四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 8

(やはり……)


 悟の勘は当たった。モニター上に流れる緑の情事は、当然に男とのものだった。アングルは天井から。つまり、さきほど屋根で見たレンズと同じ角度である。赤外線によるせいで、画面は白黒だが映りは完璧だ。彼女の夫、姿鬼八は盗撮した映像をこのパソコンに保存していた、というわけだ。


(だが、なんのために自分の女房を盗撮する必要があったのか……?)


 疑問に思った悟は他の動画ファイルをクリックしてみた。そこにあるのもやはり男との絡みだが、アングルは天井からだけでなくサイドビューや下から映したものもある。おそらく寝室内の数カ所にも隠しカメラが設置されているのだろう。彼女が言うとおり相手は何人もいたようで、場面ごとに異なる男たちがそれぞれ緑とまぐわっている。


 もうひとつ疑問がある。寝室にカメラを仕掛けながら、何故わざわざ屋根に“のぞき場”をこしらえたのか?


(鬼八って男は“のぞきのダイレクト感”が好きだったのかもしれねぇな)


 単純にただ、それだけのことか、とも考えた。亭主がいる日にも緑は他の男を引っ張りこんでいたのだとすれば、ずいぶん歪んだ夫婦関係だったようだ。自分の妻が他の男に抱かれることを黙認し、それをのぞいていた夫……いや、黙認ではなく“容認”だったのではないか。


(おっと、いつまでも動画を楽しんでいる場合じゃねぇ)


 緑の痴態を脳裏に記憶しながらも、悟は別フォルダを開いた。漫画家、姿鬼八の作品原稿群が並んでいる。そこに、あるひとつのタイトルを見た。


(『未亡人懺悔』……?)


 それは、たしか現在の緑の交際相手である長原将生の作品だったはずだ。昼間、彼がこの家を訪れたあと、スマートフォンで百科事典サイトを確認した。なぜ鬼八のパソコンの中にあるのか? そういえば客間の本棚にもあった。


 悟は、その未亡人懺悔とやらを読んでみた。パソコンの中に入っているのは原稿の一部……おそらく一巻にあたるくだりだろう。ヒロイン、あいが自己の肉欲を満たすため、様々な男と関係を持つ。その写実的な絵柄は、さっきも見たとおり長原のものだ。劇画調、ロリータタッチ、少年漫画風と、三通りに推移してきた鬼八の画風ではない。


 さっきも感じたことだが、やはり作中の藍という女は緑によく似ている。大きな目。肉づきの良い頬と、やや肉厚な唇。肩幅が広く胸は大きく、下半身にも適度な脂がのっている。


(モデルは緑なんだろうな)


 近しい人の造形を漫画に取り入れた、ということか。だが、なぜ長原の作品が鬼八のパソコンにあるのか? それがわからない。


 悟は別のフォルダを探ってみた。仕事に関係するものがほとんどだが、それらの中に『告白』というタイトルを見つけた。開けてみると中身は漫画ではなく文章だった。


 “二十世紀が終わる直前のことだった。田舎住まいの中年漫画家である私は、ひとりの少女に出会った。”


 それは、まさに鬼八の告白であったろう。


 “彼女は行きつけのコンビニエンスストアでアルバイトをする高校生だった。あまり快活な風ではなく、どちらかというとおとなしい感じだった。背は大きいが声は小さく、整った顔をしていたが地味な雰囲気だった。客が求める煙草の在り場所がわからずに、おどおどする姿は鈍臭く、袋詰めに手間取り怒鳴られる姿を何度か見たものだった。”


 “何故か私は彼女に光るものを感じた。垢抜けておらず、まだ洗練されてもいなかったが、磨けば宝石になると考えた。育てれば美しい花を開かせると考えた……いや、なにより身体が素晴らしかったのだ。水泳で鍛えられた肉体は高校生離れした熟れかたをしており、それは制服の上からでもわかるほどだった。胸も尻も、当時から良いものであった。”


 “父娘ほどに年が離れた彼女に対し私は執着した。バイト先に、そして学校に、彼女が帰る頃を見計らって車で迎えに行った。恥ずかしいから来るのはやめて、と赤くなりながら助手席に座る彼女は、いつまでたってもかわいい少女だった。とても愛おしかった”


 “世間ではストーカーなどという言葉も出始めた頃である。私も、その手に見られるのではないかと心配しながらも、出会いは重ねた。佐多さた岬に行ってみたいという彼女を連れていき、帰りの車内ではじめてのくちづけをかわした。彼女のすこし厚ぼったい唇は吸ってみるとすがすがしく、甘いものだった。”


 “彼女が高校を卒業した日、私はプロポーズをした。彼女は受諾し、まもなく結婚した。まわりの親族からは財産狙い、などと陰口も叩かれたが、意に介さないよう心がけた。私は彼女を愛し、彼女もまた私を愛し、尽くしてくれた。それが妻、緑だった。”


 “緑という女には父親がいなかった。幼いころ両親は離婚し、母親に育てられた。今思えば彼女は失った父性を私に求めていたのかもしれない。態度の端々から、そう感じたことは何度もあった。もっとも私は彼女を娘などと思ったことはなかった。私にとっての緑は妻であり、ひとりの女だった。”


 “妻、緑に対し私は与えられるものはすべて与えた。泳ぐことが好きだった彼女のため庭にプールを作った。服、靴、バッグは高級品を。車も買い与えた。いま思えば年が離れた妻に対し負い目があったのかもしれない。こんなおじさんと結婚して本当に幸せなのだろうか、と……”


 “漫画で財をなした私の作業場には若いアシスタントたちが出入りし、泊まり込んだものだった。複数の連載を抱えていたこともあり、毎日が忙しかった。私は緑に彼らの世話をさせた。食事を作り洗濯をし風呂を沸かす。漫画家の妻として生きる決意はかたまっていたようだ。”


 “私は緑を自分好みの女に仕立てあげる努力をした。日頃は清純。だが夜は淫乱の仮面をかぶらせた。ベッドの上でも私好みの女になるよう仕向け、また彼女もそれにこたえた。肉体の変化も顕著で胸はさらに豊かとなり、全体的に丸みを帯びてきた。卒業して太った、と緑は嘆いたが、やや筋肉質だった高校時代よりも女らしく良い身体になったと私は思った。どんなに疲れていても私は彼女を抱いた。元気だったころの私は彼女に夢中だったのだ。”


 “若い男性アシスタントたちの緑に向ける目がいやらしいものだということには気づいていた。私が原石から作り上げた緑という女は期待どおり若くして宝石となった。いいや、男だらけの職場に咲く花一輪といったところか。美貌と豊満な身体は若者たちにとってもたまらない魅力だったのだろう。緑は漫画以外のもので私が生んだ“傑作”となっていた。そのときの私は、そう思っていた。”


 “アシスタントたちと談笑している緑の姿を見たとき、私は嫉妬を覚えた。彼女の笑顔は私に見せない性質のものだったからだ。やはり年が近い連中のほうがいいのだろうか? 話が合うのだろうか? 元々はおとなしい性格だったが、若い男たちの視線に囲まれ、ちやほやされ、次第に社交的になっていった。私の前では娘のようにふるまうことも多かったが、彼らの輪に溶け込む姿は、いかにも友人という感じであった。それもまた妬けた。年齢だけはどうしようもない。”


 “結婚から二年ほどがたった。私は前立腺ガンを患った。手術の結果、回復はしたが生命と引き換えに男性機能を失った。緑という極上の女を満足に抱けない痛恨に私は打ちひしがれた。そのせいで緑との関係が冷めはじめた。”


 “悪いのは私だ。病身の私を支え、退院後も尽くしてくれた緑に私はつれなくした。ただでさえ年齢という負い目があったのに、さらに男でなくなったのだ。申し訳なさと情けなさ、そして先に語った嫉妬から緑に冷たくあたってしまった。関係の破綻は私のほうに非がある。”


 “やがて緑はアシスタントのひとりと関係を持った。それを知ったとき、私は責めることなどできなかった。部屋に彼女を呼び出し、謝罪したのは私のほうだった。”


 “私が緑の涙を見たのはそれが最後だった。責めてほしかったのか? まだ私のことを愛してくれていたのかもしれない。だが不能となった私に彼女を愛する資格はない。私は彼女の不貞を黙認した。”


 “彼女を愛せなくなった代わりだったのだろうか? 私の中に特別な性癖が生まれた。彼女が他の男に抱かれる様子を見たくなったのだ。私が自分好みに育てあげた女である緑は、間男の前でどんな痴態を晒すのか。たまらなく知りたくなったのだ。”


 “私は霧島に別荘を買った。そして彼女の部屋の数カ所にカメラを仕掛けた。盗撮するためである。週の何日かを別荘で過ごすと言い残し出かけると、緑は決まって男を連れ込んだ。彼女の夜は、ばっちりと映っていた。”


 “私が作り上げた緑という女は、やはり最高だった。彼女と寝た男たちのよろこびようを見ればわかった。美しい顔と身体、そして男を虜にする手管。彼女こそ私が生み出した最高傑作だったのかもしれない。漫画とは所詮、空想の世界だが緑は現実の女だ。私が実在する彼女を作った。”


 “やがて盗撮だけでは物足りなくなり、私は彼女が知らぬ間に屋根にのぞき穴を設置した。淫乱な彼女を生で見たい、そう思ったのだ。”


 “私と緑の関係はすでに歪だった。ひょっとしたら度重なる不貞の末、彼女の倫理や常識は麻痺していたのかもしれない。離婚を切り出されたこともあるが手もとに置いておきたかったので断った。私が怒らぬことを知ると緑は私の在宅中にも男を連れこむようになった。だが私にとっては好都合だった。生でのぞくことができるではないか。”


 “緑が男を部屋に連れ込み、そして私は屋根に登る。そこからのぞく快感は不能者となった私に神が与えてくれた新しい生きがいだったのだ。そう思っていた時期があった。だが、それは違った。そんな非常識な生活を続けていくうちに、神はさらなる力を私に与えてくださったのだ。”


 “驚いたことに、私は他人に乗り移る能力を手に入れたのである。”



 

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