四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 6


「私、ちょっと出かけてきます。先に休んでいてください」


 客間で緑が言った。いつの間にかバニラ色のワンピースに着替えている。耳にピアスをつけており、バッグを持っていた。大人コーデといった風で、よく似合っている。


 悟はベッドの上に起き上がると、かるく伸びをした。緑がふるまってくれた晩飯を食ったあと、仮眠していたのである。なにが起こるかわからない以上、当分はここに泊まるつもりだ。枕元のスマートフォンで時刻を確認した。午後九時十五分である。こんな時間に、とも思ったが、外出を咎める理由もないので


「どうぞどうぞ」


 と答えた。今日会ったばかりの、よく知らぬ男に留守番をさせる心理、とはいかなるものか? とも思えるが、悟は地方公共団体の出先機関たる異能者紹介所を通し派遣された身だ。なにか問題を起こすとフリーランス資格が剥奪されるため、信用されているのだろうか?


 世間一般の人々が人外の存在から受ける脅威や異能犯罪者の暴威に怯える昨今、フリーランス異能者はわりと身近な町の解決屋、という側面を持つ。ほとんどの依頼者が紹介所を通す理由は、素性があきらかであるため信用しやすく、また諸問題がおきた場合に不服申立て先が明確となるからでもある。公的機関の存在は、やはり大きい。


「ごめんなさいね、外せない用事なのです」


 と語る緑の顔は、きちんとメイクがされている。指輪をしていないが、外で愛人の長原と会うのかもしれない。もっとも、付き合っている男がひとりとは限らないが……


「構わんよ」


 彼女が着ているワンピースのウエストを飾る大きなリボンを見ながら悟は手を振った。充実した腰まわりに未亡人の色香が伺える。


「ところで、ひとつお願いがあるんだが」


「お願い?」


「いちおう、今夜から見回りをするんで、各部屋と敷地内の立ち入り許可をもらいたいんだが、いいかい?」


 悟はにっこりと笑った。ごく、自然に……


「見回り、ですか……?」


「あなたの依頼は、この家に出る“幽霊退治”だ。いちおう、その必要があるかなって思うんだけど?」


 緑は、すこし迷っているようだが……


「し、寝室以外なら……」


 と、小声で答えた。


「了解! 旦那さんの寝室はいいかな?」


 悟は訊ねた。夫婦生活がなかった鬼八と緑の寝室は別々と聞いている。


「ええ、主人のなら……」


 緑は、なぜか頬を赤らめ言った。オープンな性格と思っていたが、さすがに房時の場である寝室を見られるのは恥ずかしいのだろうか? もっとも、そういう顔をするときは、結構かわいいものである。年は悟より六、七歳上のはずだ。






 ガレージから彼女のセダンが出ていくのを見送った悟はジーンズのベルトにくくりつけてあるホルスターに手を触れた。光刃をおさめた状態の愛刀オーバーテイクは、そこにあった。徒手でないことを確認すると、懐中電灯片手に庭から見回りをはじめた。一周したのち屋内へと入る。人外さがし、というより地形を頭に入れておくためである。各部屋だけでなく風呂場、トイレなども……


 実は依頼人の緑自身が人外の存在に取り憑かれているのではないか。悟は、そうも考えていた。彼女が見た幽霊は幻視の類とも考えられる。被憑者の意識が明瞭でない場合、自分に取り憑いたモノを他者と錯覚するケースはたびたび見られる。


 人間が負の側面に堕ちる……仕事、金、地位、対人関係など理由はさまざまだが、そういった事情が陰性気質を生み人外を呼ぶ。そう考えれば、わかりやすいものだ。夫婦関係に悩んでいた緑が抱えたストレスにより、彼女が取り憑かれた可能性は否定できない。もしそうならば、大きな被害が出ていないのは幸いと言える。だが、取り憑かれた期間が長い“末期”の場合、被憑者の命に関わるため喜ばしいことでもない。


 あちこちを見て回ったが異常はない。そもそも滅多に出るものではない、とのことだった。不在の緑が取り憑かれているのなら現れるはずもない。本当ならば緑の寝室も見たいところだが立ち入りを禁じられている。


 この家の主だった姿鬼八の部屋は二階だ。室内の電気をつけてみると整頓された様子が見えた。八畳ほどの広さの中にダブルサイズのベッドとコンセントが外れたテレビ、机があり、カーテンが閉められている。ここには漫画本の類はない。


(ほぼ、生前そのままの状態なんだろうな)


 悟はマットレスが置かれたままのベッドを見た。クローゼットの中にはいまだ鬼八の服が入っているかもしれない。夫が故人となっても物々を撤去できない緑の妻心か。たとえ他の男との不倫に燃えていても、そういう感情は消えないものなのか。


 中に入った悟はカーテンを開けて窓の外を見た。灯りを付けっぱなしにしてある一階のリビングから漏れる光が漆黒の闇夜の中に庭を照らし出している。さきほど緑が泳いでいたプールは上から見ても立派なものだった。生きていたころの鬼八は、ここから彼女の水着姿を眺めることもあったろうか? 男でなくなり、抱くことができなくなった妻の豊満な肢体を、せめてその目に記憶することくらいはしたかもしれない。


(不自然だな……)


 悟は窓の棧を見た。一部分がやけに変色している。窓を開けて、そこに足をかけてみた。


(屋根に登れるな)


 通常人の力だと多少、苦労はするかもしれないが確かに登ることができる。悟は窓から身を乗り出すようにして屋根のへりを掴んだ。そのまま片手で反動をつけ、上に登った。身体能力に優れた異能者ならば簡単なことである。


 真っ暗な屋根の上に立ち、下を見た。二階建ての家の頂上とは、登ってみると、そこまで高さを感じないものだ。下に庭とプールが見える。


 悟は左手に持っていた懐中電灯をつけ、足元を照らした。黒く、炭のようなしみになっているところが数か所ある。


(タバコか……)


 煙草を地面……ここでは屋根だが、それに押し付けて消していたのだろう。こういう跡は、雨が降ってもなかなか消えずに残る。


(緑の旦那、かな……)


 今さっき見た窓の棧の変色具合から、常習的に誰かがここに登っていたようだ。一度や二度では、あのようにはならない。部屋の主だった姿鬼八ではないだろうか? 彼は生前よく“屋根上の散歩者”となっていたのかもしれない。なぜだろうか?


 この家の形状はL字型だ。下から見ると平らに見えた屋根は、実際にはほんのすこし傾斜している。これは雨漏り対策だろう。上に立つのは難しくない。ただ、太陽光発電のパネルが敷きつめられているため、歩ける範囲は狭い。悟は屋根の端を沿うように進んでみた。異能者というものは夜目が利く。その上、懐中電灯があるため夜でも視界の確保には困らない。


 L字を描く屋根の直角点あたりに来た。ここにパネルはない。代わりに“入り口が開いた小屋”らしきものがある。なぜか、屋根の上に……


 悟はその前に立ち、懐中電灯を向けた。ドーマーのようなものだろうか? 小屋、といっても犬小屋ほどの大きさで、人間の上半身がかろうじて入るほどの高さ広さだ。位置的に下からは見えなかった。立てた三角柱の上部を斜めに切ったような変わった形をしているが、これも雨漏り対策だと思われる。雨水は下に落ち、屋根をつたっていくようだ。


(ここは、ちょうど緑の寝室の真上だな)


 屋内の構造を思い出しながら悟は小屋の中を照らした。その床にあたる場所、つまりこの家の屋根に取っ手がついた三十センチ四辺ほどの大きさの“蓋”があった。この家屋の構造だと屋根裏部屋があるとは考えられない。そもそも人が通れる面積ではないし、屋根に入り口を作るとは思えない。


(開けたら人外が出てきました、なんてことにはならねェだろうが……)


 悟は小屋の中に手を入れ、取っ手をゆっくりと引っ張ってみた。最近、開いたことがなかったのだろう。やや力を要したが、音をたて外れた。念のため、急いで蓋を半開きにし、素早く手を引っ込めた。


(何もねぇな)


 危険がないことを確認し、小屋の中から蓋を取り出した。懐中電灯を向け、外からそっと見てみる。三十センチ四辺の空間が開いている。深さは三センチほど。思ったより浅い。蓋の厚みも同じくらいだ。空間の中央に“筒状のなにか”がある。


(レンズ?)


 悟は、その正体に気づいた。顕微鏡の接眼レンズに似たものだ。


(まさか、な……)


 緑の部屋の真上にレンズ……悟は小屋の中に顔を入れると、覗いてみた。真っ暗だが、異能者らしく夜目を利かせた。


(やっぱり、か……)


 暗闇の中に見えた物はベッドである。そう……誰かが、ここから緑の寝室を覗いていたらしい。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る