人外ストーカーバス 7


『ボクハ、マダ、ハシレルンダ……』


 平峰は声を聴いたような気がした。


「僕も、まだ走れるよ……」


 だから、そう答えた。


『ボクハ、ニンゲンニ、フクシュウスル……コノカラダデ、カイシャニ、トツゲキスルンダ……』


「手を貸すよ。その代わり、僕は多香子を手に入れる……」


『ボクタチハ、イッシンドウタイダ……』


「そうさ、一心同体さ」


『ジャマスルヤツハ、タオス……』


「ああ、倒すさ……」






 フロントから崖下の大地に突き刺さったバスの姿は、夜空に向かってそびえ立つ巨大な墓石のようにも見える。悟との死闘の結果、ボディー全体に多数の傷と、無数のヒビが入っていた。所々からあがる黒煙は機械だったころのなごりだろうか? それとも陰性を持つ気が行き場を求めて闇夜をうごめき、彷徨おうとしているのだろうか? 

 

 後輪が回転した。まだ戦う気なのか? エンジンと車輪の音は、この世に対する怨嗟なのかもしれない。復讐を果たすまで止まらぬというのであれば、我々人間の業とはいかほどに強く、そしていかほどに深いのか? 人はいずれ、手痛い仕返しを喰らうことになるのかもしれない……


 ひとすじの紅い光が落ちてくる。闇の空間を縦に切り裂くそれは空よりいでし流星か? だが尾をひいてはいない。赤い残像は暗黒神の体に刻まれる斬像のごとく一直線にバスへと吸い込まれてゆく。ならば刃、ならば剣……スピーディア・リズナーの真紅の光剣オーバーテイクが見せる結末は、やはり流血で彩られる勝利のみを相応とするのか? 剣聖という世界で只一人の男の姿を美しく装飾するために……


 悟はちぎれたガードレールの端にぶら下がっていたのだ。今、超高速で落下する彼の先には、崖下の大地に直立するバスの後部がくっきりと見える。狙いはそこだった。両手に気を送り込み、さらに落下速度を利用した渾身の突きを放つ。頑丈な車体を貫くに充分な破壊力だ。


 ボンネットを貫通したオーバーテイクの光刃がリアエンジンに吸い込まれた。耳を塞ぎたくなるような平峰の悲鳴が響く。彼は“そこ”にいたのだろう。それは車の“心”……バスの動きは戦闘中、決して背後を見せぬようにしていた。


 車体から剣を抜き、悟は大地に降り立った。バスは目の前で次第にその巨体を縮めてゆく。間もなく平峰という名の男の姿に戻った。近づき、状態を確認すると、倒れてはいるが息はある。このあと、霊的治療などをおこなう“しかるべき施設”へとおくられることになるはずだ。






 多香子が目を覚ましたとき、周囲はまだ暗かった。夏とはいえ、陽がのぼるにはまだ時間がある。硬い地面の上に寝ていたせいで身体が痛い。負の気を吸った影響で疲労と倦怠を感じるが、なんとか立ち上がった。眼鏡をかけていないので、周りがよく見えない。横に手をやると硬いものに触れた。平峰の車だ。


(私の、ハンドバッグ……)


 手探りでドアを開け、さらにシートを探ってみる。あった。こういうときでも、自分の持ち物の在り処を心配するものなのだ。意外と腹の座った自分に少しあきれてしまった。中にはスマートフォンが入っている。アンテナが立っていれば良いのだが……


 自分をさらった平峰が迫ってきた。それからの記憶がない。


(まさか、悪戯されてないわよね……?)


 心配になった彼女は自分の身体を触ってみた。着衣の乱れはない。


「心配するこたァねえよ」


 突然の声に驚いた。そちらを向くと、ぼんやりと人が立っているのが見える。うしろ姿だろうか?


「何もされちゃいねぇ。あんたは綺麗な身体さ」


 こちらの心理を読みとったような、その言葉……いったい何者なのか?


「車を呼んだ。じき、助けが来る」


 そう言って、彼は立ち去ろうとした。


「待って……!」


 多香子は呼び止めた。


「あなたが……あなたが助けてくれたの?」


 その質問にはこたえてくれなかった。


「ありがとうございました……お名前を教えてください。後日、お礼に……」


「ンなもんは、いらねぇよ」


「そんな……命の恩人なのに……!」


「偶然、通りすがったから助けただけだ。単なる気まぐれさ」


「でも、助けてくれたことにかわりはないわ!」


「今日のことは忘れろ。俺は社会の影でしか生きられない鼻つまみ者さ。関わったらロクなことにならねぇ」


「でも……!」


「あんたは市井に生きろ。それが幸せな人生だ」


「一条さん?」


「え……?」


 振り返ってしまった悟。


「あ、あれ……? その眼鏡は?」


「私、常に予備を携帯してますの」


 実は多香子、以前、買い物に行った先で眼鏡をなくして困った経験があった。それ以来、常にスペアを持ち歩くようにしていた。


「つ、つーか、よくわかったね。俺、うしろ姿だったでしょ?」


「普通、うしろ姿でもわかりますわ。道路の電灯はついてますし、第一、声で」


「あっそ」


「それより、なぜ一条さんがここに? どういうことですか?」


「あ、いやぁ、その……」


「いったい、あなたは何者ですの?」


「そのォ……実は……」


 悟は頭をかいていた。






「フリーランスの異能者? 一条さんが?」


 その説明を聞いた多香子は大変に驚いたようだ。


「ま、まァ……そうなんだ」


 と、悟。フリーランスとは特定の組織に属さない自営異能者をさすが、これは嘘だった。“剣聖”である悟は、その類ではない。


「な、なんつーか、その……“なんでも屋”みたいなもんだよ。揉め事を解決したりする仕事さ」


「退魔連合会の退魔士のようなものですか?」


「あ、ああ……言われてみれば似てるかなァ」


 退魔連合会とは超常能力実行局と並ぶ日本の異能者組織である。仏教、神道、キリスト教などの宗教団体を母体としており、信心の垣根をこえて結成されたものだ。明治時代から続く歴史の古さと世間に公表されているという点で超常能力実行局とは異なる。そこに所属する宗教的能力者たちのことを“退魔士”と呼ぶ。


「す、すみませんでした。“無職”とか言ってしまって……」


 多香子は頭を下げた。現在の悟は、そちらのほうが近いのだが……


「いいんだよ。誤解は誰にでもあるもんさ」


 悟は言った。堂々と、調子よく……


「助けていただいて、ありがとうございました」


 もう一度、頭を下げる多香子。すると……


「あ……」


 今までの疲れが足にきたのか、彼女はよろめいた。抱きとめる悟。


「大丈夫?」


「は、はい……すみません」


 ハンサムの腕の中で赤くなる多香子が見上げてきた。ふたりの視線が絡み合う。


「い、一条さんって、素敵ですね。津田さんのお兄様じゃなければ、私……」


 雫との偽装兄妹設定を、まだ信じているようだ。そちらのほうが都合がよい。


「俺も、君が雫の担任じゃなければ……」


 と、悟。照明灯に浮かぶその微笑は、夢幻のように美しい。


「どういう意味ですか?」


 まっすぐに見つめ、訊く多香子。彼女が待っているであろう答えを言う前に、向こうから車のヘッドライトが近づいてきた。黒いワンボックスカーだ。抱き合うふたりの前に停まると、運転席から見覚えのあるガタイの良い男が降りてきた。


「鵜飼?」


 悟は驚いた。薩国警備の制服を着た鵜飼丈雄ではないか。制帽もかぶっている。


「お、おまえ、なんでここに?」


「呼んだのはあんただろう」


 鵜飼は無愛想に言った。


「いや、おまえが来るとは流石に意外だったぜ」


「今夜は、夜勤だ」


 彼は、じっとこちらを見ている。そして……


「いつまで、そうしている気だ?」


 と、言った。それを聞き、慌てて悟の体から離れる多香子。眼鏡をかけた顔が真っ赤である。


 ワンボックスのスライドドアが開いた。次に降りてきたのは同じく制服姿の畑野茜だった。真剣な表情で彼女は近づいてくると、悟の腕を引っ張った。


「お、おいおい、どうしたんだよ畑野さ……ん」


 すると、茜は急にいたずらっぽい笑みを浮かべ、悟に耳打ちした。


「一条さん、やりますねぇ……こないだの外国人の彼女は、どうしたんですかぁ?」


 制帽の下の目が好奇の色をたたえている。茜が言う“外国人の彼女”とは、ストラビア共和国の大統領令嬢、アニタ・ナバーロのことだろう。“天文館でナンパした”ということになっていた。


「ば、馬鹿……あれは、そんなんじゃねぇよ」


「じゃあ、こちらの方が本命ですかぁ?」


「あのな……」


「まさか、フタマタとか……?」


「違う違う」


「一条さんって、エッチだなぁ」


「畑野君、何をひそひそ話しているんだ?」


 鵜飼がたくましい首を傾げた。


「いいえ、なんでもありません、隊長」


 茜は直立して言った。この女、妻帯者である鵜飼の前では、やけに可愛くなる。


「ところで、あのバス野郎は?」


 悟は訊いた。


「先行した俺の部下たちが身柄を確保している」


 と、鵜飼。


「そうか」


 とは、悟。平峰はこのあと“霊的治療”を行う医療施設におくられるはずだ。そこで肉体だけでなく精神的ケアを受けるため、当分は入院のはこびとなるだろう。安定した社会復帰を果たすまでの道のりは、まだまだ長いかもしれないが……






 ────いろいろ大変だったわねぇ


 スマートフォンの向こうで真知子が言った。早朝、家に帰り着き、昼過ぎまで寝ていた悟は、とりあえず彼女に報告した。


「まったく、災難とは縁がきれない体質らしい」


 ────あなたらしいじゃない


「笑ってる場合かよ。俺は潜伏の身だぜ」


 剣聖スピーディア・リズナーは死んだ。世間では、そういうことになっている。


「適当な嘘をつくってのも大変だよ」


 ────それでフリーランスということにしたわけね? 


「まぁ、信じてくれたみたいだが」


 ────ねぇ、悟さん……


 真知子の口調が急に真剣になった。


 ────あなた、本当にフリーランスになってみたら?


「おいおい、今の立場で目立ってどうすんだ?」


 ────私が手を回せば、独立異能者の資格くらい簡単に取れるわ


 フリーランスの自営異能者は、国や地方公共団体の許可を必要とする。今の悟は無資格の異能犯罪者とさほど変わらない立場だ。


 ────このまま、ずっとそこで世捨て人のように暮らすの?


「それでもいいと思ってるんだけどな」


 そう言う悟自身、身の振りかたを具体的に考えてはいない。また、真知子の言葉の裏にある“真意”など知る由もない。


 ────まぁ、ゆっくりでいいから考えていて頂戴。ところで……


 真知子の口調がどこか昔の頃のものに近くなった。悟は、そんな気がした。

 

 ────そろそろ私の“誕生日”よ。今年も会いに来てくださるのでしょう? 悟さん……





 


『人外ストーカーバス』完。

次回『剣聖の記憶 〜氷結人形〜』につづく……





 


 

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