四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 13

 

 長原将生は鹿児島市の出身。高校生のころ、同郷である姿鬼八の漫画を読み、ファンになった。過激な性描写がウリだった鬼八作品は有害図書指定を受けたものも出回っていたが、それらを入手、閲覧する方法などいくらでもあったものだ。少年誌に掲載されていた作品はリアルタイムで追いかけていた。


 美しく淫らな女たちの濡れ場は多感な時期を向かえていた長原には刺激が強すぎるものだったが、彼は鬼八作品の世界観やストーリーも愛していた。次第に自分も漫画家になりたいと思うようになったのは、この頃だった。


 高校卒業後、地元の企業に就職するも夢を捨てきれず一年で退社。その後、なんとか両親を説得し、東京にある専門学校の漫画学科に入学した。姿鬼八のような漫画家になることが目標だった。


 念願の第一歩を踏み出した長原だったが、専門学校ではあまり真面目な生徒ではなかった。サボり遅刻早退の常習犯で、講師たちからよく注意されていた。それでも素行は治らなかったが、要領が良かったようで成績は上位だった。高校時代から独学で描いていた絵は達者で、すぐプロデビュー出来る逸材と評価されていた。


 とは言え、この時期の長原は学校よりもアルバイトに精を出していた。そちらのほうが楽しかったのである。コンビニやパチンコ屋、アパレル店員などを経験した。田舎者だったが都会生活に馴染むのが早く、バイト先での人間関係に溶け込むのも上手かった。水商売にも興味があったが、ホストクラブでのリンチ事件がニュースで取り沙汰されたのを見たことであきらめた。


 長身で爽やかな二枚目であり、人当たりがよかったためか高校のころからモテた。東京に出てからもそれは変わらず、長原自身“女を切らしたことはない”と周囲に語るほど、学内やアルバイト先に恋人を作ったものである。一部から“ヤリチン”などと陰口を叩かれたが、そういうところは後に師となる鬼八の若い頃に似ていたともいえる。


 卒業年度になり自身の進路を考えたとき、長原は鹿児島に戻ることにした。憧れの姿鬼八のもとでアシスタントをつとめ、いずれ漫画家デビューしようと思ったのだ。講師の伝手を頼り、出版社の人間を紹介してもらった彼は、そこから鬼八との面接をとりつけた。






 “ここか……”


 スーツを着て鹿児島市西俣町にある鬼八邸を訪ねた長原は、立派な家の外観に驚いた。漫画家とは儲かる職業なのだと希望を持った。


 “門田……”


 表札にはそう書いてある。姿鬼八とはペンネームだ。本名が門田慎之介ということは世間に公表されており、長原も知っていた。


 彼は玄関のインターホンを鳴らした。


 “はーい!”


 明るい女の声で応答があった。


 “面接に伺った長原です”


 “お待ちしておりました。少々、お待ちくださいね”


 数秒と待たせず、玄関の戸が開いた。出てきたのはラフな格好をした長身の美しい女だった。


 “ようこそ、おいでくださいました”


 と、笑顔の彼女は、うやうやしく頭をさげた。着ているタイトな白Tシャツは豊満な胸をやけに強調しており、ジーンズのベルトが半分くらいのぞくほどに丈が短い。


 “長原将生です、今日はよろしくお願いします”


 いい女だな、と思いつつ、こちらも挨拶をした。自分よりかは年上だが、鬼八の娘だろうか?


 “私、姿鬼八の妻で、門田緑と申しますの”


 それを聞き、大変に驚いた。年の離れた妻を持っているとは聞いていたが、実際に見ると余計驚くものだ。しかも美人ときたものだ。もちろん、緑となのったこの女が後に自分の物になるなどと思ってもいなかった。


 “こちらですわ”


 緑が応接室に案内してくれた。中に憧れの、姿鬼八その人がいた。


 “な、長原将生です”


 挨拶したときに、声がうわずったものだった。緊張することなどないタイプだと自分で思っていたが、単なる過大評価だったらしい。


 “かけたまえ……”


 テレビで何度か聴いたことがある鬼八の声は渋かった。年に数度は芸能活動もする人だった。“性の伝道師”、“エロ漫画界のカリスマ”。そう呼ばれる男が目の前にいる。


 “知人の紹介だから断れなかったのだが、あいにくアシスタントは足りていてね”


 ソファーに座ると同時に、つっけんどんな態度をとる鬼八。


 “私は、先生のもとで学びたいのです”


 気難しい男だとは聞いていたので、長原は負けずに答えた。


 “私のようなエロ漫画家よりも良い師になれる人間は東京にたくさんいると思うが?”


 “将来的には、先生のような作品を描きたいのです”


 “私のような? 夢や目標は大きく持ったほうがいいよ”


 “御作のストーリーも好きですが、絵も好きなのです。高校のころからファンでした”


 姿鬼八を語るときに欠かせない一番目から三番目までの絵柄……長原は何度も真似て描いたものである。どれも魅力的だった。それをうったえるつもりでいた。


 だが、会話はそこまでだった。しばし気まずい沈黙が流れた。


 “あらあら、あなた。若い人をいじめてはダメよ”


 お盆にコーヒーをのせて入ってきた緑が笑った。このときすでに、彼女は別の男と関係を持っていたらしいが、傍目には仲の良い夫婦に見えた。


 “長原さん……”


 卓上にコーヒーを置いた緑が顔を近づけてきた。


 “主人は、まどろっこしい会話を嫌うのよ。あなたの作品を見せてごらんなさいな”


 耳もとでそう言われた。そのあと、熱く湿っぽい吐息がかかった。鬼八から見えぬよう口を手で隠してはいたが、亭主の前でよくこんなことができるものだと半ば呆れたものだ。


 緑はすぐに退室した。彼女のアドバイスに従い、長原はバッグから自作のカットを数点取り出し、鬼八に差し出した。


 “学生にしては良い腕だ”


 と、鬼八。興味を持ってくれたようだ。長原が用意したのは人物や背景、建物などの絵だった。今回の面接日時が決まってから、頑張って描き上げた。自信作だ。


 “だが、サボり癖がある素人特有の荒さが見えるな”


 見透かされた。さすがプロと言うべきか? ひょっとしたら自分の素行不良が伝わっていただけかもしれないが……


 “結果は、おって知らせるよ”


 鬼八は、そうとだけ言った。面接がはじまって数分もたっていない……


 玄関で靴を履き外に出ると、炎天の下、庭先で緑が大量の洗濯物を干していた。今は七月の末だった。挨拶をして帰ろうかと近づいた。


 “あら、終わったのですか?”


 こちらに気づいた緑のほうから声をかけてきた。燃える夏空の光を浴びる彼女は眩しかった。さきほどよりもTシャツがよりタイトに見える。汗ばんでいるのかもしれない。


 来たときは気づかなかったが、この庭には立派なプールがあった。贅沢なものである。人気漫画家というのは、やはり儲かる仕事らしい。


 “どうでした? 手ごたえは?”


 緑が訊いてきた。


 “ダメだったみたいです”


 長原は肩をすくめた。


 “そう……”


 緑は、こちらに背を向けると、また洗濯物を干しはじめた。それらがみな、泊まりこんでいるアシスタントたちのものだとは、このときは知らなかった。


 “大丈夫よ”


 彼女は言った。黒いブラジャーのうしろが透けており、ローライズジーンズに覆われた尻は見事なものだった。結果をあきらめた今、せめて目の保養くらいはして帰ろうかと思い、長原はじっと見た。


 “あなたは、たぶん、ここに来ることになるわ”


 “なんで、そう思うんです?”


 “女の勘!”


 それを聞き、長原は吹き出してしまった。


 “アテになればいいなぁ”


 “あら、馬鹿にしたわね?”


 “いやいや、すみません”


 “主人は見込みのある人ほど、あんなそっけない態度をとるのよ”


 緑は振り向いた。そのときの表情は今でも覚えている。自分より年上で人妻。大人の女だが、このときの彼女は、やけに子供っぽく笑っていた。灼けつく太陽の輝きは開放的な季節に合わせ、暑苦しい淑女の仮面を取り払うほどに強く降りそそいでいた。


 “そんなものですか?”


 “そうよ、妻の私が言うんだから間違いないわ”


 すこしだけ風が吹いた。緑は、なびくロングヘアを片手で抑えながら


 “待っているわね、長原さん”


 と、言った。そのときの笑顔は、うって変わって期待にときめく大人の女のものだった。どちらが彼女の本性か? いま、その表情を誘い、通り過ぎた風のみが知るのかもしれない……





 

 その日の夕方。地元の友人に会う気にもなれず、長原は実家で寝ッ転がっていた。テレビのローカルCMを眺めていると、帰郷したという実感がわくものだ。両親は仕事で家にいない。


 緑の言葉に淡い期待を抱きつつ、進路をどうしようか、などとも考えていた矢先、着信音が鳴った。長原はリモコンでテレビの音を消し、床に置いてあった携帯に出た。それは姿鬼八のアシスタントからかかってきた“採用通知”だった。



 

 

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