魔剣ヴォルカン 10


「サンドラさん、ひとつ訊いていいかい?」

 

 藤代真知子から借りているコンパクトカーの運転席に座る悟は平之町ひらのちょうの交差点でステアリングを左にきった。このあたりは天文館からやや外れたところで、ノーズが向いた先に路面電車の線路が伸びている。時刻は午前十一時。交通量は多い。いま前に見える、右手に曲がる車たちは鹿児島中央駅方面へ行くことになる。


「はい」


 返事をした助手席のサンドラは左手を向いている。車も多いが、歩道をゆく人たちも見られる。彼女は、ただぼんやりと街のようすを眺めていた。


「弟さんとは随分、会っていないの?」


 悟は訊ねた。古代の呪法に必要な物理媒体であろう魔剣とシンクロすることができる、という青年はサンドラの“弟”だという。


「私たちは“孤児”でした」


 信号待ちのさなか、フロントガラスに横断歩道を渡る姉弟らしき子供らの姿が映った。五、六歳くらいであろう、背が高いほうの女の子が男の子の手を引いている。後ろについているのが母親だろう。高層建築群に囲まれた無機質で機械的で、そのくせ忙しい街であることを忘れさせる微笑ましい光景だが、サンドラの青い瞳は過去を回想しており悲しげだった。


「親戚中をたらい回しにされた挙句、アルプスの麓にある教会の養護施設に預けられたのです。亡くなった両親のことはよく覚えていません。“神父様”が私たちにとって本当の親でした」


 彼女の信仰心が厚い理由は、それなのかもしれない。教会で育ったわけである。


「八歳年下の弟はある日、“異能力”に目覚めました」


「ほう」


「多方向性気脈と呼ばれる力です」


 多方向性気脈の所有者……つまり彼女の弟は悟と同類の“ブランチ”である。気脈が枝のように細分化されている、と考えられていることから、そのように呼ばれる。世界的に数が少なく、珍しい異能力だ。


「能力が発現してすぐに、デリス・デ・ラ・メディテラネのスカウトが施設にやって来たものです」


 デリス・デ・ラ・メディテラネ。フランスの国営異能実行局である。人外の存在や異能犯罪者への対処を主目的とする点では日本の超常能力実行局や退魔連合会と役割は変わらない。様々な異能力を持つ者たちの集団だ。


 海外の異能者機関、組織のほとんどは国の直営下にある。異能力の質により部局が設けられているが、組織自体は一本化されているものだ。超常能力者と宗教的能力者それぞれに所属組織がある日本のような国は少ない。これは戦後の日本がアメリカ主導のもと、超常能力実行局を組織したためである。宗教団体を母体とする退魔連合会は当時すでに歴史が古く、出資者や支持者が多かったため、解体することが出来なかったのだ。


「弟に異能力が発現したとき、複雑な気持ちでした。戦いに身を投じる人生が決まってしまったのですから。ですが将来が約束された、という意味では安心したのも事実です」


 サンドラの言うことは世間一般論ともいえる。異能力を持った者は戦う宿命にあると同時に、食いっぱぐれることもないものだ。彼女の弟もまた、確約された人生を歩むはず、だったわけだ。本来ならば……


「その後……弟は十五年ほど前に行方不明となりました……」


「なぜ弟さんが、その魔剣とやらに選ばれし存在だとわかった?」


「それは博士が……」


 そこまで言ってサンドラは口に手を当てた。なにやら隠し事をしているようだが、依頼人が情報をすべて語るとは限らない。嘘をつく者も多い。規模が大きい薩国警備ではなく、いちフリーランスの悟に相談することも不自然である。






 鹿児島市の中央部に位置する高麗町こうらいちょう甲突こうつき川沿いにある大邸宅は藤代グループ会長、藤代隆信のものである。悟とサンドラが訪ねたとき、偉大な“薩摩の怪物”は広大な庭の端にいた。


「何用だ?」


 心底、迷惑といった風で隆信は言った。内心で悟のことをどう思っているのかはわからない。腰掛けている木製のガーデンチェアは高級品だ。着ているものは大島紬の逸品で、こちらも上物である。


「あんたは、いつも庭にいるな。紫外線は老体に悪いぜ」


 遠慮なく言う悟はジーンズのポケットに手を突っ込んだままだ。サンドラは三歩後ろにいる。隆信は、ちらと彼女を見たが、再び庭のほうへ目を向けた。庭職人の手により整備された立派なものだ。


「おまえのような無頼の輩に心配してもらういわれはない」


 と、隆信。八十をこえているが見た目は十ほど若く見える。端正と精悍の中庸といった感じの顔立ちは見事なもので、某外国人俳優に似ているとの評もある。この世代の人間にしては体格に恵まれており、立ち上がれば悟よりも背が高い。だが薩摩の怪物と呼ばれる所以は外見ではなく、山のように築き上げた権力と財力にある。


 異能者用武器メーカー、藤代アームズを母体とした企業グループの会長。それが鹿児島に君臨する藤代隆信という老人だ。昭和の時代、好景気の潮流にのり様々な業種業態に進出した結果、藤代グループは巨大化した。今では鹿児島県内のレジャー、交通産業の他、二十四時間営業のスーパー、シネコン、医療などを傘下におさめる。異能業界に対する影響力も大きい。


「心配なんざしないさ。今日は、あんたに訊きたいことがあってね」


 悟は隆信の横にあるチェアに座った。


「フランスのヴィクトル・ドナデューって博士のことだ。あんたの知り合いって聞いた」


 悟がその名を出すと、隆信の表情が微細にゆれた。興味を持ったのか。


「昔、鹿児島に来たことがあるんだろ?」


「懐かしい名だ」


 なにかを思い出すかのように隆信は空を見上げた。陽は既に高く、空気も爽やかな秋晴れの日である。ときに冷酷ときに非情、と呼ばれたこの老人にも、遠く雲のすき間に過去の思いを馳せる一瞬というものがあるのかもしれない。


「何十年も昔、あの男は私の工房に出入りしていた時期があった」 


 足が悪い隆信は傍らにたてかけてあった杖を握ると、ゆっくり立ち上がった。


「へえ」


 悟は座ったまま足を組んだ。サンドラは、その横に立っている。


「私が作る武器に興味を持った、というのが理由だったらしい。数ヶ月ほど住み込みで滞在していた。変わり者だったが、腕のいい職人だった」


 隆信が作った武器は性能だけでなく見てくれも優れていた。幕末期の薩摩切子に着想を得たとされる装飾は美しいもので芸術的価値も高かった。外見と中身を両立させる、という藤代アームズ製品のコンセプトは職人時代の隆信が確立したもので、今現在も受け継がれている。


「よく夜通し、武器製作について語り明かしたものだ。頑固で融通のきかぬ男だったが、真の職人だったともいえる。性格が災いして、腕ほどの評価を世間から得られぬたちでもあった」


 と語る隆信は戦前から続く父親の工房を継いで今の立場となった。戦後以降、異能犯罪への関与を回避させるため武器職人の独立はかなり難しいものとなっている。ヴィクトルが勤め人の立場であり続けた理由に、それもあったのかもしれない。


「十五年ほど前、そのヴィクトル氏がここに来なかったか? 外国人の子供を連れて」


 悟は訊いた。


「ああ、来たよ」


 隆信は、そうこたえた。

 

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