剣聖の記憶 〜一億ポンドの約束〜 10
袖内に隠し持っていた太祖の長剣は伸縮式である。通常、中子に収納されている刃部分がボタンを押すことで伸長し、戦闘に適した長さとなる。小型の鍔を持つ一種の“仕込剣”であり不意討ちや暗殺にも使えるが、異能業界では携帯性の観点から重宝される武器である。
薬物を投与され、部屋の入り口にぼんやりと佇むシャオイェンが見守る中、戦いは始まった。悟は面前にて轟と音をたてる太祖の初手をかわすと、フライトジャケットの中に右手を入れた。相手の間髪入れぬニの太刀が軌道を変え、またもや唸りをあげる。
衝撃が音をたて散ったのは悟の左肩あたりだった。ショルダーホルスターの中からあらわれたオーバーテイクは疑似内的循環により、硬質化した紅い気の刃を形取る。
「受けたか……我が剣……」
両手で銀色の長剣を押し込もうとする太祖。
「今のは、まぐれかもしれないぜ。もう一度打ち込んでみたらどうだ?」
オーバーテイクで受ける悟。このとき柄を握る彼の両手は脇腹の高さにある。懐から下向きに抜刀し、その位置で光刃を発生させたのだ。剣聖ならではの速業の結果、両者の剣は悟の左肩上、面左にて鋭角的に交差している。
「ならばッ!」
鍔迫り合いを嫌ったか? 太祖の攻撃が再開した。逆水平に悟の胴を払う。その長剣は、やや細身であるため、空中にしなるような鋭い剣筋を描く。悟は薄皮一枚のタイミングでこれをかわすと、一歩を踏み込んだ。オーバーテイクの紅い光刃が上段から火を吹いた。
「受けたか……俺の剣……」
と、斬りかかった悟。
「まぐれだよ」
とは、受ける太祖。今度は両者の剣が彼の頭上にて十字を描くように交差している。この男もまた手練である。
二本の剣が離れ、嵐の攻防となった。太祖の長剣が片手突きに転じると、悟は上体を左方に捻転させ、これをかわす。前進し太祖は、さらに突く。悟は右肩を相手側にし、一定の歩幅で退きながらオーバーテイクで捌く。太祖は執拗に剣先を繰り出し続け、悟はバックステップでリーチ外の間合いを維持する。その繰り返しとなった。まるでフェンシングのような試合運びであるが、この部屋は広いため、両者の足跡は地面にやや曲線を描き進む。
長剣の軌道が“点”から“線”へと変化したのは二十撃目だった。悟の目が突きに慣れた頃合いを見計らったかのように太祖が逆胴を打ったのだ。ただし狙いは低い。悟の左腰の高さに白刃が斬線を刻む。
悟は跳躍した。その足もとに長剣が空を切る。空中の人となった悟は唐竹割の要領で上段から斬りかかった。
「簡単には勝たせてくれねェか……」
「剣聖に勝てば、剣客としての名声を得られるからな……」
悟の着地と同時にまたも鍔迫り合いとなった。面前で受け止めた太祖の防御は固い。背は太祖のほうが高いため悟が見上げる格好だ。唯一の観客であるシャオイェンは、いまだうつろな目のままで紅と銀の刃が踊る様を見つめていた。
二人が発動している異能力の性質は異なる。異能業界の暗部に生きる太祖は“驚異的な身体能力”と呼ばれるA型の超常能力者であり、これは国際異能連盟の調査により判明している。他方、有名人の悟は
太祖の体が後方に傾いた。鍔迫り合いを制したのは悟。オーバーテイクを持つ両手に気を集中させた結果、押し勝ったのである。初手と攻防が逆転し、追う悟の剣を太祖が退がりながら捌く。二本の剣が幾度も火花散らす音が部屋内に響く。
防戦の不利をさとったか、入り口付近まで六歩ほどを後退した太祖は捨て身の攻撃に出た。細かく斬撃を刻む悟のオーバーテイクが自分のスーツの胸元あたりをかすめたとき、彼は急激に前へと踏み込んだ。相手の首を狙ったカウンターアタックだ。剣閃をかいくぐり瞬時に攻撃に転じる太祖は冷静であるが、前進する悟の手足が加速している中でのことだから豪胆でもある。野球のアッパースイングに似た両手剣は正確な筋だった。
だが、宙を舞ったのは美しい剣聖の首ではなく、太祖の長剣のほうだった。反撃を予測した悟は一瞬にして“目”に気を集中させたのだ。向上した動体視力により太祖の長剣を見切り、その鍔の真上を打ったのだった。ブランチ能力はピーキーであるためポテンシャルを引き出すのが難しいが、さすがは悟である。一瞬にして体内気脈の方向を変え、威力抜群の“逆カウンター”と相成った。
長剣をはじき飛ばされ、その手から得物を失った太祖に防御の手段はない。悟は片手上段からオーバーテイクを振りおろそうとした。そのとき……二人の間に白い影が両腕を広げ、割って入った。シャオイェンである。
剣を止めた悟の隙を見逃すはずはない。太祖は左腕をあげた。袖の中から黒い伸縮式の棒があらわれる。この男、もう一本の武器を隠し持っていたのだ。こちらのほうが長剣よりリーチが長い。
自身の盾となった小柄なシャオイェンの肩ごしに伸びた太祖の棒が悟のオーバーテイクの柄を突き、弾き飛ばした。“剣を持たぬ剣聖”となった悟に太祖のさらなるもう一撃が迫る。
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