四番目の絵柄 〜未亡人懺悔〜 5
「鬼八は私が別の男たちに抱かれるのを楽しんでいたわ。そういう性癖の持ち主だったのよ」
ステアリングを握る緑の目は暗い。車内の空気を刻んでいるのはノリが良い人気男性音楽グループの曲だが、彼女の声は淀んでおり、自嘲気味にも聴こえる。
「それって、ジョーク?」
数秒後、悟はニヤケ顔で訊いた。
「あら、わかったの? つまらないわ」
急激に悪戯っぽい口調へと変わる緑。未亡人の腹とは底深く、そしてわかりにくいものである。
「さっき言ったとおり、私は高校を出てすぐ、三十歳年上の鬼八と結婚しました。それからしばらくは普通の夫婦生活だったわ。違う点といえば人気漫画家の主人を支え、泊まりこむことが多かったアシスタントの男の子たちの服を洗濯したり、彼らのご飯を作ったり……それが妻である私の仕事でした」
「やはり相撲部屋のおかみさんだな」
「そうね……」
助手席に座る悟の言葉に笑いかえす緑。亭主を失くし、ひとり身になった結果、陰花の魅力を備えたのであろうか? そんな彼女は妖しくも、やはり美しいものである。
「でも鬼八はある日突然、“男”じゃなくなったの。前立腺がんを患ったのです。手術後、私たちの夫婦生活はなくなりました」
「そいつは気の毒だ」
それは両者の思いをくんだ悟の本音だ。おなじ男として鬼八に同情する。死因は癌だったというが後に転移したのかもしれない。そして若い身体を持っていたころの緑もまた、かなり悩んだはずだ。
「鬼八は病気のことを世間に公表しませんでした。“性の伝道師”と呼ばれた彼が不能になった、なんて言えないでしょう?」
「たしかに」
悟は納得した。エロ漫画のカリスマ、そして芸能活動もこなしていたという姿鬼八は、ダンディなプレイボーイとしても茶の間に知られた男だ。パブリックイメージというものは大事にしたかったのだろう。
「病後、主人と私の寝室は別となりました。彼はどこかそっけなくなり、私はストレスを溜め込むようになったのです」
「そりゃ、そうだろうな」
「私に優しくしてくれたのは、出入りしていたアシスタントの男の子たちでした。年が離れていた主人と違い、気兼ねなく話すことができたのは彼らだったの。心を許せたのも、彼らのほう……」
当時の彼女は二十歳くらいか。親子ほどに年齢差があった鬼八との距離など、あっという間に開くものだったに違いない。
「やがて私は、ひとりのアシスタントと関係を持つようになりました」
緑の告白……年齢を考えれば、今の愛人である長原とは違う男のはずだ。未亡人である彼女の恋愛遍歴には、複数の相手の名がつらなっているようだ。悟が緑から嗅ぎとっていた隙のようなものは、男たちの手垢が染みこまれた肉体から発散されているのか。
「家の外で会うような関係が半年ほど続いたかしら? でも、ある日、主人にバレちゃったの。漫画家のチームって狭い職場でしょ? 誰かが気づいて、バラしちゃったみたい」
「その男に対する誰かの嫉妬かもな」
「嫉妬?」
「あなたが綺麗だから、さ」
「まァ、嬉しい」
あっけらかんとした感じの緑。昔から美しかったのだろう。アシスタントたちの集団が男所帯ならば、懸命に連中の世話をする二十歳の彼女に対し、欲望が多く生まれてもおかしくはない。
「そのころの私って、まだまだ子供だったわ。だからかしら? あとさき考えず突っ走っちゃったのよ」
「で、バレたあとの旦那さんの反応は?」
「鬼八は私を部屋に呼び出して、こう言いました。“俺は肉体的におまえを愛することはできない。悪いのは俺だ”って……」
「ふぅん」
「いっそ怒ってほしかった。叩かれでもすれば、むしろすっきりしたかもしれないわ」
「そうだな」
「やがて主人は
「リッチな話だ」
「浮気している私を家に置いて毎週いなくなるの。“明後日帰ってくるから、留守番頼む”って言い残して。ねぇ一条さん、あなたなら、どう思う?」
緑の問いかけに悟は答えなかった。男性機能を失くした鬼八は妻の不義を容認した、ということか。
「その後、私は他の男性とも関係を持つようになりました。ときにはアシスタントの男の子。またあるときは家にやって来る宅配便のお兄さん、ネットで知りあった人もいたわ。鬼八は、それを知りながら何も言いませんでした。自分の家で妻が他の男とセックスをしているのにね」
「離婚は考えなかったのか?」
「もちろん、考えたこともあるわ。何度か切り出したこともあるの。でも……」
「でも?」
「“離婚はしない”って、ばっさり」
と、緑。不能となった亭主の鬼八が若い妻に遠慮したのか。不倫を許しても離婚は許さなかった真意とはなんなのだろう? 肉体的に愛することができない引け目を感じていたのだろうか?
「私って、ビッチでしょ?」
「俺に肯定してほしい?」
「そうね……でも、言われたら傷つくかもしれないわ」
ステアリングを握る緑の顔に感情の起伏は見られない。そこに罪の意識があるか否か、悟にはわからなかった。
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