四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 11
「長原さん、あんたが緑の亭主、姿鬼八なんだろ?」
悟は言った。
「僕が?」
と、笑う長原の左肩が濡れている。傘一本では防ぎきれない大雨だ。
「なにを言ってるんです? 姿鬼八先生は漫画家としての僕の師匠ですよ」
「つまり、あんたは弟子に乗り移ったわけさ」
「なにを証拠に?」
彼が言うと、悟はジーンズのポケットからスマートフォンを取り出した。
「これさ」
画面を長原のほうへ向けた。緑の寝室が映った動画を再生している。
「姿鬼八のパソコンから吸い出したのさ」
真知子に頼み、スマートフォンに転送したものだ。ベッドの上で絡み合っているのは緑と長原である。
「盗撮とは、おそれいったなぁ……」
「あんたは気づいちゃいるだろうが、他人に乗り移る能力ってのは人外に取り憑かれた結果、得たもんだ。このままだと、長原の身が危ねぇ。すでに手遅れの可能性もある」
悟は言った。だが……
(もしかしたら、すでに緑のほうも……)
そこまでは言わなかった。
人外に取り憑かれた期間が長ければ長いほど、被憑体とのシンクロ的融合度は増すといわれている。そういう状態を“末期”と呼び、被憑者が助かる見込みは薄くなる。
「パソコンから得られるだけの情報は得た。あんたの“告白文”によると、人生の最後に乗り移ったのが長原だとあった」
昨夜見た『告白』という名のフォルダには続きがあった。ガンに侵され、晩期を病院で過ごすことが多くなった鬼八だったが、その前には既に長原に取り憑いていたのだという。
「鬼八が言うには、一度“バイパス”のようなものが繋がった相手には、距離が離れていても乗り移ることが出来たそうだ。彼は病床から必要に応じてあんたに取り憑き、そして緑を抱いていた、ってわけだ」
と、悟。晩年の夫が病に伏せっていたときですら、緑は長原と寝室で楽しんでいた、ということになる。非道い話であるが、しかし、その中身は鬼八だった、というわけだ。
「それだけで証拠になりますかねえ?」
長原は、いまだ表情を変えていない。
「他にもあるさ」
傘をさしたままの悟は片手で器用にスマートフォンを操作し、ふたたび長原へ向けた。
「これが決定的な証拠だ」
今、見せているのは、ベッドの上で長原の肉体が一部、人外へと変生した場面である。肩と背中から伸びた“触手”が全裸の緑を絡めとり、宙に浮かせた状態で愛撫している。人外の快楽に美しいその身をゆだねる緑の姿はエロティックなものだった。
「こういう“プレイ”は緑の“心身”を損なうおそれもあるんでね。看過するわけにはいかねぇのさ」
触手姦により人外と人間が肉体的に接触する危険性、のことである。悟はスマートフォンの電源をきり、ジーンズのポケットにいれた。長原は数秒、下を向いていたが、やがて顔をあげた。さきほどまでと違い、目つきと表情が暗黒を含んでいた。
『どこで、わかった……?』
彼の声が低く変質した。それこそ緑の夫、姿鬼八のものであろう。
「あんたの部屋には、定期的に屋根に昇っていた跡があったんでね。それと、本棚にあった『未亡人懺悔』を見てピンときたのさ」
真相にたどり着いた悟は
「あの『未亡人懺悔』って漫画は、この件をもとにしているらしいな。あんたは緑を絵的に表現するため、“四番目の絵柄”を生み出したそうだが、今、世間に出回っている『未亡人懺悔』は長原の作品、ってことになっている」
『いかにも、あれは長原君の作品だ』
長原……いや、彼の体を借りた姿鬼八は、ジャケットのポケットから煙草を取り出すと、口にくわえ、ターボライターで火をつけた。
『医者から煙草はやめるよう言われ、生きていたころは従っていたのだが、若く健康な長原君の体に乗り移るのは性的な意味以外にも“利点”が多かったよ』
と、彼が満足げに吐いた紫煙の行く先は同じ色をした空だった。失った健康に対する執着もまた、人の気を負の側面に堕とし、人外を呼ぶ。暗い雲に似た暗黒の縁と言うものは、どこかに存在しているのだ。
「その“利点”ってのは、ひょっとしたら漫画を描くときにも有効だったんじゃねぇか?」
『なぜ、そう思うのかね?』
「俺の“勘”だよ」
『いいところをついているな。“四番目の絵柄”は、私ひとりでは完成しなかったのだよ』
「だから乗り移った?」
『そうだ。もともと、ああいった写実的な絵柄は長原君のほうが得意とするものだった。そして病に侵された私は手がかなわなくなっていた』
「つまり、あんたが長原に乗り移って描いたのが未亡人懺悔だった、ってことか」
『そうだ。描ける体を必要とした』
「なぜ自分の実体験をもとにした?」
『パソコンの中に書いてあったろう? 私は漫画に人生を捧げた男だ。こんな不思議な体験を描かぬ手はない』
長原となった鬼八は煙草を投げ捨てた。大雨で出来た水たまりの中、あっけなく消える火は人の生命の脆さ儚さにも似ていた。
『だが、長原君ひとりでも完成はしなかったろう。彼の手と私のセンスが融合してこその四番目の絵柄だったのだ。その結果、生まれたのが緑をモデルとした藍というヒロインだった』
「読ませてもらったよ。彼女によく似ていた。この件のウラに気づかせてくれるくらいにな。さすが亭主だ」
悟の賛辞は本音である。あの絵はまさに緑だった。
「だが、このままだと長原がもたねぇ。これまでにしとけ」
『断る。不能になった私は愛妻を抱くことができる若い体を手に入れたのだ』
「どうしてもか?」
『君はひとつ勘違いをしているよ』
鬼八は二本目の煙草に火をつけた。
『私が乗り移ることは、長原君も承知していたのだ』
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