんにしやす?」
端のテーブル席に座った珍客ふたりに、お冷と大根の漬物を出した店主は訊いた。
「チャーシューメン大盛りと餃子、あとライス大盛り」
と、悟。
「同じ物を」
とは、鵜飼。それを聞いた店主は、厨房へと歩いて行った。すでに昼飯どきを過ぎているせいか、他に客はいない。
「つまり、あんたはジェラールの姉から依頼を受け、彼女をここに連れてきたわけか」
鵜飼は、お冷を一気に飲み干した。
「ああ」
悟は漬物をかじった。浅漬けであり、塩味がきいている。
「新聞記者の彼女は裏の事情に通じているようだが、
サンドラがなにやら隠し事をしていることに悟は気づいていた。
「目的は?」
「聞いてねェ」
「一条さん、あんたはそれを聞かずに依頼を受けたのか?」
「姉が弟に会いたがるのに、特別な理由はいらねぇからな」
「鹿児島市内の情報屋から、薩国警備にタレコミがあった。あの夫婦犯罪者から、ゆうべジェラールの居場所を訊かれた、と」
「それで彼がのっていたタウン情報サイトにたどり着いたわけか」
「ちなみに夫のアンドレは元々、ヴィクトル・ドナデュー博士の計画の賛同者で、子供の頃のジェラールとは面識があるそうだ」
「そのジェラール君を連れ出すのに手榴弾かよ。極端な野郎だ」
「姉の素性はたしかなのか? 彼女が、なんらかの犯罪に手を染め、弟の力を使おうとしている可能性は?」
「そのへんは調査済みだ。サンドラはカタギの新聞記者だよ」
悟は家を出発する前、藤代アームズ社長、藤代真知子にサンドラの素性を簡単に調べさせた。新聞記者であることは事実で、特に犯罪や特定の思想集団に関わっている様子はないとのことだった。世界中に繋がっている電脳の存在たる真知子の情報は正確だ。
「おまち」
店主が注文の品を運んできた。箸で麺をかき混ぜた悟はレンゲでスープをすくうと、ひとくちすすった。
「美味いな」
彼は感想を述べた。最近のラーメンブームにのった若い店主が作るラーメンは上品な味付けのものが多いが、これは塩っ気の強い豚骨スープである。昔ながらの鹿児島の味だ。
「たしかに美味いな」
鵜飼は言った。ふたりは会話を中断し黙々と食べた。悟はラーメンに卓上のコショウとニンニクを大量に入れ、がっつく。鵜飼は餃子とライスをかっこんだあと、スープ代わりにラーメンを食べる。悟も同様に餃子とライスをスープで胃袋に流し込む。鵜飼は卓上の豆板醤を入れ、ラーメンの味を変える。双方、健啖家である。
期せずして両者、同時に食い終わった。丼の中のスープはどちらも空である。戦いに必要なのは体力だが、それを維持する食事は欠かせない。
「一条さん……」
鵜飼は箸を置いた。
「もし、連中が呪法を実現させたら大事だ。食い止めなければならん」
「わかってるさ、なんとかしねぇとな」
悟は爪楊枝をくわえながら、腕を組んだ。
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