大統領令嬢は剣聖がお好き? 8

 南九州市 川辺かわなべは鹿児島県の南部に位置する。指宿スカイラインを通って行くこともできるが、下道を選択しても、鹿児島市内からさほど遠くない。三十キロほどの距離である。


「ここが、祖母が育った町なんですね……」


 助手席に座るアニタが言った。だが彼女の祖母、良子が見ていた景色と、今、車窓を流れる景色はずいぶんと違うはずだ。川辺と枕崎まくらざき市をつなぐ道路沿いにはコンビニや飲食店などが多数建ち並び、郊外には巨大なスーパーセンターも出来ている。このあたりに住む人たちは特に遠出をしなくとも必要な物を揃えることができるようになっていた。田舎であっても辺鄙ではない。


「感慨深い?」


 ステアリングを握る悟は訊いてみた。アニタは祖母が育ったこの町を見たいと言ったのだ。だから連れてきた。車は真知子から借りているコンパクトカーだ。


「祖母から聞いていた印象とは、かなり違います」


「だろうな。昔はもっと田舎だったはずだ」


 信号待ちの間、悟も周囲を見た。彼自身、昔の町の姿を知らない世代である。


「でも、便利になるのは良いことだわ」


 と、アニタ。言葉の裏に隠された彼女の心理を伺い知るすべはない。


「そういえば……」


 信号が変わり、車が進みだしたときアニタは言った。


「剣聖スピーディア・リズナーがお亡くなりになったそうですね」


 予期せぬひとことだった。


「彼の地元の日本でも大騒ぎだったのでしょう?」


「んー、まァ、そうだったかな……」


 悟はとぼけた。異能業界のスーパースターである“最後にして偶然の剣聖”の死亡が報じられてからひと月ほどがたっていた。各メディアはいまだに、その件を取り上げている。


「一条さんも驚かれたでしょう?」


「あー、まぁね」


「彼は……スピーディア・リズナーは、我が国ストラビアの恩人でもあるのです」


「へぇ、そうなの?」


「はい。七年ほど前、地方都市のグローリアに巨大な人外の存在が出現したのです。市街地が壊滅し、我が国が誇る異能者組織ブリージョ・デ・ソルの精鋭たちが次々と倒される中、彼は彗星のごとくあらわれました」


(そういえば、そんなことがあったなぁ……)


 悟は、そのことを思い出した。たしか、あのときは先代の大統領の依頼を受け、滞在していたウルグアイから急遽駆けつけたのだった。


「スピーディア・リズナーは見事、人外を倒し平和を取り戻してくださったのです。彼は我が国にとっても英雄なの」


「ふぅん……」


「先日、感謝の意も込めて彼の国葬をとりおこないました。集まった数万の国民が涙したものです」


(こらこら、勝手に……)


 心の中で笑ってしまった。自分の知らない所で自分の葬式が行われている光景を想像すると少し滑稽でもある。


「でも私、いまだに信じられないの。あの強かったスピーディア・リズナーが亡くなるなんて……」


 アニタはフロントガラスからさしこむ陽光に目を細めた。


「ひょっとしたら彼は生きていて、この日本でひっそり暮らしているんじゃないかって思うんです……」


「い、いやぁ、そんなことはないと思うけど……」


「あら、なぜわかるのです?」


「なんとなく……」


「そういえば、すごくハンサムな方だったとも聞いています。顔だけなら一条さんに似ているかもしれないわ」


「ははは……」


「でもスピーディア・リズナーは人の着替えをのぞいたりはしないでしょうけど」


「だからァ、あれは不可抗力だよ……」


 困った顔をする悟を見て、アニタは笑った。それは仲直りのサインと解釈してもよいのだろうか……?






「ここが祖母と神宮寺さんが出会った学校なのですか?」


 正門の前でアニタが言った。


「ああ……」


 と、悟はこたえた。幹線道路沿いにある勝目かつめ高校は、二年前に他校と統合され廃校となっていた。校名が書かれた看板はそのままだが、固く閉まった門には立ち入り禁止のプレートが掲げられている。


「少子化の波だな」


 停めた車に寄っかかりながら呟く悟。この高校の姿も昔とはかなり違うのだろう。平太郎が良子を救ったのは何十年も前である。この位置からは校舎しか見えない。


 車に乗り裏へまわった。ネットがはられた外からは校舎の裏側と校庭が見える。周囲は古い住宅が多く、少し先には公営住宅が建っている。路上に停め、降りたふたりは近づいた。


「あれが、体育館だな」


 悟は指さした。ネットごしの向こう、校庭の端に丸くて青い屋根の建物がある。だが、それが平太郎と良子が出会った体育館なのかはわからない。新しく建てられた物である可能性も考えられる。


「飛び越えて入ってみる?」


 という悟の言葉は冗談だったが、アニタは律儀に首を横に振った。目の前のネットにも立ち入り禁止の標識がぶら下がっている。






 勝目高校より山手のほうへ向かうと内杭うちくいという名の集落がある。幹線道路からかなり入った場所だが、車ならばそこまで遠くもない。距離でいえば数キロほどなのだが、わりとすぐそばにこんな場所が存在するのが田舎である。


 築百年はたっているであろう家々が並ぶ集落の中心は道が狭い。それでもバス停があるのだから不思議なものである。こういった場所に住む人々は余所者の車を見ると珍しがるものだが、この時間、人通りはなかった。皆、家にいるか、畑にでも出ているのだろう。外国人のアニタは目立つので、そちらのほうが都合は良い。


 アニタの祖母、沖薗良子が生まれた家は集落のちょうど真ん中あたりにあった。わりと大きな家は古いが改築を重ねたあとが見える。庭に車はなく人の気配もしない。留守なのだろう。


「ここで間違いないのですね?」


 助手席から見ながらアニタは訊いた。手に古い写真を持っている。


「ああ」


 車載されているカーナビを確認しながら悟はこたえた。市町村合併により、このあたりの住所も変わっている。だが番地は以前と同じであるため特定は容易だった。アニタが手に持っている写真と照らし合わせてみると、塀の形はいっしょで、家屋にも面影がある。間違いないだろう。


 ちなみに良子の身内はここには住んでいない。この家は人手に渡っており主は別人である。こういった集落は地元民が圧倒的多数をしめるため、主は珍しい立ち位置にいるはずだ。


「見ることが出来ただけでもよかったわ」


 アニタは言った。


「そう……」


 と、悟。彼女の言葉の裏にある思いがどのようなものなのかは、はかるのが難しい。


 アニタはバッグから自分のスマートフォンを取り出した。だが、思いなおしたようにすぐしまった。


「撮らないのか?」


 悟は言った。


「今は、他人の家ですもの……」


 アニタはこたえた。


「今日、見たものはスマートフォンではなく心の中にしまうってことか……」


「一条さん、それはキザだわ」


 少しだけ、彼女は笑った……






 その後、車で集落を一周し、市街地につながる道へと向かった。祖母が生まれ、育ち、歩いた風景は、今とどれほどの大差があるものだろうか?もっとも集落近辺は畑と山しかないため、あまり変わっていないのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る