大統領令嬢は剣聖がお好き? 9
「どうした?だまりこくって」
ステアリングを握る悟が訊いた。
「いいえ、なんでもないの……連れてきてくださって、ありがとうございました」
ぼんやりと窓の外を眺めていたアニタは我に返ったように運転席を向くと礼を言った。
「祖母が生まれ育った場所を見ることが出来て、よかったですわ」
「でも、想像していたものと違った?」
悟のその質問に、アニタは少し答えにくかったようだ。が、頷いた。見たいと言ったのは彼女自身である。
「そりゃそうさ。何十年もたてば、何もかもが変わるもんさ」
「そうね……」
アニタは視線を車窓に戻した。発展した街なみは人通りもある。その中には若者の姿も見え、彼女が想像していた田舎とは異なる様子なのだろう。
「正直に言うと、祖母が残した写真や話とは、ずいぶん違ったのは事実です……」
と、アニタ。祖母が生まれ育った場所に古きよき日本の姿を思い浮かべていたのだろうか? さきほどの集落がそんな風景に近いのかもしれないが、祖母の生家は形を変えて残っていた。
「でも、やはり来てよかったわ。来なかったら後悔していた気がするの」
微笑するアニタ。それは本音のような気がした。理由はなくとも、悟はそう思った。
川辺の郊外にあるスーパーセンターは、ずいぶんと広い。買い物や食事だけでなく車検や散髪までできるここは、地元民のみならず鹿児島市内からの客も多い。平日でありながら人は多く混んでいる。
「すごいわ。これ、全部お店なのですか?」
駐車場で車を降り、目を輝かせるアニタ。建物に近い場所があいていなかったため、少し離れた区画に駐車した。結果、スーパーセンターの全貌がよく見える。
「最近は郊外型の商業施設のほうが元気だからな」
悟はドアをロックした。車を一歩出れば猛暑が体にふりかかる。
「食事の前に中を見たいわ。いいかしら?」
「どうぞ」
ふたりは店内に入った。
中に入ると床も広いが天井も高い。どこに何があるかは、その天井からぶら下がっている看板を見て判断しなければならない。年間七百万人の来客を迎え入れるここは建物だけで三万平方メートル超を誇る。レジは混雑しており、買い物客が多い。
「すごいわね……ストラビアには、こんな規模のスーパーはないわ」
アニタは感動している様子だ。
「あっち見てきます」
「おいおい、迷子になるなよ」
悟の、その声が聴こえただろうか? アニタは軽い足どりで歩いて行った。
(ま、いいか。あの娘、目立つし、見失うこたァねぇだろ……)
悟は頭をかきながら、そう思った……
アニタが直行したのは化粧品のコーナーだった。棚に陳列された商品群を見ながらご満悦といった風である。日本の化粧品は品質が良いため、南米でも人気だ。ファンデーションやリップを眺めつつ彼女は店の奥側に向かって進んでゆく。
不思議なもので人が多いにも関わらず、これだけ広い店舗だと無人の空間というのは所々に存在する。今、アニタがいるあたりがそうだ。背が高い棚と棚に囲まれたスペースは周辺からの死角の中に位置する。
物色中のアニタにひとりの男が近づいた。迷彩柄のシャツにカーゴパンツを穿いている。モヒカンにした髪は金色に染めており、目つきがよくない。彼はすれ違いざま、アニタの耳元でなにかを囁いた。すると……
「あなた、何者……?」
それまで機嫌よく買い物をしていたアニタの表情が変わった。
「できれば、このままついてきてほしいんだがね」
見た目に似合わぬ穏やかな口調でモヒカンは言った。止めた足もとはミリタリーテイストのブーツ履きで、その手のファッションを愛好する者にも見える。年齢は三十代後半あたりか? 中肉中背だ。
「誰の差し金なのです?」
気丈にもアニタは言った。だが、顔色がよくない。スキニーのデニムを穿いた肉感的な脚が震えている。
「“依頼人”の名前は、あかせないんだよ」
そう言ってモヒカンはアニタの手首を掴んだ。
「このまま来てくれれば、こちらとしては楽なんだがね」
「離しなさい……人を呼ぶわよ」
「そんなことをしたらどうなるか、わかっているのかね?」
「目的は、なに?」
「来てくれれば話そう」
「おっと、そこまでだ」
アニタの背後から声がした。悟が立っている。
「ボディーガードきどりかね?」
そう言ってモヒカンは手を離した。悟のほうに駆け寄るアニタ。
「“きどり”じゃなくてボディーガードさ。目的を話してもらおうか?」
「そんなことをすると思うかね?」
「うんにゃ」
「では、どうやって訊き出すつもりかね? “こんなところ”で……」
悟はモヒカンの背後にショッピングカートを押す若い母子を見た。戦闘行為に及ぶことができるような場所ではない。
「いずれ、また……」
モヒカンは堂々と背中を向け、立ち去った。こちらが絶対に攻撃してこないという確信のあらわれであろう。ヤツが消えた途端、アニタはその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」
彼女の肩を抱き支え、悟は訊いた。大柄に見える豊満な身体であるが、こうするとやはり軽いものだ。
“誘拐”されそうになった。アニタは悟に、そう言った。帰りの車内で助手席の彼女はほぼ無言だったが、恐怖だったであろうことは間違いない。
大統領選を控えた彼女の父親セルヒオ・ナバーロは先々月、異能者による襲撃を受けている。強硬派の対立候補ホルヘ・ロメーロの関与が疑われており、娘のアニタも人質として狙われる可能性は充分にある。予測の範囲内での事態であり、それが現実となったわけだが、こうなると悟がボディーガードについていたことは正解だった。
家に帰り着いたときは夕方だった。薩国警備のロゴがうたれたセダンが庭に停まっていた。玄関で雫が誰かと話している。
「こんにちは!」
明るい挨拶をしたのは薩国警備の制服を着た畑野茜だった。車を降りた悟に近づいて来る。
「畑野さん、どうしたの?」
という悟の質問には答えず、茜はちらちらと車内のアニタを見た。
「美人ですねェ、天文館でナンパした新しい“彼女さん”だそうで?」
いたずらっぽく言ってきた。アニタの素性は薩国警備には内緒だった。
“一条悟は、天文館でナンパした外国人女を家に連れ込んだって言っとけばいい。いくら薩国警備でも、遠い異国の大統領令嬢の顔なんて知らんだろ”
という悟の、その言いつけに雫は従ったようだ。素直な娘である。茜の視線を悟は、まるでバスケットボール選手のように体を伸ばしてブロックし続けた。
「ど、どうしたんですか、一条さん?」
あまりにも怪しいのか茜は首をひねった。
「いやいや、見せものじゃないんで」
「えー、もったいないなぁ……」
「こ、こんな時間にどうしたの?」
「ああ、そうだ。藤代アームズの社長さんに言われて届け物を……今、津田さんに渡しました」
見ると、玄関先に立っている雫がダンボールに包まれた“なにか”持っている。
「真知子が? なんだろう」
「さぁ……」
「最近の薩国警備は宅配便までやってるのか」
「その宅配便で届けられないものだから、とのことでした」
創業者の藤代隆信は、いまだに鹿児島の異能業界に強い影響力を持つ。孫娘である真知子の頼みを断ることはできないのだろう。
「ありがとう! 用事は終わったよな?」
「えー? お茶も出ないんですかァ」
「うちはカフェじゃないの」
茜は意地の悪い笑みを浮かべて帰って行った。本気でアニタのことを彼女だと思っているらしい。
車を降りたアニタは気分がすぐれないと言い、自分の部屋へと入った。誘拐されかけたのだから当然であろう。悟は雫から荷物を受け取り、自室へ向かった。
(中身はなんだ?)
床にあぐらをかき、悟は荷物を置いた。長方形のダンボール包みであり、全長は五十センチほど。開けてみると強化プラスチック製の黒いケースがあらわれた。それを見ただけでわかった。たしかに宅配便で届けられるものではない。
(まったく……いらねぇって言ったのに。あのお節介め)
悟は苦笑し、ケースを開けた。長さ三十センチほどの黒い筒状の物体でセレクターがついている。それは剣聖スピーディア・リズナーのトレードマーク、真紅の光剣オーバーテイクのニューモデルだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます