四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 9


 “驚いたことに、私は他人に乗り移る能力を手に入れたのである。”


 パソコンに残された姿鬼八の告白だった。


 “ある日、いつものように私は緑が不倫相手に抱かれる様を屋根からのぞいていた。すると突然、視界が暗転した。風邪か疲労の影響かとも思ったが次の瞬間、私のすぐ目の前に裸の緑がいた。”


 “夢かと思った。だが現実だった。私はいぶかしがる緑の前で自分の体をあちこち触り、何度も確認した。若く健康な肉体を手に入れている。なんと私の精神が間男に乗り移っているではないか!”


 “私は狂喜した。病身となって以来、ひさしぶりに彼女を抱ける。夢中で緑の全身を貪った。ひさしぶりの彼女の身体は新婚だった頃と違い、さらに成熟していた。大きな胸、肉感を増した尻、間近で見る彼女の顔は若いころの面影を残しつつも前より大人びており、それらが快感に紅潮している。やはり緑という女は最高だった。”


 つまり鬼八は不倫相手に乗り移り、緑とセックスをしていた、ということだ。他人の体を借りて……


 “緑にとっての私は夫であり初めての男でもあった。私が自分好みに育てた彼女は他の男の手を経由したことで別次元の魅力を備えるようになっていた。他人が耕した畑の良さ、というものがある。私はそれに嵌り、以後、彼女が交際した男たちに乗り移るようになった。不能の私は、そうして緑を抱いていたわけである。”


(人外、だな……)


 読み進めた悟は、そう考えた。鬼八が目覚めたという他人に乗り移る力……今現在、そのような異能力は発見されていない。世界的に禁止されている古代の呪法に手を出したというわけでもないようだ。ならば人外の存在に取り憑かれた、と考えるほうが自然だ。


 人間が心に抱える闇。そういったものに人外は静かに忍び寄る。緑を抱くことができないストレス、健康を失ったことへの痛惜。嫉妬もあったろうか? 様々な心的要因が重なった結果、鬼八は負の側面へと堕ちた。そのように推測可能だ。


 “私は自分が得体のしれない何かに憑かれていることは自覚していた。退魔連合会や病院に相談すべきであることもわかっていた。だが私は、そうしなかった。他者に乗り移り、緑を抱くことができる力を手放す気になれなかったのだ。”


 “やがて私は、この奇特な体験を作品にしようと考えた。”


 “私の人生は漫画に捧げたものだった。性愛をテーマにしたものがほとんどであり、世間からは下品なエロ漫画家などと酷評されたものだが、人間のもっとも身近にある事柄は、やはり不変の興味対象であり、それを望む者も多い。私は読者の嗜好に合わせ、漫画を描き続けた。いや、私自身が好んだ分野でもある。”


 “ファンの方ならばご存知のことと思うが、私の絵柄は時期により大きく変化してきた。私がかつて描いた『一番目の妻、二番目の愛人、三番目の行きずり』になぞらえて、皆々様の間では一番目の絵柄、二番目の絵柄、三番目の絵柄と呼ばれている。”


 “一番目の絵柄とは劇画調子をあらわすものだ。私自身、劇画に憧れた世代であり漫画家、姿鬼八の原点ともいえる。”


 “二番目の絵柄は八十年代におきたロリータブームに合わせ作り上げたものだった。目が少女漫画のように大きく顔だちは幼い。市場の需要というものを意識した。”


 “三番目の絵柄は少年誌に掲載する際、生み出した。掲載誌の読者層に合わせた少年漫画調子である。”


 “私は自身の実体験を漫画にすると決めたとき、脚色を加えながらも、ある程度のリアリティを追求することとした。ならば当然にモデルは妻の緑だ。私が作り出した最高の女……それを投影するキャラクターの名を藍とした。緑と藍、滑稽でわざとらしい色違いだが、女の持つ淫らな本質は同等とした。”


 “私は緑をモデルとした藍のキャラクターデザインを始めた。だが、どうもしっくりとこない。当時描いていた三番目の絵柄では彼女の妖しい魅力を表現することができなかった。”


 “そこで過去の絵柄を思い出して描いてみた。昔の絵を描くのは難しいのだが、なんとか一番目の絵柄で彼女をデザインしてみた。だが、なんか違う。劇画調子では顔が濃くなりすぎる。”


 “二番目の絵柄の場合、かわいいのだが、どうしても幼い絵面となる。大人の魅力が香らない。ロリータ調子で描くと、どうやっても十代の少女にしかならない。”


 “どうにも今までの私の画風では緑という女を表現できないらしい。あれこれ悩んだ末、私は新しい絵柄を取り入れることにした。”


 なんと鬼八には“四番目の絵柄”があったのだ。緑を絵的に表現するための……


 “私が考えたのは写実的な表現だった。劇画とは違う。かといって少年漫画でもない。もちろんロリータとも異なる第四の姿鬼八を自分自身で作り上げると決めた。何度も何度も書きなおしては試行錯誤を重ねた。その結果、四番目の絵柄による緑……いや、ヒロインの藍が出来あがった。”


 “しかし、その頃、私の体は再び病魔に侵されていた。かつて患った前立腺ガンが知らぬ間に転移していたのである。医師から先は長くない、と告げられた私は準備をすすめた。四番目の絵柄による新作を……”


 “私は、この実体験に基づく作品のタイトルを『未亡人懺悔』と決めた。内容は見てわかるとおり、私が主人公だ。”


 悟は、もう一度『未亡人懺悔』のフォルダを開いてみた。さきほどは気づかなかったのだが、よく読んでみると主人公は藍ではない。その夫である。おそらく鬼八本人がモデルであろう。他者に乗り移ることができる能力を手に入れた彼は不貞を働いた妻、藍の交際相手の体に忍び込み、そして抱く。


 “題材としても面白いと思ったのだ。もちろん細部は現実と異なるが、他者に乗り移ることと、ヒロインが緑であることだけ同じならば問題はない。そう考えた。”


 つまり『未亡人懺悔』は鬼八の漫画だということになる。だが、今、世に出ている未亡人懺悔は緑の愛人、長原将生の作品だ。なぜ長原が描いているのか?


 悟は、もう一度、電話をかけた。


 ────どう? ちゃんと読めたかしら?


 スマートフォンの向こうから聴こえてくる真知子の声は、やや不機嫌である。


「このパソコンの中身を俺のスマホに入れられるか?」


 悟は訊いた。ぐずぐずしていると緑が帰ってくるかもしれない。


 ────容量が大きすぎて全部は無理よ


「じゃあ俺ン家のパソコンに。なんなら、おまえが“持って”いてくれてもいい」


 電脳の存在たる真知子ならば簡単なことであろう。だが……


 ────“私の中”に、あんないやらしい漫画や動画を保存しろ、っておっしゃるの?


 と、文句を言われた。


「おまえ、俺より先に中身を見たな?」


 ────検閲よ。悟さんの教育に悪いわ


「このトシになって性教育もクソもあるか。つーか、ンなこと言ってる場合じゃねぇ。急いでくれ」


 悟はモニターを見た。漫画家、姿鬼八の告白には、まだ続きがあるようだ。



 

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