四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 7
レンズを通して見えたものは緑の寝室だった。ちょうどベッドの真上に繋がっているらしく、丸見えである。誰かが、ここから彼女を覗いていたようだ。
悟は円筒形をしたレンズの側面にあるスイッチを入れてみた。すると、視野が明るくなった。ご丁寧にも赤外線暗視装置付きだ。暗くとも見える仕組みである。SDカードの挿入口まであるが、“保存用”であろう。“ハイテクのぞき穴”と言えよう。
(こりゃあ、緑の寝姿は完璧に見えるな)
ベッドの上での彼女を想像した。この家で複数の男と関係を持った、と語っていた緑。そこまでばっちり見られていた可能性が高い。しかし、いったい誰が……?
(“亭主”、かな……?)
悟は緑の夫、姿鬼八の部屋で見たものを思い出した。一部分だけ極端に変色した窓の棧である。何度も足をかけない限り、ああはなるまい。緑いわく“鬼八は自分が他の男に抱かれるのを楽しんでいた”、らしいが、あれは冗談ではなかったのか。
(しかし、俺のこの格好も大概だな……)
そう思い、レンズから目を離した。犬小屋みたいなものに頭を突っ込み、未亡人の部屋を覗く姿などカッコいいものではない。“犯人”も同じような格好で緑を観察していたはずだ。華麗なる剣聖、スピーディア・リズナーらしからぬざまではないか。
客間に戻った悟は本棚を見た。大量に並ぶ鬼八作品の背表紙たちの中に気になるタイトルがあったことを思い出したのだ。
「これだな……」
一冊を取り出した。『のぞき師、助兵衛』とある。何度か絵柄を変えたという姿鬼八がエロ劇画を描いていたころの作品のようだ。出版年を見ると八十年代暮れとなっており巻数のナンバリングはない。巻末の解説を読むと、“七十年代に不定期連載された姿鬼八幻の逸品”とある。のちに単行本化されたもの、ということか。悟は項をめくった。
『しがないサラリーマン、
巻頭の人物紹介欄に、そう書かれていた。
(なんつー漫画だ)
ブッ飛んだ設定を笑いながら悟は読み進めた。主人公の助兵衛が、あの手この手をフル活用して美女たちのプライベートをのぞく姿を描いた作品だが、内容は劇画タッチに調子を合わせ、意外とシリアスである。鬼八渾身の性描写がふんだんに盛り込まれ、かなりエロい。
新婚夫婦の寝室をのぞくため、助兵衛が“細工”をするシーンがあった。まず住人がいぬ間に侵入し、錐のような物で天井に小さな穴を開ける。そして今度は屋根裏からドリルで穴を開ける。上下の穴をつなぎ、そこに円筒形の物体を挿入するのである。それは先に開けた小さな穴にはまるよう底面から細い管が伸びており、先端に超小型レンズが付けられている。反対側が接眼部分だ。下から見られても天井のシミ程度にしか思われない、というのが理屈である。
鬼八は似たようなパターンを使い緑の寝室を覗いていたのではないか、と悟は推測した。数年前、人外の存在に取り憑かれ、殺人を犯した有名脚本家と対峙したことがあった。犯行の手口が彼のドラマ作品に似ていたことを後で知ったのだが、物語を作る人間の発想が意外と現実に影響を及ぼすものだと感じたものだ。鬼八も然り、ということか。
鬼八自身が、このような難しい工事を施工したとは考えにくいが、違法な工事を引き受ける業者に依頼したのかもしれない。最近では先端部分が色付きの物も出回っており、内壁と同色化できる商品もある。あくまで想像の範囲内だが、すべては妻である緑の寝室をのぞくためだ。
漫画家、姿鬼八の作業場は、かつてあったであろう活気もなく、暗く静まり返っている。当然だ。主は、すでにこの世の人ではない。
電気をつけた悟は中に入った。なんとなく“勘”のようなものが働いた。天井にあった“のぞきレンズ”にはSDカードの挿入口があった。ならば……
「こいつか」
悟はパソコンの前に立った。鬼八の仕事道具だと緑が言っていた。モニターの裏をのぞいてみるとSDカードの差し込み口がある。
“いいわよ。でも、パスワードがわからないの”
さきほど緑に、このパソコンの中身を見ていいかと訊いたら、そう返された。文言どおりに受け止めるなら、パスワードがわかれば見ても良い、ということだ。とりあえず、都合良く解釈することにした。バレたときの言い訳を考えながら、悟はコンセントを繋いだ。今回の事件の真相につながるものがあるような気がしている。
(実は、興味本位で見たいだけだったりしてな)
この中に入っているであろう緑の艶姿を想像しながら電源を入れると、やがてデスクトップ画面があらわれた。ブルーの背景の中に、いくつかのフォルダがある。趣味で使うことはなかったのだろうか? その殆どに作品名らしきタイトルが付いている。マウスを操作し、クリックしてみた。
「やっぱり……」
小声でつぶやいた。五桁の暗証番号を入れるようメッセージが出た。これをパスしなければ見ることができないようだ。このパソコンは現在、ネット環境下にはない。
悟はジーンズのポケットからスマートフォンを取り出すと、ダイヤルをまわした。耳に当てる。
────悟さん? こんばんは
出たのは藤代アームズ社長、
────どうしたの? こんな時間に
「俺がいるとこにあるパソコンを遠隔操作できるか?」
────あら? 犯罪に手は貸さないわよ
「仕事だよ。姿鬼八っていう漫画家のパソコンさ」
────仕事熱心ねぇ。たまには会いに来てくださればいいのに……
「頼めるか?」
────いいわよ
悟はスマートフォンを耳に当てたまま、待った。しばらくすると……
────繋がったわ
真知子が言った。ミニシアターの形をした電脳の存在たる彼女は、悟のスマートフォンを通してデザリングしたのである。
────暗証番号がわからないのでしょう?
「ああ……」
────待って頂戴……
パソコンの番号入力画面に次々と五桁の数字が打ち込まれては、エラーを繰り返し消えていく。真知子が遠隔操作している最中だ。
ニ分後……
────OKよ
と、真知子。悟はデスクトップ上のフォルダをクリックしてみた。すると中が開いた。
「さすが真知子だ。よくわかるもんだな」
毎度、助けてもらっている身だが、本気の感嘆である。
────ネット上に出回っている姿鬼八の情報から、彼が選びそうな数字を予測していったのよ。ちなみに答えは、彼が好きだったというプロ野球チームの創設年度の頭にリーグ優勝の回数を付け加えたもの
「もし、わからなかったらどうするつもりだったんだ?」
────そのときは十万パターンすべてを順番に試すつもりでいたわ
気が遠くなりそうな話題に苦笑しつつも、悟は礼を述べ電話を切った。
「さて……」
と、声に出し悟はマウスを操作した。いくつかのフォルダを見てみるが、ほぼ漫画の原稿である。生前の鬼八は、ネットで出版社に送っていたのだろう。彼らしく性描写がふんだんに盛り込まれたものだ。
別のフォルダに“midori”と銘打たれたファイルがあった。動画のようだ。
「嫌な予感がするな……」
と、言いながら悟はクリックした。動画用のアプリケーションソフトが立ち上がる。
(やはり、な……)
勘は当たった。天井からのアングルだ。モニターに緑の美しくも妖しい情事が流れはじめた。ベッドの上で男に抱かれている。
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