四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 12


『私が乗り移ることは、長原君も承知していたのだ』


 長原の姿を借りている鬼八は言った。


『彼は私のアシスタントをしていたころから絵は上手かった。人物もよく描けたが、背景、ベタ、効果線などに才があったものだ』


 大雨の中、鬼八は二本目の煙草を美味そうに吸っている。悟は黙って彼の話を聞いていた。


『長原君は、いずれ一本立ちして私同様、性愛をテーマにした作品を描きたいと言っていた。だが彼には……彼の描く絵には“欠点”があった』


「欠点?」


 悟はなんのことか、と考えた。だが、漫画家が持つ技術的な問題などわからなかった。


『そう、欠点だ』


「なんだい、そりゃ?」


『“艶”が、なかったのだよ』


「艶?」


『そのとおり、艶だ。長原君が描く写実的な女には艶が欠けていた。才能の限界は誰にでもあるが、彼は女体をリアルに上手に描くことができても、そこから先がなかった。技術だけでは駄目なのだ』


「難しいな」


『生前の私は、そのことを常に指摘していた。彼も努力はした。緑のような最高の女を知れば精神的に変わり、筆ものるかと思ったが、残念ながら漫画家としての長原君は行き詰まってしまった』


「あんた、まさか、そのためにふたりの浮気を容認したわけじゃあるまいな?」


『それもあったかもしれんな』


「おいおい……」


 悟は呆れてしまった。姿鬼八とは天才なのかもしれないが、それと紙一重のなんとかさ加減である。弟子の上達のために愛妻の身体を差し出したなどと……本気で言っているのだろうか?


『まぁ、長原君の体を借りたおかげで、私は緑を抱くことができたのだ。彼には彼で私と“融合”する利点があった』


「つまり、あんたは長原にもちかけたわけか?」


『そうだ。人ならざる力を手に入れた私が乗り移ることで、漫画家として一皮むける。写実的な絵を描く彼の手に私の才能とセンスが加わることで緑を絵的に表現できる“四番目の絵柄”は完成する。そうして今、彼が描いているのが“未亡人懺悔”なのだ』


「あんた常時、長原の中に“居る”のか?」


『ああ。生前の私は緑が付き合っていた男どもが彼女を抱くときだけ乗り移るようにしていた。だが死する直前、私は意識を長原君の中へと“移行”した。そうすることで戻る肉体を失い、“バイパスが切断されたため”彼の体内に常駐することができたのだよ』


 なるほど、と悟は納得した。帰る肉体がなくなったわけだから長原の中に完全寄生したということである。通常、人外は被憑依体が消滅すると“あちら側の世界”に戻ると言われているが、精神のみ移行し、“延命”するパターンもまれに聞く。この場合、鬼八と彼に力を与えた人外両者の精神と能力が長原の中に居ることとなるはずだ。


「あんたが表面に出るのは緑を抱くときと漫画を描くとき。そういうことか?」


『そうだよ。さっきも言ったとおり、長原君の技術と私の魂が融合した結果、四番目の絵柄は完成した。そして未亡人懺悔は世に出た』


「屋根の上にあった“のぞき穴”は、純粋なのぞき目的でこしらえたのか?」


『パソコンにあったとおり、男性機能を失った私の中に新たな性癖が芽生えた。まだ小便臭い小娘だったころから私が目をつけ、洗練させ、そして淫乱な若妻に育て上げた緑が他の男の前でどんな痴態を晒すのか、それを見たくなったのだ』


「寝室にカメラ仕掛けてあったろ? あれで充分じゃねぇか」


『生で見たかったのだよ』


「ライブ感か」


『“妻のセックスをのぞく”という背徳行為にしびれたものだ』


「あんたの『のぞき師、助兵衛』って漫画、読ませてもらったよ。同じ手法だったな」


『いかにも、その手を使ったのだ。だが、実はそれが功を奏したのだ』


「どういう意味だ?」


『他者に乗り移るにはひとつの条件があった。“俯瞰”する必要があったのだ。理由はわからんが、そうでなければ相手とのバイパスは繋がらないのだ』


「偶然の産物か」


『緑が男を連れ込むようになり、私は夢中で彼女の寝室をのぞいた。ある日“声”がしたのだ』


「人外の声か?」


『“ワガ、チカラ、ナンジニ、サズケヨウ”と』


 人外は人間が持つ心の闇に忍び込む。健康を失い、その悩みを埋めるため妻をのぞいていた、という異常な性癖もまた、つけ込まれる隙だったのであろう。


「事情はわかった。同情の余地もなくはないが、このままだと長原だけじゃなく緑も危ねえ。あんたとの“触手プレイ”は、彼女の身体にも悪影響を及ぼしている可能性大だからな」


『どうするというのかね?』


「あんたを霊的治療に対応した病院に連れて行く。そうすりゃ、あんたの魂も天に召されるはずさ」


 悟の言うとおりだ。鬼八に力を授けている人外がこの世から消滅すれば、その影響下にある鬼八の魂も帰るべきところへと帰る。つまり“あの世”である。長期間肉体を侵されている長原が助かるかどうかはわからないが、それでもやらねばならない。このままでは“末期”が進行する。


『すまないが、君のいうことはきけぬ。まだ緑を抱きたいのだ。そして連載中の未亡人懺悔は、まだ完結していない』


 鬼八の魂と人外を身に宿す長原は傘を放り捨てた。


『わ……タシ……は……マダ……ホロびヌ……カンケツヲ……ナシトゲル……maデハ……wagachikara……ミyo……』


 雨に打たれながら発光する彼の体に変化が起こる。高さ四メートルほどに巨大化し、驚くべきことに下半身から巨大な十本の触手……いや、“触腕”とでも呼ぶべきものがあらわれた。それは毎夜、緑の豊満な身体に人外の快楽を植えつけてきたものであったろう。対する悟は距離をとるため後方に跳躍した。空中で素早く傘をたたむ。


(緑からの“借り物”だからな)


 彼女から借りた女物の赤い傘である。着地した彼は地面にそれを優しく置くと、ジーンズのベルトにくくりつけてあるホルスターから“筒状の機械”を抜いた。気を送りこむと、疑似内的循環により一瞬にして紅い光の刃が形成される。剣聖スピーディア・リズナーのトレードマーク、真紅の光剣オーバーテイクだ。


『U……ugggggggg………………ugaaaaaaaaaaaa!』


 轟くのは降雨を弾き飛ばすような人外の叫びだった。今、鬼八と人外をその身に宿した長原の体は巨大な“烏賊”の姿となり、こちらへと歩を進めてきた。



 


 

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