大統領令嬢は剣聖がお好き? 15
アニタが悟の肩ごしに見た松田の形相……彼女は生涯忘れないだろうと思った。勝利への執念は戦士を鬼にも悪魔にも変えるのだ。およそ人とも思えぬ顔は投光器に照らされ、暗黒の空間に浮かんでいた。それは化け物にすら近かった。
アニタを突き飛ばした悟は腰のホルスターからオーバーテイクを抜き、振り向きざまに一閃した。神速の抜刀は目にも止まらず。松田の噴血、甲板を赤く染める……
「わかったぞ……あの魔性の剣……その美貌……俺は知っているぞ……」
胴を斬られ、崩れ落ちる松田……
「地獄への……おもしろい土産話ができたよ……君は……死んだはずの……」
なにを言おうとしているのか? “死んだはず”とは、どういうことか? 一条悟という人は、いったいなんなのか?
悟の右手が一瞬、動きそうになったが止まった。いや、アニタの目にそう見えただけか? とどめをさそうとしたが翻意したのかもしれない。だが、人を簡単に斬り捨てるこの男に情などあるのだろうか?
「け…………ん…………せ………」
そこまでだった。すべてを言いきることなく絶命した。悟は肉塊となりはてた松田のシャツの袖をまくった。
「薬物か……」
注射針のあとがある。異能者向けの違法薬物は世界中に出回っており、ここ日本も例外ではない。身体能力や体力の向上を促し、痛覚も麻痺させる。現在、超常能力実行局は退魔連合会や警察と連携し、その根絶に力を入れている。悟の強烈な峰打ちから松田が立ちなおった理由はそれだったのだろう。
「甘いのう。力尽きた者を斬る剣は持たぬということか?」
平太郎は言った。
「おぬしの腕ならば首をはねることもできたはずじゃ。なぜ、そうしなかった? そこのお嬢さんに心傷を負うような光景を見せたくなかったのか?」
背を向けている悟は答えなかった。オーバーテイクをホルスターにおさめ、ただ自分が作りあげた斬骸の前に立っているだけである。
アニタは怯えた。今、目の前でおこった光景は松田の首と胴が離れずとも彼女にとって充分、残酷なものだった。
「あなたは、何者……?」
やや肉厚な唇をふるわせ言った。さきほどまで感じていた“好意”が心の中から蒸発している。悟の背中が別の誰かに見える。もし松田がすべてを言い切っていたら、なにか不都合があったのか? 本当は口を封じるため、殺したかったのではないのか?
「あなたは、誰……?」
もう一度訊いた。
「俺は……」
背中が答えた。
「俺の手は、血にまみれている」
そう言い、振り返った悟の美しい姿は返り血に濡れていた。顔だけでなく全身が……
「怖い……」
アニタは、はっきりとそう言った。このとき、彼女の目に映る悟は松田と“同類”だった。
「怖い……私は、あなたが怖いわ……」
今見た衝撃は闇夜の彼方に消し飛んだ愛の代替物としてアニタの心にあきらかな恐怖を刻んだ。さきほど立ち上がったときの松田の鬼の表情と今の血まみれの悟。同類にして同質ではないか。姿格好など関係ない。流血の果てにある勝利のみを獰猛に求める獣……悟もまた、そうなのだ。
「ああ……俺は、この男と“同じ”だ……」
彼女の心のうちを知ったのか? 悟は冷たく言い放った。氷のような本性を見たアニタのブラウンの瞳から流れる涙は殺し合いを見てもまだ汚れてはいない。だからなのか……
三日がたった。鹿児島は好天のもと、今日も灼熱の夏である。それをありがたがる者など誰ひとりいない。待ちゆく人々は汗を拭き、太陽と光線を反射するコンクリートを恨みながら街を歩いている。なにも変わらず平和な日だった。
城山にある借り物の洋館の庭に出た悟もまた、伸びをして熱い空気を吸った。起きたばかりだ。ある犯罪組織に追われているこの男は潜伏中の身だが、どうにも最近、暇をもてあまし気味だ。今は日も高い。
「おはようございます」
ちいさな声がした。夏休み期間中だけの彼の“メイド”である。
「よう、雫!」
こたえる悟の声は明るい。
「腹減った。なんか作って」
という彼の言葉に雫は笑った。
「なにがいいですか?」
「チャーハン、大盛り」
「はい。では、お邪魔します」
この少女は声も小さいが、笑顔もどこかひかえ目である。家へと入っていった。それと同時にスマートフォンが鳴った。
────事件は解決したと判断していいわ
電話の向こうで真知子が言った。アニタの友人イサベルは目立った外傷もなく東京の超常能力実行局に救出された。死んだ松田は信義を守ったようだ。
「依頼人はアニタの親父の対立候補で間違いないか?」
と、悟。
────松田の仲間のたちがそう言ってるわ。アニタさんを人質にとり、大統領選を辞退させる計画だったと
「そうか」
────これが明るみに出れば、対立候補のロメーロ氏は失脚するわね。ただでさえ優勢だったセルヒオ・ナバーロ氏の勝利は間違いないわ
「そうか」
────今日は、アニタさんが旅立つ日ね……
真知子は話を変えてきた。“目的”が達せられ、事件が解決した今、アニタが鹿児島にいる理由はない。彼女は今日、ストラビアへ帰国する。
────あなたは見送りに行かないの?悟さん……
そう、真知子は訊いた……
“拝啓、神宮寺平太郎様。世界の情勢が日々うつりかわる昨今、益々ご清祥のこととお喜び申し上げます。私、沖薗良子は結婚を控え、毎日を忙しく過ごしております。政治家の妻となる覚悟も芽生え、それにともなう責任感が自己の中で強く大きくなる中、ふと一筆をと思い、ペンをとらせていただきました。私が今、ここに在るのは神宮寺様のおかげです。あのとき命を助けていただいたご恩、遠い異国にあっても生涯忘れることはありません。
私は夫となる人を愛しています。それは人柄だけでなく、国を守ろうとする使命感、博愛のこころ。尊敬できる方であると確信しております。
ですが私は何故この手紙を書いているのでしょう? 女にとって初恋とは特別なもの……心の中にしまうことが幸福なのかもしれませんが、それにしても大きなであいだったのです。出すことのない手紙は私の胸にしまっておきます……”
アニタの祖母、良子が平太郎にあてた手紙は、結婚を控えた時期に書かれたものだった。最初から出すつもりがなかったのなら、それは手紙というより手記に近かったのかもしれない。政治家の妻になる重圧、マリッジブルー。様々な想いが書かせたのか? 今となってはわからない。手紙の内容を知るのは平太郎とアニタだけである。
霧島市溝辺にある鹿児島空港は人の出入りが多い。二階の土産物屋は客が多く、試食をすすめる従業員が元気に声を出して人を待つ。夏休みということもあり、いつもより子供連れが多い気がするが、年代は様々だ。旅行帰りの高齢者夫婦もいれば学生らしき人もいる。どことなく皆がいきいきとしているように見えるが、旅立つ者も送る者も楽しいのだろう。空港とは、そんな場所である。
「ありがとうございました、神宮寺さん……」
活気ある周囲とは違い、アニタはどこか沈んだ声で平太郎に別れを告げた。
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