わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 6

 

 一条悟は目の前に座る女を見た。頭には黒い山高帽子をかぶっており、屋内なのにサングラスをかけている。


近江屋真由子おうみや まゆこと申します」


 彼女は名のった。待合の端っこに対面式の席がもうけてある。ふたりはパイプ椅子に座り、小さなテーブルを挟んでいる。


「一条悟です」


 悟も名のった。ごく、普通に……


「“相談”があるんです」


 真由子という女はそう言ってサングラスを外した。大変な美人だ。そのルックスを隠していたとはもったいない。


「俺みたいな人間に相談か……よっぽどのことだな」


 相手の意外な美しさに感心しながらも悟は訊いた。こっちを見る職員たちがカウンターの向こうでざわついている。なぜだろうか?


「祖茶ですが」


 さきほど悟と会話していた棚橋たなはしこずえがお茶を持って来た。若い彼女は、ここに勤める職員だ。


「あの、失礼ですが“杉浦玲美”さんじゃありませんか?」


 湯呑みを卓上に置きながら、こずえは訊ねた。真由子と名乗った女は「はい」と頷いた。


「やっぱり!」


 こずえはお盆を胸に抱いて喜んだ。


「光栄です! お会いできるなんて!」


 そのこずえの声に他の職員たち皆が反応し、集まって来た。


「本物だ! 本物だ!」


「映画、見ました!」


「CD全部持ってます!」


「握手してください!」


「サインください!」


 若い新人職員も中年の女性職員も、いつもは無愛想な年輩の男性職員までもが群がってきた。


「なんだなんだ、なんだァ?」


 異様な雰囲気に悟は驚き、そして……


「いったいどうしたんだ、こいつら?」


 と、メモ帳片手に順番待ちしているこずえに訊ねた。


「そりゃあ、杉浦玲美さんがいるんだから当然じゃないですか」


「誰それ?」


「だから杉浦玲美さんですよ」


 こずえの言葉に悟は首を傾げた。この依頼人の女は“近江屋真由子”と名乗ったが……?


「一条さん、まさか知らないんですか……?」


 ドン引きしたかのように、こずえは言った。悟は頷いた。


「杉浦玲美ですよ! アイドルの」


「そ、そうなの?」


「そうですよ!」


「知らなかった……」


「マジですか?」


「ああ……」


「テレビ見ないんですか?」


「いや、普通に見るけど」


「一条さんって見た目に反して、おじさんなんですね」


 こずえに冷たい目で見られ、悟は絶句した。近江屋真由子と名乗った女はサイン攻めと握手攻めにあっている最中だが、笑顔でこたえている。


「あ、今日はプライベートなんで、“これ”してもらえますか?」


 真由子……いや、杉浦玲美は片目をつむり、形の良い唇に人差し指を当てた。チャーミングな仕草が様になっている。さすがアイドル、といったところか。


「ああ、ご心配なく。当紹介所は守秘義務を厳守いたしますので」


 と答えたのは、さきほど彼女にそっけなく対応した年輩の男性職員だ。有名人と知ると、こんなにも態度が変わるのか。


「もういいだろ、シッシッ……!」


 仕事を忘れているであろう怠慢職員たちに対し、悟は“あっち行け”と手を振った。


「疑うわけじゃないが、本当なのかい? こんな場末の古ぼけた汚ねぇ紹介所に有名人が来るなんて」


 人払いに成功した悟は念のため訊いた。すると、玲美は立ち上がり、壁際の棚から一冊の女性週刊誌を持って来た。


 悟は表紙を見た。“杉浦玲美巻頭独占インタビュー”とある。そして、そこに映っているのは紛れもなく目の前の女だ。


「あとで、ここにサインくれる?」


 悟は自分のTシャツの胸元を引っ張った。玲美は笑って頷いてくれた。


 話を聞こうか、と思ったが、ミーハーな職員たちはカウンターの向こうに戻ってからも遠慮なくこっちを見ている。話がしづらい状況だ。


「場所、変えねぇか?」


 と、悟。親指で出口をさした。


「そうですね」


 とは、玲美。トップアイドルは苦笑すら魅力的だ。






「杉浦玲美ってのは“芸名”なのか」


 助手席でスマートフォンをいじりながら悟は言った。最近、運動不足の彼は徒歩で金生町まで来ていた。


「はい」


 と、自分の車のステアリングを握る玲美。最初に名のった近江屋真由子というのは本名らしい。


「難しい名前なので、デビュー前に事務所の社長につけてもらったんです」


「なるほどね」


 悟がスマートフォンで見ているのは杉浦玲美の公式サイトである。たしかに、横で運転しているのは本人だ。職業柄、有名人に会うことは何度もあったが、たまにそういう機会が訪れると、やはり驚く。だが、二ヶ月前に死亡が報じられ、もはや伝説の存在となりつつある剣聖スピーディア・リズナーは世界的なスーパースターなのだが……


「でも、なんで鹿児島に?」


 実は生きていたスピーディア・リズナー、つまり一条悟は訊ねた。


「わたし、鹿児島こっちの出身なんです」


 そのように答えた玲美はサングラス姿で運転中だ。


「へぇ、そうなの……」


 と、言って悟はおかしなことに気づいた。


「あれ? でも、この公式サイトのプロフィールには“東京都出身”ってあるけど?」


「ああ、それ“嘘”なんです」


「嘘?」


「都会的なイメージをつけたいから、って理由で事務所から東京出身ってことにされたんです」


 あっけらかんと語る玲美。


「で、でもさ、バレないの? 同級生とか知り合いがこっちにいるでしょ」


「とっくにバレてます。卒アルの写真がネットで拡散されました」


「大丈夫なのか?」


「生まれは東京、育ちは鹿児島ってことにしました。後付け設定ですけど」


「そ、それでいいのか芸能界?」


「週刊誌とかがちょっと騒ぎましたけど、すぐに沈静化したんです」


「へぇ……」


「年齢詐称とか整形疑惑とかのほうが喜ばれたかも」


 と、玲美。それはブラックジョークなのか? 


 ふたりを乗せた車は交通量の多い国道10号線を前にして停まった。左手に見える石垣は鶴丸つるまる城の跡だ。西南戦争時についた弾痕がいまだに残っている。


「ところで、君の“依頼”って?」


 “城山しろやま入口”と書かれた赤信号を見ながら悟は訊いた。彼の家は、この先だ。


「わたしを、殺してほしいんです……」


 それが玲美の依頼らしい。

 

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