剣聖の記憶 〜氷結人形〜

剣聖の記憶 〜氷結人形〜(天)

 六年前。フランスは大雪にみまわれていた。シベリアから到来した大寒波の影響である。普段、市街地に華を添えるパリジェンヌたちの姿は外には見当たらず、交通機関も麻痺していた。バスもトラムも動かない町はひっそりと静まりかえっているが、数日にわたったこの雪もピークをこえた。本日中には陽射しが戻るはずである。


 コンクという名の小さな村がある。ル・ピュイの道と呼ばれる巡礼路の途上にあり、平素は景観に優れた美しい場所として知られる。だが、この日は一面、雪に覆われ、あざやかな緑などどこにも見えない。三百人に満たない住人たちは家の中なのだろう。人っ子ひとり、いやしない。


 村の外れに石造りの家があった。簡素なものだが、敷地はけっこう広い。当然のことだが、中に入ると壁までが積み上げられた石である。その隙間から外の冷気が入ってくるのだろうか? やたらと寒い家だ。


「こんな悪天候の中、来てくださってありがとうございます」


 家主は女である。名をグレースといった。年齢は三十前後か? 長い金髪は腰のあたりまであり、外に振る雪と同じくらい肌が白い。美人だが、すこし頬がこけている。疲れがたまっているのかもしれない。


「高名な剣聖スピーディア・リズナーにお会いできるなんて光栄ですわ」


 グレースは言った。ソファーに座る一条悟は、それには答えず部屋を見回した。壁に、棚に、窓際に、たくさんの人形が飾ってある。それらすべての視線が、なぜかこちらを向いているように思えるから不思議だ。


「驚いたでしょう? 人形だらけですものね」


 と、訊く彼女は座っておらず、部屋の端のミニテーブルの横に立っていた。その上のコーヒーメーカーが音をたて、動いている。


「私は代々、ビスク・ドールを作る職人の家系に生まれたのです」


 ビスク・ドールとは素焼きの陶器人形である。アンティーク・ドールなどとも呼ばれ、骨董的な価値を持つ物も存在する。


「私自身、父のあとをつぎ、今ではこうやって職人となりました」


 グレースは、できがったコーヒーをカップにいれ、悟の前に差し出した。


「もちろん、ブラックでいいのかしら?」


 と、彼女。


「砂糖とミルクがあれば」


 とは、悟。


「あらあら、ごめんなさい。ちょっと待っててくださいまし……」


 グレースは、ほんのすこし笑っただろうか? 勝手にブラックと決めつけていたのかもしれない。棚から砂糖が入っている瓶とポーションタイプのクリームを持ってきてくれた。


 彼女は真向かいのソファーに腰掛けた。両者、テーブルをはさむ格好である。悟は砂糖とクリームを入れたコーヒーをかき混ぜ、ひとくち飲んだ。淹れたてのはずなのに、なぜかぬるい。室内が寒いせいだろうか?


 この家の主であるグレースは気温が低いにもかかわらず、薄手のシャツ一枚で座っている。悟はジャンパーを着たままだ。暖房は見当たらない。どうやら彼女、寒さに強いようだ。grace……“名は体を表す”とは、よく言ったものである。


「普通、人形というと、少女の姿をかたちどったものを想像されるかもしれません」


 グレースは言った。


「ですが、私が作るものは違います。うちは代々、“美しい男性”の姿をした人形を作ってきた家系なのです」


 なるほど。この部屋に多数存在する人形たちは皆、美男美少年である。繊細優美な“彼ら”はタキシードや背広、中世騎士の鎧、スコットランド風のキルト衣装などを身に着けている。どれもが美しい顔を持つ。


 だが、今ソファーに座る一条悟という男が持つ美貌は、職人が丹精こめて作り上げた人形群すら凌駕する。それは生命美の極致……天性と人工の大差は、どのような卓越した手技手腕をもってしても埋められないものなのかもしれない。


「私は物心ついてすぐ、父の工房に出入りするようになりました。人形職人の後継者として、技術を叩き込まれたのです」


 そして、そう言うグレースの遠い目は、過去と現在の埋められない時間差を物語っているのかもしれない。


「父の指導は苛烈を極めました。うまくいかなければ殴られ蹴られ……髪をつかまれ、近所を引きずりまわされたこともありました」


 嗚呼、埋められない父娘の溝も……


「私、父を憎んでますの……」


 彼女が言ったとき、室内がさらに寒くなったような気がした。外の強風がもたらす音が石造りの隙間から聴こえてくるからだろうか?


「父が亡くなったとき、涙も出ませんでした。葬式のとき、親戚の“親不孝者”という陰口がきこえてきましたわ。でも、悲しくはなかったのです。なぜかしら?」


 グレースの表情までもが、室温同様に冷たかった。憎悪とは、人間の心だけでなく顔まで凍結させるのか。


「私は父を超えるため、同じ道を歩み続けています。父の作品はすべて捨てました。私をほめてくれなかった父への対抗心が、今の私の原動力なのです」


 彼女は、ひと息をつくと、さらに続けた。


「偏屈者の父が入らなかった“組合”に、私は加入しました」


 グレースがさした指の先……石造りの壁に、額縁に入れられた組合員証が飾ってある。


「父は人間関係が面倒だとか、年会費が無駄だとか言って入らなかったのです。ですが私は違います。職人同士のつながりが生計に役立つと考えたのです」


 1900年代はじめ、ドイツ製ビスクドールとの市場争いが本格化したころ、それに対抗するためフランスの人形職人たちは結束した。今、存在する人形組合は、その時点に系譜を持つ。


「販売ルートも確保でき、生活は父が生きていたころより豊かですわ。保険にも入ることができましたし」


 そこまで言ったところで、彼女は何かを思い出したかのように手を叩いた。


「まぁ、ごめんなさい。私ったら、まだ“本題”を話していませんわね」


 グレースは“仕事”を依頼するために、悟をここに呼んだのである。その話がまだだった。


「実は、私が作る人形のモデルになっていただきたいのです……」

 


 

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