わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 5
天文館の外れにある
近隣の有料駐車場に車を停めた杉浦玲美は、歩道から周りを見つめた。十年前の鹿児島しか知らぬ彼女の目にも、あまり変わっていないように映った。記憶が曖昧なところもあるが、東京での生活に慣れきったせいだろうか? こんなにのんびりした街だったかしら、と思える。
玲美はゆっくりと歩きはじめた。芸能人らしく変装している。ロングヘアの上にリボン付きの黒い山高帽子をかぶり、顔にはサングラス。足もとはキャンバスのローカットスニーカーだ。
いつもの癖で、サングラスごしにすれ違う人たちの視線をチェックする。誰も杉浦玲美だと気づいていないようだ。グレーのパーカーとスキニーのデニムという適度にラフなファッションの賜物か? トップアイドルが鹿児島にいるなどとは誰も思わないのかもしれないが。
五十メートルほど歩いたところで、彼女の足が止まった。
(異能者紹介所……?)
玲美は二階建ての古臭い建物の入り口に掲げてある看板を見た。ガラス製のドアごしにそっとのぞいてみる。職員らしき女の姿が見えた。
(ここに相談してみようかしら……?)
決心した玲美はドアを開けた。
異能者紹介所とは地方公共団体の出先機関である。その名のとおり、“何らかの理由”で困っている市井の人々にフリーランス異能者を紹介するため存在している。人外や異能犯罪者からの脅威におびえて過ごす人は、ここを訪れることが多い。もちろん直接、フリーランスに依頼することも可能だが、公的機関が仲介に入ることで市民に安心を与える、というわけだ。
中に入った玲美が最初に見たのは、古ぼけた待合を仕切る古ぼけたカウンターの向こう側に座って事務作業をしている数人の職員たちの姿だった。これまた古ぼけた壁には“困ったときは異能者紹介所”、“この顔見たら即通報!”、“鹿児島県内人外出没マップ”、“いつでもあなたのそばに
「あのォ……」
カウンターに近づいた玲美はワイシャツを着た年輩の男性職員に話しかけた。
「あー、その番号札取って待ってて」
すると、そっけなくそのように言われてしまった。こちらがサングラス姿なので訝しく思われたのかしら、と思いカウンター上を見ると、百均で売ってそうな黄色い網目ケースの中にプラスチックの番号札があった。
玲美はそれを取り、待合の長椅子に座った。サングラスはかけたままである。
(お客さん、ひとりしかいないのに……)
“89”と書かれた番号札を見ながら思った。一分ほど待ったが、呼ばれる気配がない。職員たちはカウンターの向こうで事務仕事の真っ最中だ。誰もこちらを気にかける様子がない。
(帰ろうかしら……)
ここに来たことを後悔しそうになった。退屈なので立ち上がり、壁際の棚の前に行った。数冊の週刊誌が置いてある。だが、数ヶ月も前のものだ。読む気が失せ、ふたたび席に戻ろうとしたとき、先客のTシャツ姿の男と女性職員の会話が聞こえてきた。
「こずえちゃん、もっとまともな仕事まわしてよ」
「全部まともな仕事でしょ!」
「だって“ダンナの浮気調査”とか“下着ドロボーを捕まえろ”とか“ムカつく上司を殴れ”とか“担任の先生がヅラかどうか調べろ”とか、そんなんばっかじゃねぇか」
「すべて人外が絡んでいる可能性があるのよ!」
「いくらなんでも考えすぎだろ、鹿児島県民は」
「そこを調べるのがあなたたちフリーランスの“仕事”でしょ、一条さん!」
先客だと思っていたTシャツ姿の男は、どうやら異能者らしい。玲美はこっそりとカウンター前の席に座っている彼の横顔を見てみた。
(あら、素敵じゃない……!)
その男は女性的な顔をしており、大変なハンサムだった。異能者というのはゴツいゴリラみたいな人かと思っていたが、一条と呼ばれた彼はイメージとはずいぶん違った。
玲美は形の良い唇に人差し指を当て、すこし思案したが、思い切って近づいてみた。
「あのぉ……」
そして話しかけてみた。
「あン?」
と、彼はこちらを向いた。間近で見ると本当に美しい男だ。思わず見惚れてしまいそうになった。
「あの……よかったら、わたしの“依頼”を受けてくれませんか?」
トップアイドル杉浦玲美は、そう言った。
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