時計塔を守れ! 3


 ────しぃ〜ずぅ〜くぅ〜……


 電話の向こうから聴こえる一条悟の声は今にも消え入りそうなものだった。


「一条さん?」


 雫にしては大きな声で問いかけた。これはただごとではない。


「一条さん! ど、どうしたんですか?」


 もう一度訊いた。悟が何者なのかは知らされていない。だが、薩国警備から警護と監視を受けている彼がまっとうな素性を持たないことなどわかる。


 ────メシが……メシがぁ〜……!


「ご飯? ご飯が、どうしたんですか?」


 いよいよ心配になってきた。まさか、毒でも盛られたのか?


 ────メシが……メシがぁ〜……!


「一条さん! 一条さん!」


 ────口に、合わないんだ……


「え?」


 きょとんとした雫は、その場にて固まってしまった。






 悟曰く、雫に代わって今月から派遣されている“メイド”が作る食事が口に合わなくて困っているらしい。“美味いメシが食いたい”と電話で連呼した悟を本気で案ずるあまり、雫は肉野菜が入った買い物袋をぶらさげ、彼が住む城山の洋館にやって来た。


(ひどい話……)


 内気な雫だが少し憤りを覚えていた。家に帰らず、スーパーで買い物をしてここに来た。


(いくら一条さんのお腹が頑丈だからって、美味しくない物を食べさせるなんて……)


 久しぶりに見る洋館の庭はきれいなものだった。家事全般まったくダメな悟が掃除をするわけがない。新しいメイドの手によるものだろう。夕陽に照らされるコンクリート部分には雑草ひとつ見当たらない。


(ちゃんときれいにしてるのに、お料理は適当だなんて……)


 雫は玄関に立った。ドアは開いており網戸が閉じている。そこから見える廊下も想像以上に整頓されていた。


「こんにちは……」


 言ってみた。声が小さいせいか中から反応はない。雫は脇のインターホンを押そうとした。すると……


「また靴下をこんな所に脱ぎ散らかして! ちゃんと洗濯かごに入れてください!」


 奥のほうからヒステリックな女の声がした。


「それに鼻をかんだハンカチを、その辺に投げ散らかすのはやめてください!」


 もうひと声……怒っているようだ。


(どんな人なのかしら?)


 自分に代わって派遣されたメイドのものであろうその声……姿を想像してみた。すごく凶暴なゴリラのような人なのではないか? 悟が虐待されている様子を思い浮かべてしまった。


 雫は網戸を開け、そして……


「こんにちは」


 もう一度言った。彼女にできるせいいっぱいの大声で……すると廊下の奥から顔がのぞいた。二週間ぶりに見る一条悟だった。


「雫……」


 自分の姿を認めたせいか? 悟は一瞬硬直したようだが、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。


「しずくーーーー!」


 そして、なんとダイブしてきたではないか。悲鳴をあげる間もなく、雫は悟に押し倒される格好になってしまった。


「しずくしずくしずくしずくしずくしずく!!!」


 制服を着ている自分の薄い胸に悟はぐりぐりと顔を埋めてきた。


「い、一条さん……こ、こんなところじゃダメです……」


 わけのわからないことを言ってしまったことに気づき、雫は赤くなってしまった。いや、とにかく恥ずかしいので逃れようとしたが悟は離れない。


「雫、とんかつ作ってくれ! 唐揚げ作ってくれ! 八重子が作るメシは口に合わねぇ……」


 悟は胸の中で、そう言った。すると続いて奥からキリスト教式の修道服を着た女があらわれた。若いシスターだ。


「一条さんッ!」


 彼女は悟の首根っこを掴み、強引に立ち上がらせた。


「離せ、離してくれ!」


「なにをやってるんですか! いい年して女子高校生に抱きつくなんて! 変態ですか?! 痴漢ですか?!」


 見た目によらぬ怪力で、じたばたする悟を羽交い締めにするシスター。八重子とは、この女に違いない。


「あ、あの……」


 乱れた制服の胸元をなおし、雫は言った。


「ごめんなさい。悪気はあっても、悪い人ではないのよ」


 と、八重子。女性にしては低い声だ。


「ところで、あなたは?」


 八重子は訊いてきた。


「さ……薩国警備の、津田雫です」


 見習いEXPERの雫は、そう答えた。






 時刻は午後六時前である。食堂にあがった雫はテーブルの上に整然と並べられた夕食を見た。


(ああ、そういうことか……)


 頭が良い彼女は、それを見て即座に状況を理解した。なぜ八重子が出すものを悟が“口に合わない”と嘆くのか? それは“献立”にあったのだろう。野菜中心……いや、それを通りこして肉魚が見られない。ひじきの煮物に肉抜きのゴーヤチャンプルー。ドレッシングをかけた冷奴、海草のサラダに酢の物。


「な、雫。あんまりだろ?」


 横に立つ悟が盛大に嘆いている。


「肉が……肉がないんだぜ? 若者の食事にあるまじきことだ」


 彼は必死に、そう訴えた。


「一日中、ゴロゴロしている中年一歩手前の一条さんに肉食は必要ありません。これが最適なメニューです」


 憮然とした様子で八重子は言った。


「いや、いくらなんでも、こんな高血圧症患者みたいなメシを毎日続けられたら、たまったもんじゃねぇよ」


 と言う悟。本気で嫌がっているようだ。


(ちょっと、お行儀が悪いけど……)


 雫はテーブルの上の箸をとり、ひじきをひとくち食べてみた。


(やっぱり……)


 予想が当たった。味がかなり薄い。続けて冷奴も食べた。かかっているドレッシングは手作りのようだが、これもやけに健康的な味だ。


 雫は電気釜を開けた。中身は色のついた雑穀米だ。さらにクッキングヒーターの上にある鍋の蓋をあけてみると、やたら具だくさんの味噌汁が待機していた。雫はスプーンで中身をすくった。


(これも……)


 味噌汁の味も同様だ。そんなに濃い味を好まない雫ですら薄いと感じるくらいだ。人参やごぼう、里芋、キャベツがごっそりと入っており、汁部分が見えない。


「な、な、味がしないだろ? お湯みてぇな味噌汁だろ?」


 悟が訊いてきた。作った人の手前、雫は反応に困ってしまった。


「これが、わが高島家の味なのです」


 八重子は不機嫌そうに言った。高島家とは鹿児島の異能業界の名門である、あの高島家だろうか? ならばシスターの格好をしたこの女は退魔連合会の退魔士に違いないと雫は思った。


「わが高島家の者たちは強くあるため、代々健康的な食事に徹してきたのです。減塩、減油、状況に応じて減カロリー……」


「ちょっと待て、俺は高島家にはまったく関係ねぇ」


「私が台所に立つ以上、従っていただきます!」


「横暴だ!」


「これは親切ですわ! 中年太りしたいのですか?」


「俺はまだ中年じゃねぇ」


 悟と八重子のやりとりは結構見苦しい。


(助け舟を出すべきかしら……?)


 雫は一瞬、迷った。が、このままだと悟が気の毒ではある。大食いの彼は量だけでなく、質的にもガッツリ派だからだ。


「あ、あの……」


 と、雫。決死の覚悟で切り出した。


「なんですの?」


 とは、八重子。切れ長の目がすわっている。


「一条さんには一条さんの好みがありますから……」


 ビビりながらも雫は言った。うんうんと頷く悟。


「好み? 健康より好みが大事と言うのですか?」


「ある程度、好みに合わせないと精神衛生上良くないかと思うんです」


 強烈な八重子の剣幕に泣きたくなったが、それでも必死に抗弁した。


「まあまあ、八重子。雫が作ったものを食ってみなよ。美味いからさ」


 と、悟。






 雫が作ったのは青椒肉絲だった。調味料を独自のブレンドで配合したもので、肉に下味もしっかりつけてある。大皿に大量に盛りつけ、テーブルに置いた。


「どうぞ……」


 と、雫。


「いただきます!」


 言うやいなや悟は小皿にとりわけ、食べた。


「嗚呼、美味い……久々の雫の味だ」


 悟は喜んでくれたようだ。水煮たけのことピーマンのコラボレーションが口の中で躍動しているのなら作った甲斐があった。青椒肉絲ひとくちで茶碗一杯の雑穀米を食べきる勢いでガッついている。


「あの、どうぞ……」


 雫は小皿に取った青椒肉絲を八重子にすすめた。


「口に合わなかったら、残しても構いませんので……」


 と言った。そのときは悟が食べるだろう。彼の胃袋を考慮すれば、大皿でも足りないかもしれない。


 ぶすっとしながらも八重子は箸をつけた。雫はその表情を注視した。


「どうですか?」


 訊いてみた。


「おいしいですわ」


 八重子は少しだけ笑顔を浮かべ言った。それを聞き、とりあえずほっとした。お世辞でもよい。


「だろ? これが俺の好きな味なんだよ。八重子も見習って……」


 せっかくなごんだのに横から茶々を入れる悟。すると、またも八重子の刃物のような視線が復活した。


「すみません」


 と、睨まれた悟はそれ以上言わず、青椒肉絲を頬張った。


 雫は八重子が作ったひじきやゴーヤチャンプルーを食べてみた。味が薄いが、慣れるとそんなに悪くない。体のためを考えた献立ならば、むしろ正しいのではないか、とすら思えてきた。


(それにしても……)


 雫は目の前に座る八重子を見た。


(なんて綺麗なひとなんだろう……)


 そして見惚れてしまった。修道服姿の八重子の美貌は群を抜くものだ。ヴェールの下にある切れ長の目は鋭くも美しく、顔の造形は極めて繊細。とんでもない美女である。


(素敵……)


 正直、女性を愛する雫の好みにどストライクだった。凛とした雰囲気も漂わせ、薔薇の花のような華やかな影を持っている。黒い修道服の中に秘められた肉体の魔力にも気づくことができるのは、同性を好む雫の特技と言って良い。着痩せするタイプだが、実際には豊満な胸のようだ。


「どうしたのです?」


 箸を止めた八重子が訊いてきた。どうやら、穴があくほどに見つめてしまっていたらしい。


「あ、いいえ……これ、美味しいです」


 雫は冷奴を口にして言った。


「そうですか。ありがとう……」


 そう言うと、八重子は笑ってくれた。その笑顔は硬質な人形にも似た彼女の美貌を、ほんの少しだけ優しく溶かすように思えた。雫はまたも見惚れてそうになった。


「いやぁ八重子、雫に料理習ったら?」


 そして、それをぶち壊す悟のひとこと。


「なにか、おっしゃいまして?」


 ふたたび刃の如き八重子の視線……


「い、いいえいいえ、なんでもないです」


 と、悟。雫は両者を見つめながら、わたしはどちらが好きなのかしらと内心で自問した。

 


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