剣聖の記憶 〜一億ポンドの約束〜 9

「古代の呪法を用い、神玄羅楚胄帝を呼び出したのは私の遠い“祖先”なのだよ」


 太祖は言った。悟はジーンズのポケットに手を突っ込んで、それを聞いている。


「ここは、それが行われた場所なのだ。私の大望を果たすにふさわしいとは思わんかね?」


 太祖は天井を指さした。この洞窟は内部から発破をかけて作られたような形状になっている。遠い昔に神玄羅楚冑帝がここで実体化したときに発生した物理ショックが原因だと考えられる。


「我が一族には、古代の呪法を実現するための手法が代々伝わってきたのだ」


「一族?」


「今、私の手元にあるのは私自身が複写したものだが、元は粘土板か何かに書かれていたのだろう。我が一族の者たちは代々、同様の手段で、その手法を子孫に伝えてきたのだ」


「そんな昔ッから、あんたの家系は先祖ぐるみで世直しを考えていたのか?」


「いいや、先祖が残した物を放棄できなかったのだろう」


「なるほどね、三千年の歴史だからな」


 古代の呪法が現代にも残る理由は様々だ。太祖が言うような事情もそのひとつと言える。先祖代々伝わる物を放棄できないため、なんらかの手段で残そうとする者は昔からあとをたたない。その存在が知られれば一族の迫害や弾圧、差別の対象ともなったため、継承はしても公表はしない、という者も多くいた。


「ある日、“事件”がおこったのだ」


 太祖の目が、このとき悲嘆に暮れた。


「“文化大革命”だよ。私の祖父は教師だったが、プロパガンダを批判したため投獄された。そして無残な獄中死を遂げたという」


「そりゃまた、古い話だな」


「当時、若かった私の父は悲しみ怒り、復讐を誓った。一族に伝わる古代の呪法を用いることでな」


「おいおい、そいつぁ、リスクのほうが遥かにでけェぞ」


「父は祖父を殺した社会そのものに対する復讐を誓ったのだよ。戦後の世になっても変わらぬ流血と暴力は、ほんのひと握りの権力者の手により実行されてきた。大多数の我ら庶民の思いなど聞くことなく……」


「まァ、そうだな」


「私は子供のころから、古代の呪法を実現しようとする父の姿を見て育った。“自分の代で成し遂げられなければ、おまえがそれを果たせ”とよく言われたものだった」


「で、親父さんの意志を受け継いだあんただったが、例の“石鹸”の作り方がわからなかったってわけか」


「そうだ。殷代に誰かが開発した、神玄羅楚胄帝が実体化する物理媒体としての石鹸だったが、その化学式がわからなかったのだ」


「それって紙で伝わってきたんだろ、書いてなかったのか?」


「いや、書いてあったよ。だが……」


「だが?」


「間違っていたのだよ」


 太祖は苦笑した。


「呪法は先祖代々、長き年月にわたり伝わってきたが、その何処かで化学式に誤記が発生したのだ」


「伝言ゲームでありがちだな」


「父も私も、その化学式を解明しようと試みたが失敗に終わってきた。ところが最近、“ある少女”の手によりイギリスの特許庁にそれが申請されたと聞いた」


 それはチェルシーが申請したものだった。すべての元凶とも言えるものだ。


「そのことはニュースになったらしいな」


 悟が言うとおり、その件はイギリス全土で報道された。『天才少女が肌荒れに悩む人々を救う』とのタイトルで書かれた見出しが世間に踊ったのは、ひと月ほど前のことである。


「なんで、それが呪法に使える石鹸だとわかったんだ?」


「“麝香”だよ」


「ああ、なるほど」


 納得する悟。香料を使わずとも麝香の匂いがする、とチェルシー本人が言っていた。世の中で唯一無二のその特徴が古代の呪法との関連性を太祖に知られる原因だった、ということだ。


「で、あんたは化学式を手に入れるためチェルシーを脅迫中、ッてことか……」


 悟は頭をかいた。そして……


「ところで、それと、ここでやってる“宗教活動”と、なんの関係があるんだ?」


「宗教ではないよ。しいて言うならば、私がやっていることは“教導”だ」


「あんたと似たような目的を持つヤツをひとり知ってるが、復讐は何も生み出さないぜ」


「父は復讐に生きたが、私は違う。来たるべき原始のときに備え、人々を教え導くことが使命だ」


「“詠唱者”がいなけりゃ、あんたの目的は果たせねぇだろ?」


 悟の言うことは、世界が古代の呪法により滅亡しなかった理由のひとつ、と言える。チェルシーの石鹸のような物質的媒体の他に、呪文の詠唱者を必要とするのが古代の呪法というものである。“普通の人間では発音できない言語を発音出来る者”が詠唱者だが、その資質を持つ者はまれで、世界中に数十人しかいないのではないか、と推測されている。


「“同志”らと共に、それを探すのも、私が生まれ持った使命であろう」


 太祖が言う同志とは同一の目的を持つ“他団体”のことであろう。こういった神帰思想の集団は世界的ネットワークを持つ。古代の呪法を駆使した人外の召喚を同時多発的に行う計画がある、とも言われ、連盟はその対策に追われている。


「まァ、いろいろ聞かせてもらった身で悪いが、俺にはあんたの趣味が全開してる、としか思えないんだけどな」


 悟は形のよい顎をしゃくった。その先にいるのは自我もなく薄衣一枚で立つシャオイェンだった。幼い彼女はロンドンにいるチェルシーと同年代くらいである。


「この娘は大罪を犯した。親を騙した、と言う」


「ここは説教部屋か?」


 ニヤつきながら周囲を見回す悟。この部屋には寝台の他に手錠、猿ぐつわ、鎖付きの開脚式足枷、鞭、アイマスク、首輪、ニップルクリップ、十字型枷クロスタイといった各種拘束具が置かれていた。端の木棚にはいくつかの瓶が置かれているが、催淫効果のある薬でも入っているのだろう。


「これからおこなうのは“純化”だよ」


「なんだい、そりゃ?」


「この娘の身体にとりついた“穢れ”をはらうのだ」


「SMプレイで罪が消えるってのか?」


 悟は右手の壁にかかっている黒のレザーボンテージ衣装を親指でさして訊いた。サイズは大き目なので太祖が着る物のようだ。


「心の清廉を取り戻すために身体の痛みを伴う。これすなわち自然の摂理だ。来たるべき神玄羅楚胄帝降臨のときには、穢れなき者だけがこの世での生を許される。私は、この娘を救うためやむを得ず……」


「わかったわかった」


 両手のひらを前に出し、悟は太祖の言動を制した。


「例の化学式から手を引いてくれれば、俺はあんたの邪魔はしねぇよ」


「ほう? 剣聖は、この娘を見捨てて帰るのか?」


「俺の依頼人はロンドンにいるチェルシーなんでね。その子を助ける義理はねぇよ」


「君の要求を受けることは出来ぬな。我が大望への道は、剣聖の剣ですら閉ざすことはできぬのだ」


 太祖は右手を振った。すると上着の袖内に仕込んであった“得物”が布地をなぞる摩擦音をたて、あらわれた。


「剣聖よ、いずれ浄化されし世の姿、魂の世界にある深奥より見届けるがよい」


 それは伸縮式の長剣であった。洞窟内の空気と同化する冷たい銀閃は野獣の雄叫に似た唸りをあげ、悟の面を狙った。



 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る