剣聖の記憶 〜氷結人形〜(地)


「実は、私が作る人形のモデルになっていただきたいのです……」


 グレースは言った。剣聖として、世界を股にかける異能者として、変わった依頼は幾度も受けたことがある。だが、人形製作のためのモデルとは……


「剣聖スピーディア・リズナー……噂通りに美しいですわ。あなたによく似た“人形”を作りたいのです」


 と、語る彼女の言葉は穏やかなものだが、目は真剣だった。さらに室温が下がったように感じられる。あまりに寒いので、悟はジャンパーの前を合わせた。


「ところで、あなたは“偶然の剣聖”とも呼ばれているみたいですけど、なぜですの?」


 グレースは話題を変えてきた。いかにも、興味津々といった風だ。


「タイトルマッチの相手が、試合後に体調不良だったと主張したのさ。それを一部のメディアがとりあげてね……」


 悟は答えた。


「それはひどい話ですわね」


「その後、二度組まれた防衛戦の相手がそれぞれ、食中毒とインフルエンザで棄権したのさ」


「あらあら……」


「そして、そのまま剣聖制度が廃止になっちまった」


「まぁ……」


 事実である。史上最年少で剣聖となった悟に対する評価がまちまちな理由だ。スーパースターとして少年少女たちからの絶大な人気を誇る反面、“顔だけ”、“歴代剣聖中もっとも格下”、“運だけなら最強”などという者もいる。防衛戦が実現しないまま、制度廃止に伴い、彼は“最後にして偶然の剣聖”となった。


「世間の評価というものは人形職人にとっては大切なものです。私だったら発狂しそう」


「そりゃ、俺の仕事も同じさ。依頼人の数は評判に比例するからな」


 それを聞くと、グレースは笑った。だが、すぐに真顔になった。


「ごめんなさい。笑いごとではないわね」


「いや、結構おもしろい話さ」


 悟はコーヒーを飲み干した。部屋が寒すぎるせいか、すでに冷たくなっている。溶けなかった砂糖がカップの底にたまっていた。


「で、君は親父さんを超えたのか?」


 今度は彼が質問した。


「どうかしら? さきほども言いましたとおり、収入は今のほうが良いですわ」


「“人形職人”としては?」


 悟は部屋中に飾られた人形たちを見まわした。グレースは父の作品をすべて捨てたと言った。ならば、ここにあるものは皆、彼女の作品ということになる。それら人形群はどれもが皆、美しい。この来客の美貌をひきたてるほどには……


「“ある意味”、超えました……」


「ある意味?」


「そう、“ある意味”……」


 そう言うと、彼女は立ち上がった。


「あなたに見せたいものがあるのです」






 やはり石造りになっている硬い廊下の先に、地下室へとつながる入り口があった。ずいぶんと暗くて長い階段を降りてゆくと、さらに寒い。懐中電灯を片手に先行して歩くグレースは薄手のシャツ一枚。悟はジャンパーを着ている。地面の質感にふさわしい両者の硬質な足音のみが響く。


 何分歩いただろうか? 石製の扉がある。その前でグレースは立ち止まった。


「ここに、私の“真の作品たち”があるのです」


 彼女は言って、そこを開けた。ものすごい冷気が渦を巻き、顔を打つ。中は真っ暗である。壁に懐中電灯を当て、スイッチを押すグレース……


 部屋内の電気が一斉に灯った。そこにあるのは、床に立つ数本の“氷柱”だった。中に人が入っている。そのすべてが美しい男性だった。


「これですわ。私の作品たち……」


 彼女は誇らしげに言った。氷漬けの美男たちは皆、生きてはいないだろう。もちろん極寒の中、腐敗もしていない。生前の美しい姿そのままに……


 最近、フランス国内で男性が行方不明になる事件が連続発生していた。その誰もが美しいことから、奇怪な出来事として世界中で報道されている。犯人はグレースだったのだ。


「彼の名はエタン。ファッションモデル志望だったわ。パリ・コレクションに出るのが夢だったそうよ」


 彼女は右端の氷柱を指さして言った。


「あちらはフィリップ。売れない舞台俳優だったの」


 次に左端の氷柱を向いて言った。


「そして、あれがゴーチェ。大学生だったわ」


 グレースは真ん中の氷柱をさして言った。他にも二十人ほどはいるだろう。広い室内に並べられた彼女の“作品群”は電気の光を浴び、磨きぬかれた水晶のように輝いていた。それでいて、溶けることはなさそうだ。


「どうかしら? 私の“氷結人形”……」


 彼女は訊いてきた。


「悪趣味だな」


 悟は、あっさりと言い放った。


「あら、武辺者のあなたには“芸術”が理解できないのね?」


「芸術?」


「そう、芸術……」


 グレースは駆け出すと、氷柱たちの前で、まるで踊るように跳ね、そして両手を広げた。


「父には、わからなかったのよ。人形はしょせん人形……どんなに精巧に作っても、人間が持つ生命力あふれる美に叶うものではないわ」


 嬉しそうに笑っている。ならば、なぜ彼女の白い頬をひとすじの涙がつたうのか?


「私が作る人形は、どうしても父のようにはならなかった。それは認めるわ。でも、職人としてはかなわずとも、美を生み出す芸術家として、私は父を超えたわ」


 それが厳しかった父に対する復讐だと考えているのだろうか? そして、そのために氷結人形を作り出したのなら、グレースの中で美的感覚以外のなにかが歪んでしまったのかもしれない。道徳、倫理、いや……常識か……


「だから殺人を犯したのか?」


「まぁ、意外とありきたりなことを言うのね。剣聖ともあろう人が」


 悟の言葉に口をとがらせるグレース。


「でも、あなたの感性など問題ではないわ。私がほしいのは、あなたのその美しさ……」


 彼女の目が妖しい光を放った。それは負の側面に堕ち“あちら側”の世界へと踏み込んだ証左といえよう。


「剣聖スピーディア・リズナー……あなたは私の最高傑作になるわ。今のままの“生命美”を氷の中にとじこめてあげる。溶けることのない永遠のものよ……」


 グレースの身体がまばゆく輝いた。周囲の氷結人形たちが、その姿をたたえるように光を吸い込み、乱反射させる。それは氷漬けの男たちの“生前美”を放出した結果のようにも映るが、彼らが今の美貌を失うことは二度とないのである。


 悟の目の前に巨大な鳥の形をした人外があらわれた。グレースに取り憑いていたものが表面化したのだ。


 


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