大統領令嬢は剣聖がお好き? 16
「ありがとうございました、神宮寺さん……」
アニタは言った。その声は、どこか沈んでいる。
「元気でいなさい」
平太郎は答えた。彼がアニタをここまで連れてきた。
「お世話になったのに、私はなんのお礼もできません」
「たいした世話はしとらんよ」
あれ以後、引っ込みがつかなくなったアニタは悟の洋館ではなく、平太郎の家に泊まっていた。悟が怒ったわけではない。あまりにも気まずい空気がそうさせた。彼女の荷物は雫が宅配便に頼んで送り届けた。
「いいえ。人生の中で、これほど良くしていただいたことはありません。とても楽しかったです」
と語るアニタのブラウンの瞳は赤かった。これでお別れである。彼女がふたたび鹿児島の地を踏むことがあるのだろうか?
「あいつは電話には出なかったかの?」
「はい……」
声とともに、そのブラウンの瞳も沈んだ。あのとき、悟を拒絶したアニタだったが痛烈に後悔した。彼に謝罪するため何度か電話をかけたが出なかった。
「生命を救われた身でありながら、一条さんを傷つけてしまいました。私は最低の人間です」
「そんな“でりけーと”な男じゃないよ」
こたえる平太郎はアロハシャツに短パン姿である。アニタのほうは来鹿したときと同じくタイトTシャツとレギンス型のデニムだ。だが、空港の雑踏の中で感じるものは、そのときとは異なる。
「あいつは戦いの中で生きてきた。それは、わかっとるね?」
「はい……」
「そんな血まみれの手で、あんたの思いにこたえることなど出来んのじゃよ。不器用なやり方じゃが、あいつなりの優しさじゃ」
「そうなのでしょうか?」
「“住む世界”が違うんじゃ。あんたは、あっちでいい男を見つけなさい」
涙をハンカチで拭うアニタ。別れの寂しさと後悔が流させたものだったが、前者のほうが強いのかもしれない。悟を拒絶した自分に対しては怒りがしめるウエイトが大きかった。間近に見た殺し合いが彼女の平衡感覚を失わせたわけだが、たったひとことが取り消すことのできない溝を作りだすのだと若いアニタは知った。
「ところで、これはわしがもらってよいのか?」
平太郎はポケットの中から事の発端となった手紙を取り出した。アニタの祖母良子が出せなかったラブレター……
「神宮寺さんにそれを渡すことが、ここに来た目的でした。受け取っていただきたいのです。祖母も天国でそう思っているでしょう」
「そうか」
再度、ポケットにしまう平太郎。彼が持っておくことがよいのかもしれない。数十年のときを経て良子の思いは伝わり、手紙は正しい受取人のもとへおさまったのだ。
「神宮寺さん、その……一条さんの正体は……」
「ん?」
「いいえ、なんでもないのです……」
「なんじゃなんじゃ、暗いのう。ほれ!」
アニタの手荷物を渡す平太郎。ここに来てからずっと彼が持っていた。飛行機の時間が、もう近い。
「日本の男性は紳士なのですね」
「野蛮な男のほうが好みかの?」
それを聞き、アニタは少し笑った。
「神宮寺さんと一条さんは、似ていますね」
すると今度は平太郎が笑った。
「似とらんわい、わしのほうがいい男じゃ」
やはり似ている……アニタは、そう思った。
飛行機は東京行きである。そこから乗り継いでストラビアへと帰る。機内には東京の超常能力実行局本局員が私服姿で紛れ込んでいるが、彼女のガードを真知子が依頼したのだった。狙われる危険性は少ないが、念のためである。
席に座ったアニタ。窓には広い滑走路と、その先にある蒼い山々。そして空が映る。整備スタッフの姿はここからは見えない。離陸してしまえば、この地を次に訪れるのはいつになるだろうか? だが、祖母良子の血が流れる彼女にとってここ鹿児島はルーツである。それは生涯、変わらない。
(一条さん、ごめんなさい。私が悪かったの。だけど……もう一度会いたかった……)
アナウンスが流れ、飛行機が後方へと動き出した。機窓は滑走路を視界のすみに置き、次に空港の建物をとらえる。
“私、目はいいですわ”
こないだ、悟にそう言った。それは嘘ではなかった。だからアニタの目には送迎デッキの様子がよく見える。この飛行機を見送る人々の姿が……
「一条さん!」
彼女は窓ごしに叫んでしまった。その中に悟の姿があったからだ。
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