わたしを殺して……! 〜愛と哀しみのオーバーテイク〜 3


 杉浦玲美がアイドルとしてデビューすることになったのは八年前。だが、それは社長、丸田香奈絵の苦渋の決断だった。本来は女優にするはずだったが、当時のマルタプロダクションにはコネがなかった。香奈絵としては飼い殺してでも時を待つつもりだったが、“やむを得ない事情”があったのだ。


 アイドルという存在はどこか庶民性を必要とする。男性ファンから見た場合の親近感が要求されるのだ。だが玲美はそういうものを持たなかった。完璧な美貌を誇る彼女は浮世離れしすぎていて、アイドルとしては通用しない、というのが香奈絵の見解だった。周囲の反応も似たようなもので、高嶺の花的なタイプは本格女優を目指すべき、と言われた。


 玲美に初めて回った仕事は週刊漫画雑誌のグラビアだった。おとなしい彼女にはつらいことだったろう。男性スタッフに囲まれた中、肌の露出が多い水着をつけての撮影だった。現場では我慢していたそうだが、送迎の車内では泣いていたと聞いている。撮影後、玲美は体調を崩し四日ほど休んだ。精神的な負荷は大きかったようだ。


 ところが、このグラビアが玲美の運命を変えた。掲載された漫画雑誌の出版社に問い合わせが殺到したのだ。清楚な高校生でありながら挑発的なボディラインを持ち、しかも物憂げな視線でカメラを見つめる彼女に読者は刺激された。ネット上の反応も熱く、国民が杉浦玲美という存在を認識しはじめた。


 香奈絵にとっては想定外のことだった。会議を開き、玲美の今後について意見を求めた。


 “既存の典型的なアイドルに食傷している市場に一石を投じるチャンス”


 “ルックスと肉体のギャップは魅力的でわかりやすい”


 “美しさの価値は不変であり、またそれこそ男が求めるもの。それは芸能界も一般社会も変わらない“


 “我が社が専門としているアイドルとして売り出すべき。玲美だって年はとっていく”


 部下たちから様々な意見が飛び交う中、香奈絵はひとつの結論にたどり着いた。


(アイドルとは、もともと高嶺の花だったのではないか)


 と。つまり庶民性とは世間の錯覚に過ぎず、アイドルとは本来の意味どおり、偶像であるはずだ。彼女はそう考えなおした。


 それから二年ほど、玲美はグラビアアイドルとして活動を続けた。彼女の水着姿が掲載された雑誌は顕著な売り上げの伸びを示し、多くの出版社から撮影依頼を受けた。スターはどのような分野でもスターであることの証左となり、一時期は他の事務所がマルタプロダクションの手法を真似て、硬質な美人アイドルを育成していた。だが、誰も玲美には叶わなかった。


 グラビア業と並行して、杉浦玲美のCDデビューが予定された。社内でレミ・プロジェクトとも呼べるべき企画が進行し、彼女は仕事の合間、ボイストレーニングに明け暮れた。この間、化粧品、清涼飲料水、大手損害保険会社、携帯電話会社などのCMをこなした。契約社数は十社にも及び、一介のグラビアアイドルから茶の間の顔へと変貌しつつあった。


 五年前、彼女が芸能コースを有する都内の高校を卒業した直後の五月、事務所が最も懇意にしていた有名写真家撮影によるグラビアが男性向け週刊誌に掲載された。“杉浦玲美ファイナルショット”と銘打たれたそれは数点にわたる下着姿の彼女の写真だった。撮影前、玲美は難色を示したが、香奈絵が数日かけて説得したのである。断りきれず折れた玲美は美しい下着ヌードを晒した。“最後のグラビア”という条件で……


 玲美の下着姿を表紙としたその週刊誌は通常の数倍の売り上げを記録した。全国の店で品切れが続出し、出版社は対応と苦情に追われた。手に入れられなかった男性客が本屋の店員を殴る事件まで発生し、社会現象となった。この件を期に杉浦玲美というアイドルは日本中に知られる存在となった。


 グラビアを“卒業”した玲美は、その一ヶ月後、CDデビューを果たした。香奈絵の計画は、ある意味そこがスタートと言えた。それまでの活動など布石に過ぎなかった。


 デビューシングルのタイトルは『オーバーヒートラブ』。有名ミュージシャンが作詞作曲を手がけた一枚は爽やかなミドルテンポで玲美のイメージに合うものだった。彼女の歌唱力は事務所入りした頃から知っていたので楽曲の出来の良さに香奈絵が感動することはなかった。だが、生放送の歌番組でもオリジナル通りに歌うことができる舞台度胸を持っていることには驚いた。玲美が出演した化粧品のCMとタイアップした結果、国民は毎日テレビで聴くことになった。最終的に五十万枚超のスマッシュヒットを記録した。


 デビュー曲が売れたことで、彼女は芝居の世界への足がかりを掴んだ。月曜夜の若者向けドラマ『この愛、貫きます!』で、不器用な主人公の妹役に抜擢されたのだ。毎話、登場する“お兄ちゃん、今アタックしないでどうすんのよ!”という玲美のセリフは有名となり、その年の流行語大賞にノミネートされた。今思えば、トップアイドルにとって最も必要な“運”も持ちあわせていたのだろう。ただし、彼女の演技力はたしかなものだった。


 その後の玲美は飛ぶ鳥を落とす勢いで芸能業界を席巻した。翌年には初のドラマ主演が決まり、同じ時期に映画のヒロインの座も勝ち取った。新曲はすべてヒットチャート一位を記録し、CMは最盛期で十六社を数えた。それから五年ほどたった現在は、やや人気も沈静化しているが、それでも仕事は途切れない。トップアイドルとしての安定期に入ったのだ、と香奈絵は分析している。すぐに消える一発屋とはモノが違うのだ。


 香奈絵はノートパソコン上の玲美の姿を見つめた。“アイドルとして活動する上では不利、絶対売れない”と当擦されたこともある彼女の美貌に欠点などなかった。職人が精巧な腕で彫りあげた人形のようだ。そして、原石を正真正銘のダイヤモンドとして育てたのは社長の自分だ、という自負がある。


 二十四歳となった玲美は歌手として、女優として大成しているが、“アイドル”の肩書きは取れていない。これは香奈絵の方針だった。もっと若いアイドルは掃いて捨てるほどに存在するが、“後発”の連中が杉浦玲美に及ぶことなどない。それを周知させるためだった。だから玲美はいまだに不動のトップアイドルであり続ける。もう何年も……


 そして玲美のブレイクは、弱小に過ぎなかったこのマルタプロダクションに多大な利益をもたらした。今では中堅としてテレビ局などに太いパイプを持つことになった。現在、多くの女性タレントを抱えるが、常に新人を募集している。そのみんなが“玲美ちゃんみたいになりたい”と言って履歴書を持ってくる。


 そういう意味では玲美は会社にとって恩人ともいえる。彼女自身、そう思っているのだろうが、それを鼻にかけるところがないのが杉浦玲美という女だ。香奈絵は玲美のそういうところには感謝していた。だから休みをあげたいという気持ちはある。


 すこし疲れた香奈絵は座ったまま目を閉じた。独立して十五年。なにもかもが上手くいかなかった時期も長かった。それを乗り越え、玲美を世に送り出したことで、会社は上昇気流にのった。増大した地位と責任に押しつぶされそうになったとき、自分に言いきかせる。“これは自分が望んだことではないか”と……


 電話の音が鳴り、香奈絵は目を開けた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。十数分ほどのことだったろうか? 彼女はデスクのすみに置いてあった携帯電話を取った。玲美のマネージャーの吉田早子からだ。


「お疲れ様です、丸田です」


 と、香奈絵は電話に出た。通話のはじめは誰に対しても同じ言い方をする。


 ────社長、吉田です!


 電話の向こうにいる早子の声は慌てていた。


「どうしたの?」


 ────す、すみません……玲美が、玲美がいなくなったんです……!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る