ストレンジ・トライアングル

ストレンジ・トライアングル(天)

 鹿児島市 高麗町こうらいちょうは路面電車が通る道路沿いにある。甲突こうつき川が流れるこのあたりは、道を一本入れば閑静なもので、交通量が多い表通りとは空気が異なる。鹿児島中央駅に近く便利な場所だが、大久保利通が生まれた地としても知られている。


 藤代グループ会長、藤代隆信の大邸宅はその一角にある。漆喰の塀に囲まれた敷地は築いた功績に比例したものと言ってよいほどに広い。緑あふれる庭は訪れた客から金を取っても文句を言われないのではないか、と思えるほどに美しいが、これは職人の手によるものだ。そして、そびえたつ日本家屋は荘厳である。


 庭の中央に大きな池があった。車椅子に座り、鯉に餌をやっているその老人こそが藤代隆信だ。大島紬の上からカーディガンをはおっている。


 水がしぶく音がした。獰猛に餌にくらいつく鯉たちの姿は、野心の塊だったこの老人の若いころに似ている。異能者の武器を作る職人だった父のあとを継いだ彼は世界に視野を広げ、今では鹿児島の異能業界に多大な影響力を持つ存在である。


 職人時代の隆信が作る武器は高性能を誇ったが、なにより見た目が評判だった。幕末期の薩摩切子に着想を得たとされる美麗な装飾を付与し、外観にこだわった結果、一部の異能者たちから圧倒的な支持を得た。人外を殺傷するための道具でありながら、芸術性があったのだ。やがて鹿児島のみならず県外や海外から受注が相次ぎ、藤代アームズは巨大化していった。戦後の話である。


「元気そうでなによりだ」


 声がした。餌をやる手を止めた隆信がそちらを見ると、一条悟が立っていた。


「おまえか……」


 わざと迷惑そうな声を出し、ふたたび隆信は池に餌を投げはじめた。ふたりの間に流れる沈黙に割り込む水音は数匹の鯉がたてるものだ。


「おまえが来るとロクなことがおこらん」


「随分な言い草だな」


 悟は苦笑した。美しいその姿は見事な庭にも勝るものだ。この時期、秋風爽やかだが、強い陽射しが涼しい空気に横やりを入れる。立ち去った夏の記憶をよみがえらせるかのように……


「真知子のおかげでフリーランスになれたよ。礼を言いに来た」


 悟は言った。藤代アームズの社長、藤代真知子は隆信の孫である。


「なら、孫娘のもとへ行けばよかろう」


 隆信は餌をやり続けている。


「あんたも“協力”してくれたんだろ?」


「知らん」


「またまた……」


 地方公共団体から三級資格独立異能者、つまりフリーランスの許可を得たことで、悟は鹿児島県内で合法的に活動できるようになった。真知子が手を回したわけだが、バックにある隆信の威光も働いた。もし隆信が反対していたら、許可はおりなかったわけだから“協力”とも言える。


「あと、あんたが“メイド”を派遣してくれたおかげで、人なみの生活ができているよ」


 悟は頭をかいた。今日もTシャツにジーンズ姿である。彼が言う“メイド”とは退魔連合会の高島八重子のことだろう。


「無精者のおまえのことだ。さぞかし迷惑をかけているのだろうな」


 と、隆信。悟の監視目的で送りこんだあの女は自分の“添い寝”相手だ。


 隆信は悟が、人工知能である真知子をいずれは破壊しようと考えているのではないか、と疑っていた。不慮の死を遂げた孫娘をミニシアターの姿をした電脳の存在として蘇らせたのは隆信だが、悟は“所詮、機械だ。真知子じゃない”と言い放った。あれからずいぶんと年月が流れた。


「おまえは戦いを欲しているだけではないか?」


 池のほうを見つめながら隆信は問うた。


「おまえは戦いなくして生きてはいけない男だ。流血を糧とし、勝利を至上の喜びとする。違うか?」


「違わねぇかもな」


 悟も池を見た。この男は、いつもどこか飄々としている。


「だから自営異能者になれ、という真知子の願いをきいたのだろう? 狭いこの土地で静かに暮らすようなたちではあるまい。“剣聖”などとおだてられても、おまえは品のない殺し屋にすぎん」


「否定できねぇな」


 悟は笑っている。内心を読ませることはない男だ。本音かどうかはわからない。


「まぁまぁ……おふたりとも、お話がはずんでいるようですね」


 と、家政婦の取手とりでさわ子がワゴンを運んできた。上に氷入りのアイスティーがのっている。秋とはいえ、冷たい飲み物のほうが合う時期だ。


「お、相変わらず気がきくね。さわ子さん」


 悟はガムシロップを入れてストローでかき混ぜると、行儀悪く立ち飲みしはじめた。


「誰が、こんな無頼者を通せと言った?」


 隆信が目くじらを立てた。


「あら、悟様は大切なお客様ですわ」


 さわ子はアイスティーを差し出してきた。超常能力者であるこの女は、かつて薩国警備のEXPERだった。今は家政婦兼ボディーガードとして隆信のもとにいる。フリーランスなので今の悟と同じ立場だ。


「さわ子さん、聞いてくれよ。藤代さんが俺のこと“無精者”って言うんだぜ」


「あらあら」


 ふたりの会話を隆信は無視した。家事全般まったくしなかった、という点では自分も悟と同類なのだが棚に上げている。


 この一条悟という男がなぜ、ときおりここを訪れるのか? それは隆信にはわからなかった。友人と思われているわけではないだろうが、かといって説教を聞きに来ているとも思えない。年をとり、足を悪くしている自分を気にかけているのだろうか? 


「ところで藤代さん、体調はどうだい?」


 こちらの考えていることがわかったかのように悟が聞いてきた。


「お医者様からは、足以外は三十代の若さを保っていると言われていますわ」


 答えたのはさわ子。隆信はアイスティー片手に池を眺めているだけである。


「そりゃ、おそれいった。安心したぜ」


 空になったグラスをワゴンの上に置く悟。残った氷が硬質な音をたてた。それが別れの合図だったらしく、彼は片手を振った。


「たまには、孫娘に会いに行け」


 隆信は立ち去ろうとする背中に言った。電脳の存在である真知子は悟のことを愛している。人間の少女だったころから、ずっと……


「ああ……」


 背中が答えた。ジーンズのポケットに両手を突っ込み、歩き出した悟のうしろ姿を確認すると、隆信はまた鯉に餌をやりはじめた。

 

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