帰鹿した剣聖と薩国警備 2


 ────こんにちは、悟さん。おかえりなさい……


 電話の主は女だった。


「ひさしぶりだな」


 と、悟。お互い、知った仲である。


 ────ごめんなさい、古い家しか用意できなかったの


「いや、充分だよ。広すぎるくらいさ」


 ────いちおう、住めるようにはしておいたわ


「安アパートでよかったのに」


 ────あなた、もうすぐ三十でしょ。そろそろ家を持ってもいいころよ


「そこをつかれると反論できねぇな」


 ────薩国警備の人たちは?


「帰ったよ。迎えなんかいらなかったのに」


 ────狙われてる身なのよ?


「まぁな」


 ────“剣聖スピーディア・リズナーは死んだ”って情報を流したけれど、信じていない人が多いはずよ


「“連中”には関わらないように仕事を選んできたつもりだったんだが、世界は狭いな」


 悟は、ある犯罪組織と敵対したため、身を隠すことになったのである。日本には勢力を伸ばしていない奴等だったので、彼は死を装い、生まれ故郷の鹿児島に帰って来た。


 ────“剣”は、あっちに置いてきたの?


「ああ。最近は、どこの空港もテロ対策が厳しくて武器を持ち込むのが大変だからな」


 ────新型のオーバーテイクを作らせているわ。もう少し待ってて


「おいおい、俺は死亡を装って“引退”した立場だぜ? いらねぇよ」


 ────身を守るために持っていて頂戴。何があるかはわからないわ


 電話の女は藤代真知子ふじしろ まちこという。鹿児島に本拠を置く“藤代アームズ”の社長を務めている。異能者が扱う武器の開発を行なっており、悟の光剣“オーバーテイク”も藤代アームズ製だ。


 ────最近、会ってないわね……


 真知子の声が電話の向こうで揺れた。若くして社長業をこなす彼女。しかし悟との関係は社会的立場を越え、プライベートの領域にあるものだ。


「いずれ会いに行くよ。落ち着いたらな」


 ────ええ……


 悟は“じゃあな”と、電話を切ろうとした。


 ────あ、待って頂戴。あなたの身辺を世話する“メイドさん”が、そっちに行くわ


「メイドォ?」


 さすがの悟も、声がひっくり返った。


「そんなもんが鹿児島にいるのか?」


 ────メイドというのはたとえよ。通いの家政婦


 いたずらっぽい真知子の口調……こういうときに、歳相応の情感をのぞかせる。


 ────素直で可愛い娘よ。あなたもきっと気に入るわ。しかも女子高生!


「おまえ、俺を犯罪者にするつもりか?」


 ────あなた既に、よその国から指名手配を受けている身ではなくて?


「そういう問題か? 家政婦なんざいらんよ」


 ────でも悟さん、家事全般ダメでしょ? ゴミ屋敷の中でコンビニ弁当を食べるような生活をおくらせる気はないもの


 絶句する悟。昔から、この女には頭が上がらないところがある。






 真知子との通話を終え十五分ほどのち、玄関のチャイムが鳴った。


「こんにちは……」


 やって来たのは高校の夏服を着た少女だった。


「薩国警備の津田雫つだ しずくと申します……」


 か細く、そして儚げな声……おとなしそうな娘である。だが、薩国警備ということは、彼女もさきほどの鵜飼や茜と同様、超常能力実行局鹿児島支局のEXPERなのであろう。


 このとき、悟はなんの感慨も覚えなかった。雫という少女のことをかわいいとも、魅力的だとも思わなかった。黒髪のショートヘアは肩にすら届かないほどの長さである。地味な印象が強かった。


「よろしくお願いします、一条様……」


 雫は言った。


「“様”はいらねぇ、呼ばれ慣れないよ」


 悟は頭をかいた。


「すみません……」


「いや、あやまるこたぁねぇよ」


 清楚な雰囲気の少女であり、白いブラウス型の制服が似合っていた。が、美人ではない。小柄で華奢だが、EXPERである以上、なんらかの異能力を持つはずである。


 真知子が社長を務める藤代アームズと薩国警備は深いつながりを持つ。鵜飼といい、この雫といい、彼女が手をまわし、悟のもとに派遣したわけだ。


「まさかとは思うが、この家を手入れしたのは君か?」


「はい。きのう庭ごと掃除しました」


 と、雫。たしかに屋内には埃ひとつなく、庭も整えられていた。


「今、学校は夏休みじゃないのか?」


「補習の帰りです」


「補習?」


「進学希望なんです」


「ふぅん」


「今日は、ご挨拶と、あと晩ご飯を作りに伺いました」


 見ると、肉野菜等がつめこまれた買い物袋を抱えている。


「真知子の指示か?」


「はい。夏休み期間中だけの“アルバイト”です。補習がある日は今くらいの時間になりますが、もっと早く来る日もあります」


 と、雫はかすかな笑顔を浮かべた。どうにも断りにくい状況である。






 雫が悟のために夕食を作りはじめたころ、薩国警備の畑野茜は、鹿児島市 桜ヶ丘さくらがおかにある一軒家の自宅に帰り着いた。本日は早朝からの勤務で、午後から上司の鵜飼とともに悟の送迎にたずさわった彼女は、まだ日が沈まぬ時間にあがりとなった。


「ただいまぁ」


 と、茜。玄関を開けた。


「おかえりィ」


 エプロン姿の母親が出てきた。四十代後半である。


「お父さん、遅くなるらしいのよ。先に食べててって」


「はぁい」


「今夜は、あんたの好きなハンバーグ」


「やったぁ」


 茜は指を鳴らした。普段は明るい娘なのだ。サラリーマンの父と日中コンビニでパートをしている母。高校生の弟との四人暮らしだが、異能力を持つのは彼女だけである。子供の頃、“超常能力開発機構”という名の育成機関にスカウトされたことが人生の分かれ道だったが、家族の絆は失われなかった。突如、発現する異能力のせいで崩壊してしまう家庭もあるが、茜の両親は理解があった。


「先にお風呂入る?」


「うん」


 返事をした茜は靴を脱ぎ、上がり込むと、荷物を置くため、二階の自室へと向かった。






 畑野家のバスルームに隣接する脱衣所は、電気をつけなくとも明るかった。八月の鹿児島が暗くなるまで、まだ時間がかかる。外の光が浴室の窓からさしこむ。


 茜は洗面台の鏡の前に立った。“職場”で制服に着替える彼女は通勤時、私服を着用する。特に厳しい規則はなく、露出が少なければ良しとされている。ボーダー柄のTシャツと、アンクル丈の白いテーパードパンツが今日の格好だった。それを脱ぐと、瑞々しい肌があらわれた……

 

  




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