剣聖の記憶 〜炎の中のスピーディア〜 7

 謁見の間は一瞬にして紅蓮の炎に包まれた。スチュワートが手にしたリモコンが自動発火装置につながっていたらしい。


「ペイトリアークが言っていたのだ……“日本人が自分を追って来たら、これを押せ”とね……」


 玉座にて猛火に焼かれながらスチュワートが言った。その姿、まるで煉獄の炎に身を任せ、自身を清めんとするがごときだが、彼の罪が消えてなくなるわけではない。


「連盟に捕まる気はないのでね……ああ、今わかったよ……あの男が私を連れて行かなかった理由……」


 炭の塊になりながら、スチュワートは最期の言葉を投げかけてきた。


「君に……この炎を……見せることだ……これこそが……あの男が私に与えてくれた……役割だったのだ……」


 焼き尽くされながら、彼の姿は完全に炎の中に消えた。玉座だけではない。壁が、柱が、天井が、すべてが燃えている。


 灼熱の中に取り残された悟は“あのとき”のことを思い出していた。かつて……まだ一条悟という名前を持たなかった子供のころ、彼が住んでいた鹿児島中部自治特区、通称“禁猟区”は大火災に見舞われた。大勢の死者を出したあの出来事から二十年近くがたっている。


 今、燃えさかるこの豪火は悟に対するメッセージなのかもしれない。当時、禁猟区の長として住人たちを従えていたのがペイトリアークだった。今回も情報を得ることはできなかった。ヤツの行方は杳として知れず。悟だけでなく国際異能連盟も追っている。あの野望はあまりにも危険すぎる。


 炎に包まれる謁見の間。柱が倒壊しはじめた。じき屋根も崩れてくるだろう。その前兆のように音をたて一灯の巨大なシャンデリアが落ちてきた。悟の足元に破片が飛び散る。彼の美しい目に見えるものと同じ焔の地獄を映しながら……


 玉座はいまだ燃えている。スチュワートは、まだそこにいるのだろうか? それとも吹き上がる火柱に誘われ、昇天したか。ここからではわからない。悟は前に踏みだした……






 謁見の間だけではない。城全体が大火災に見舞われていた。天罰がくだったかのごとく紅蓮の色と化した様は三キロほど離れた村からもよく見えた。


 テント式の住宅から出てきた住民たちがそれを見て歓喜の声をあげていた。皆、スチュワートの横暴に嫌気がさしていたのである。夜の砂塵舞う村の中央路で男たちは抱き合って喜び、女たちは嬉し涙を流し、そして子供たちは踊っていた。今日からスチュワートと、その配下どもの顔を見なくてすむのだ。


 周囲が狂喜する中にメティトがいた。彼女の瞳に映るものもまた、火の粉で夜空を染めあげるスチュワートの城である。本来ならば皆と喜びの思いを共有してよい立場だが、その目が映す感情は遠いところにあった。


(あの人が、やってくれたのだ……スチュワートを殺してくれたのだ……)


 メティトはそう理解した。自分の依頼を一条悟は果たしたのである、と。


 “殺人の片棒をかつぐってことは生涯の消えない“枷”になる。間接的に関わるのなら罪の意識を持たずにすむ、なんて思ったら大間違いだぜ”


 彼は、そう言っていた。親しい人たちを殺されたことで発芽した復讐心、スチュワートの悪行に対する怒りがさせたことだ。だが実現した今、心に空洞ができたような気がする。いや、間接的に殺人に関わった罪悪……それが徐々に認識されてゆく。


(あたしは、人を殺したのだ……)


 ある意味、教唆した身だ。そう感じるのは当然である。悟が言ったとおりになった。人道を踏みはずした後悔に彼女は次第に蝕まれてゆくのかもしれない。ふと、立ちくらみがし、メティトはヒジャブに覆われた頭をおさえた。


 そして、一条悟に対価を支払わねばならない。それは生涯、彼に操をたてること……


 だが、彼はいなくなる。二度と会う事はないのかもしれない。まだまだ長い人生を彼に捧げることになる。依頼人としてではなく“恋人”として……真実の恋など、知らぬまま……


(あたしが選んだ道なのだ……そして、あたしにふさわしい罰なのだ……)


 村人たちが熱狂する中、メティトは燃えあがる城を見続けた。あれは彼女の罪を浄化する炎ではない。罪の証としての炎なのだ。






 猛火の中から脱出した一条悟の目にも、燃え崩れていく城の様子がよく見えた。ここは村と逆方向にある場所だ。彼が見ているのは城の後ろ姿ということになる。


「なぜ……私を……助けた……?」


 全身を焼けただれさせたスチュワートが訊いた。岩盤の上に寝かされている。悟は、悪逆非道のこの男を連れて脱出したのだ。


「私を……助けることに……意味など……あるまい……」


「あんたになくても、俺にはあってね」


「ペイトリアークの……情報など……私は……知らんよ……」


「そのことじゃねぇよ」


 と、悟。もしスチュワートを死なせたら、メティトは自分が殺人の片棒を担いだ、と生涯悩み苦しむことになるだろう。彼女に自分と同じ修羅の道を歩ませる気はなかった。


 復讐心……悟もかつて、ペイトリアークに対し抱いたことがあった。そういう意味ではメティトに昔の自分を重ね合わせたのだが、それが何ももたらさないことに気づいたとき、ヤツを追う理由も変わっていった。


 ペイトリアークの思想は危険すぎるのだ。だからヤツを倒し、止めなければならない。悟はそう決めていた。それが関わった自分の宿命なのかもしれない。


 燃える城から爆発音が響いた。いよいよ倒壊しはじめた。砂漠の夜空を真っ赤に染めあげるその姿は理不尽な仕打ちに対する怒りのようにも見えるが、メティトら村人から見れば憎悪の対象でしかなかったのも事実だ。崩れ落ちる音がここまで聴こえてくる。


(どんな立派な城でも、形を失うのにさほどの時間はかからねぇもんだ……)


 悟はもう一度城を見た。作るのに手間がかかっても壊れるのは一瞬……火の粉を撒き散らしこの世から消えゆく城は、その直前、人間に教訓を与えようとしているのかも知れない。有形のものに永遠はない、ということを……






 翌日、燃え尽きた城の残骸がくすぶった黒煙と焦げついた匂いを村にもたらしていたころ、メティトは外れにある悟のテントを訪れた。


(いない……)


 彼女は中を見た。いつの間にか荷物は片付いており、ぶら下がっている電気以外に何もない。なんとなく人がいた気配を感じるのは自分が昨夜ここにいたからにすぎないのだろう。どうやら悟は旅立ったようだ。


 メティトはヒジャブに覆われていない額に手を当てた。悟からの口づけのあとはそこにある。あの熱い感触は夢ではない。ふたりの愛の証であり、束縛の証でもあった。彼は“手付金”と言っていたが……


 テントの外に出たメティトが村に戻ると、いまだ人々が城のほうを指差し、喜びに沸きかえっている。笑顔の知り合いたちにニ、三言あいさつをし、彼女はその輪を通り過ぎようとした。


「メティト姉ちゃん!」


 マントの裾をひっぱられた。振り返る。近所の女の子だ。


「どうしたんだい?」


 メティトは訊いた。


「そこで、綺麗な顔した日本人の男が渡してくれって」


 女の子は紙切れを差し出した。メティトは慌てて受け取り、それを読んだ。


 ────悪いが、この手でスチュワートを討つことはできなかった。


 それは、間違いなく彼からの手紙だろう。


 ────君からの依頼を果たすことができなかったので契約は無効だ。よって“真実の恋人”を探せ。


 それは、彼からの別離のサイン……


 ────なお、手付金は“村一番の美少女”からもらった必要経費としていただいておく。メティトさん、自分を大切にして強く生きろ。


 と、あった。別れ際、彼が言ったことを思い出した。


「これを……これを書いた人は、どっちに行ったんだい!?」


「あっちだよ」


 女の子が指差した方角へ、メティトは熱い砂を蹴るようにして駆け出した。彼はまだ、近くにいる……!


(もう一度、会いたい……たとえ、真実の恋人じゃなかったとしても……!)


 メティトは走った。懸命に……だが、砂漠をどこまで進んでも、彼の姿は見えない。屈折した光がもたらす蜃気楼ですらふたりの距離を縮めることはなく、そして砂塵まみれの乾いた風ですら、一条悟という人の足を止めることはなかったのである。





『剣聖の記憶 〜炎の中のスピーディア〜』完。





 


 

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